第2話 俳優よりハンサムな清田社長




 

 いわゆるナンバースクールとして創設され、太平洋戦争後の学制改革で新制大学に移管された旧制老鶯高等学校は、現在は文化会館として市民に開放されている。


 駅前通りの突き当たりの正門を入ると、鬱蒼と茂る日光杉の森が出現する。

 戦後の日本を代表する何人かの作家や評論家が青春時代をここで過ごした。

 いずれも淡い空色で統一された右手に校舎、左手に講堂が保存されている。


 往時に思いを馳せながら、文花が履き慣れないヒールを用心深く運んでいると、

「よっ、文花編集長。さすがにお早いお着きで。お待ち申し上げておりましたよ」

 お笑い芸人並みに調子のいい声を掛けて来たのは映画『See you again! ジロー』の製作全般を取り仕きるエグゼクティブプロデューサーの佐藤三郎だった。


 尖った禿頭とくとうをハンチングで隠し、漫画チックな太い黄縁の眼鏡を掛けている。

 業界人らしく、エルバーパッチ(肘宛て)付きのツィードのジャケットに生成りのチノパンで、重そうな黒いショルダーバッグを、肌身はなさず持ち歩いている。


 ――先刻のタレント豚の受難には、儲け一辺倒のこの男が深く絡んでいるのだ。


 一瞬、文花は怒りに駆られかけたが、いまさら問い詰めてみても仕方がない。


「約束の1時間前には現地到着がモットーなので、わたし」素っ気なく言うと、「そうそう、そうだったよね。あれ? 社長は一緒じゃないんだね。よかったぁ。おれさぁ、苦手なのよ、おたくの社長。なにもかも見透かしているような、あの目でじいっと見詰められるとさぁ、正直、蛇に睨まれた蛙状態になっちゃうのよね」


 ――この業界の男たちは、なんだってみんな女言葉を遣いたがるんだろう。


 全身の肌がぞわっと粟立つが、むろん、おくびにも出さない。


「あっ、社長!」

 佐藤の声にうしろを振り返った文花は、はっと息を呑んだ。

 社長は社長でも母の諒子ではなく、脂ぎった中年男の佐藤とは真逆の超ハンサムな長身痩躯が長い脚を格好よくさばきながら、大股で近寄って来るところだった。


 ギリシャ彫刻を東洋風にアレンジしたような面立ちで、すらりとした細身の上体にぴたっと合った薄花桜色のブレザーが貴公子然とした雰囲気を際立たせている。外見だけでなく頭脳も抜群らしく、文花に据えた茶色の眸が聡明を物語っている。


「こちら翡翠書房の宝月文花さん。この若さで編集長の重責を担っておられます」

 佐藤の紹介に、その辺のイケメン俳優と並べても引けを取らないハンサム社長は、女ならだれでも瞬殺されてしまいそうな笑顔を、文花ひとりに向けてくれた。


「こちらは今回の映画製作の本家本元・シネマビレッジの清田哲司社長さんです。ヒットつづきのマスコミの寵児ですから、文花編集長もとうにご存知でしょう?」

 佐藤の露骨なリップサービスを意にも介さない清田社長は、「あなたが翡翠書房の宝月文花さん? おうわさはかねがねうかがっています。いやぁ、聞きしに勝る美人編集長ですねえ。お目にかかれて光栄です」外連味けれんみのないレスポンスと共に、欧米人のようにさっと右手を出して来たので、文花も釣られて握手に応える。


 ――ひんやりと冷たい手。心が熱い方なのかしら……。


 自他ともに認めるミーハーの文花は、思わずどぎまぎして頬を熱くした。

 そんな文花の目を、複雑に瞬く清田社長の虹彩が近々と覗きこんで来る。


 ――やだ、わたしったら、ピンで留められた蝶状態だわ。


 文花の気持ちを察知した佐藤が「ほらね。清田社長を紹介すると、大方の女性は一瞬で腑抜けになっちまうんですから。いけませんよ、文花さん。社長こう見えて3人の子持ちの愛妻家なんですからね」やっかみ半分のストップをかけて来る。


 ――あんたに言われたくないわ。


 図星を突かれた文花は、「社長さんに失礼ですよ」半ば本気で怒ってみせる。

 笑ってやり取りを見ていた清田社長が「記者会見でご一緒できるんですよね? じゃ、あとで」爽やかに立ち去ると、代わって佐藤がべったり擦り寄って来た。「気をつけてください。ああ見えて奴さん、けっこう手が早いんですからね」


 ――はぁ? わたしを見くびるのもいい加減にして。


 文花は目の前の禿頭プロデューサーに、本気で蹴りを入れてやろうかと思った。

 生来の虚弱体質を心配した母親の勧めで、中学1年のときから通い始めた文花のスポーツジム歴は10余年になる。筋トレ、ダンス、ヨガ……なんでもこなすが、全日本アマチュア選手権優勝の実績を持つボクサーに指南しているムエタイ、とくにラウンドハウスキック(まわし蹴り)は、師匠の折り紙付きの得意技だった。


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