第八話

 8:

 母のところへ向かう手段は、新幹線だった。


 県を一つまたぐらしい。


 秦太郎さんの車で行くという手段ではなかった。秦太郎さんにも事情があるようで、地元を離れられないということ。


 新幹線に乗って、兄との二人だけで行く事になった。


「とりあえずビールで」

「お兄さん」

「……駄目なんか?」

「駄目です」

「分かったよ。ったく……じゃあ茶二つとそれで」


 新幹線内の売り子さんへ、兄がお茶二つと柿ピーを注文する。


 窓の反射で、薄く兄と売り子さんとのやり取りが見えた。


 窓に映る、自分の顔へ視点が移りそうになって、


 目線を外の景色へ向け直した。


 新幹線なだけに、箱型電車特有のカタタンカタンカタンという振動も音も、あまり伝わってはこない。


 いっそ伝わってくれば、少しは気がまぎれただろうに……。


「燕、ほれ」


 兄が緑茶のペットボトルを膝に乗っけてきた。


「食べるか?」


 柿ピーの袋を開けて、中を見せてくる。


「いらない」


 憂鬱だった。母の所在地へと近づいているなんて実感するたびに、どんどん気持ちが張り詰めていく。


 母親に会っておけというのは、組長さんの意向だった。


 今まで会いにこなかったのには、きっと深い事情があるのかもしれない。親子なのだから、向こうもきっと辛い思いをしているかもしれない……と。


 正直、想像がつかない。

 想像できる要素が一つもないのだ。


 一度も会った事のない母親……顔も、声も、どんな人なのかも……分からない。

 何も知らない。


 だからなのだろうか?

 会う事にどこか、恐怖めいた感覚がする。


 自分の親なのに、生みの親のはずなのに。


 子供だったら自分の母親の事を、知っていて当然のはずなのに。


 自分にとってまだ会った事のない親への、その正体不明さが、会う事への抵抗感が……なんだか怖いんだ。 


 自分の親の事を、今まで考えなかったわけじゃない。


 きっと何か大きな苦労があって、どうしようもない事情があって、抗えない事とがあって……苦渋の末に、置いて行くしかなかったのだろう、とか。


 他にもたまに妄想じみたことも考えた。


 自分が大きくなって大人になって社会に出たとき、どこかで親と会ってしまって。その親は今も苦労と辛い日々を送っていて……。


 しっかりした自分が、今度は無償の愛とやらで助けてあげて、それでテレビでやっているような、人情ドラマ見たいな事が、と。


 ……今はもうそんな夢想は、微塵も思いつけない。


 会った事のない母親に、これから会うという実感が、子供らしい親への期待じみた夢か妄想かを、全て消し去っていた。


 今は本当に想像がつかない。


 何を思えばいいのか、まったく分からなかった。


 会うことで壊れていく、正体不明な親への夢。


 ――このままずっと、到着しないでいればいいのに。


 窓の景色が早回しで流れていく中。そんなありきたりな言葉が、頭に浮かんで、


 本気で、そう思ってしまっていた。


 口に出したら、きっと感心されないだろう――会えないままならずっとこのままで、それがどんなに楽な気持ちになれるだろうって……。


 会うことが、本当に怖くなっていた。

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