第七話

 7:

 大型スーパーで兄がジャガイモを手に取りながら。

「お前、料理とか出来るのか?」


「うん、ちょっとだけ。それに、もっとやってみたいと思ってたの」

「ほー」


 買い物籠の中には、レトルトや惣菜なんかではなく、ちゃんと野菜や肉に調味料といった食品が入っていた。


「今まで受験勉強ばっかで、お兄さんコンビニとかホカ弁しか食べてないし持ってきてくれなかったし」


 正直、濃い味があまり好きではなかった。しかも、そういったものは塩辛い上に肉しか入っていなくて、量も決まっている。


「料理する利点は、自分でメニューも量も味も、自分で決められるって事ですよ」

「俺にゃあできんのぉ……」


 ジャガイモを買い物籠に入れながら、兄はぼやく。


「やっぱり私が作らないと駄目みたいですね」

「じゃあ俺の好きなもんとか、毎日作ってくれるのか?」


 相手は妹なのに、ぱっと喜んだ顔をする兄に、まんざらでもない苦笑をしながら。


「はいはい考えておきまーす。えっと、卵たまごっと――どこにあるの?」


 少しばかり口を迷わせた後、兄が私を呼ぶ。


「……あのな、燕」

「はい?」

「お前、そろそろその他人行儀な言葉とか、やめろや」

「へ?」


 そんなつもりは無かった。龍之介は自分の兄である、とりあえずこんなんでも目上の人間だ。と、そう思っていただけ。それに元々、口が悪いほうでもない。


「普通にしてますけど?」

「違うねん」


 兄が顔の近くで手を振って否定。


「お前、口調もそうだが……その、なんだ……これからお前の暮らしとか生活とか、守ってやるっつっても、それで自分が『下』なんて思うなや」


「ですけど兄妹だから――」


「ちゃうねんちゃうねん」


 分かってないなぁと言わんばかりに兄が首を振る。


 言葉を選ぶかのように、しばし考え込んでから、兄が再度口を開いた。


「生活養ってる養われてるで、それで人間の上下なんて決まらんわ。妹のくせにンな気の使い方、おかしいねん」


「?」


 言い回しが悪いのか、ぴんと来なかった。施設に居た頃も、口調も態度もこのままでいたのだが。


 今だって、年が下であり経験も無い自分が料理をしたいと言っても、兄は止めることもしていない、これでも好き勝手に――

「お前、言いたい事とか押さえ過ぎてるやろ?」

「?」


 よく分からない。


「本音が出てへんのや、お前……話してても、言いたい事というか、本音みたいなもんが、頭の中でなんかこう、別んところで言っているように見えるで」


「えっと……」


 ツッコミは頭の中で処理してるけど、これはいくらなんでも失礼すぎると……。


「お前の本音とか言いたい事とか、何でもええねん。俺には抑えたりするなや」


「だけど」


「もしお前の言葉を、必ず聞き入れなきゃならん奴がいたとしたら、それはいの一番に俺のはずや……俺しかあらへん。抑え込む必要は無い。むしろ抑えるなや……そんなん、同じ血が通ってる兄妹がすることやないで」


 さらに兄は小さく「なんで俺がわざわざ、んな事言わなきゃならんね」と愚痴をこぼした。


「俺の妹やったら、兄貴の俺を蹴飛ばすくらいの事をしてみい、そう言うとるんや」


「だからそれはさすがに……駄目でしょう?」


 兄が頭を垂れて大きくため息を吐き出し、「こりゃだめだ」とつぶやいた。


「まーええわ。卵やな、こっちやで」

「う、うん……」


 親しき仲にも礼儀ありって言うし、やって良い事と駄目なこともあるし……やっぱりよくわからない。


 卵がある場所へ向かっていくと、卵の入ったパックが積み重なって積み重なり過ぎているだろうと思える台車があった。


 少しでもバランスを崩したら、きっとどんなバランス系ゲームにも勝るスリル満点な事になりそうな具合。


 近づくのもためらってしまう。

 どーして卵ってもっとこう、安心感がする置き方をしてないのかな?

 とりあえず台車の上の段にあった、Lサイズの白卵を手に取る。


「お前、まだ入れといた金もっとるやろ?」

「はい」


 あります。補欠が一人分居る福沢諭吉さんのサッカーチームが、今か今かと控えております。


 財布に移籍してきた十二人の諭吉ーずは、全てにお小遣いだった。

 返そうにもこの兄は受け取ってくれず、今も財布の中でウォーミングアップの日々。

 と、兄がはぁとため息を漏らした。


「どうかしたんですか?」

「いや、まぁ……ええわ。気にすんな」


 諦めがちな表情の兄。


「?」

「じゃあ、それで買い物カゴん中払えるな、それとも、もう足りんか?」


 足りなくなるわけが無い!


「大丈夫ですよ」


 すると、兄は少し目線を上げて逡巡し。何かを閃いた顔をする。


「まー念のため、もう少し補充させとくかの」


 羽織の袖に手を突っ込んで、ごそごそと財布を取り出す。


「いやいやいらないから! これ以上諭吉さんいいから!」


 慌てて口を塞ぐも、もう遅かった。

 兄が、してやったりとにやり顔。


「あ……ごめんな、さい」

「それでええねん」


 うんうんと満足気な兄。さらに私の頭を指の腹でぐりぐりと突きながら。


「それでえーんや」

「それって……これ?」


「ああそうや、口に出しても全然かまへんのや。言いたい事も思ってることも、好きなだけ言ってええんや。お前が声を外へ出してくれへんと……いくら俺が兄かて、お前の頭真ん中までわからんわ。テレパシーなんて俺はできへんねんで」


「う……」

「お前、引っ込みじあんで損しとるやろ?」

「…………」


 図星だった。


「言えば、ええねんで」


 うんうんと、頷く兄。


「じゃ、じゃあ、言いたい事……言わせてもらっても、いいですか?」


 意を決して。


「なんや? 言うてみ」


 すると、すうぅぅぅ、っと息を吸い込み、


 一気に――


「この大量に入った福沢諭吉さんがすっごく心臓に悪いんですけど! 落としてしまったりこの前みたいに絡まれて、挙句の果てに取り上げられたりなんかされないだろうかって! 出るたびに、びくびくびくびくしなきゃならないんで、返させてください! それとお金の使い方が、お兄さん雑です! すっごく雑です! 頭が悪いからって、言い訳みたいに言っても、お金を雑に扱って良い理由にはなりません! 小銭が部屋に転がってるってありえませんから! それとそれといい加減頭に手を置くのやめて下さい! 子ども扱いされてるのがムカつきますっ! 気安く頭を撫でられるのとか、子供扱いされるの嫌なんですからっ!」


「…………」


 マシンガン射撃に、さすがの兄も硬直して脂汗を流した。

 一気に吐き出した後、ふうと呼吸を一度整えて。


「わかりましたか? お兄さん」


 はっとなった兄。


「お、おう……それで、それでええんや」


 最後のそれでええんやの言葉はなんとなく、負けず嫌いが何とか踏みとどまったような、そんな口ぶりだった。


「とりあえず、頭」

「おおっう」


 妙に跳ねた返事をして、兄ようやく私から頭を離した。


「……ごめんなさい」


 また元に戻って素直に謝る。

 兄はそんな私の姿を見て……肩を落としつつも、薄く笑う。


「それでええ、燕」


 また兄は燕の頭に手を乗っけようとして――


「言いたいこと言ってみると、すっきりしますね」


 にっこりとした笑みを付け足すと、兄の伸ばした手がぴたりと停止。


「…………そうやな」


 兄が伸ばした手を引っ込めつつ、微妙な表情を混じらせて相槌を打った。


 頭を撫でられるのは本当に好きじゃないんです。

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