彼女を手に入れるためなら、私はこの手を汚すことすら厭わない

青水

彼女を手に入れるためなら、私はこの手を汚すことすら厭わない

 一目惚れだった。


 一目見ただけで、彼女が私にとっての運命の人なんだとわかった。運命の人とは結ばれなければならない。もしも、そこに何らかの障害が発生するようなら、それを排除するのは当然のことと言えよう。


 彼女――赤坂めぐを初めて見かけたのは、入学式の日の朝だった。電車を降りて、高校までの道のりを歩いていたとき、彼女が視界に飛び込んできた。


 めぐは私より二〇センチ近く背が低く、赤みがかったショートボブに包まれた、小さな顔に配置されたパーツは、活発的に変化する。とてもかわいくて、とても明るい女の子。


 話しかけたい、という欲求がわき上がってくる。


 しかし、話しかけるきっかけというか、言葉が浮かんでこない。新入生なんてたくさんいるのだから、いきなり彼女にだけ話しかけるのは、どう考えても不自然だろう。


 それに、彼女の隣には男がいる。背が高くて爽やかなイケメンだ。親しげに話していることから、二人は昔からの知り合いなのだろう。


 恋人か、友人か、幼馴染か……。

 いずれにしても、邪魔だな。邪魔な人間には消えてもらうしかない。


 その後、高校に着くと、貼り出されたクラス分け表を見て、一組へと向かった。席は五十音順なので、廊下側の一番前の席が五十音順で最初の生徒――大抵は『あ』から名字が始まる生徒――となる。


 私の名前は青山ゆねといって、名字が『あ』から始まる。『あ』の次は『お』で、私以外に『あお』がつく生徒はいないし、最初の二文字が『ああ~あえ』までの生徒もいない。よって、私が出席番号一番だった。


 で、出席番号二番は――つまり、私の後ろの席は誰だろうか、と思い、黒板に書かれた座席表を見てみると、『赤坂めぐ』と書いてあった。


 かわいらしい名前だな、と初めに思った。『めぐ』という名前からして、女の子のはずだ。男にめぐと名付ける親は滅多にいない。


 後ろの席が男子なのは嫌だったので、ほっとした。赤坂めぐさんはどんな子なんだろう、と頬杖をつきながらずっと考えていた。


 もしかして、学校に来る途中に見た――一目惚れしたあの子なんじゃないか、とも思った。赤坂めぐというかわいらしい名前と、あの子の小動物然とした容姿は、見事に合致している。


 思索の海に深く潜りこんでいたからか、私は後ろの席に生徒が座ったことに気がつけなかった。声をかけられて、ようやく気がついた。


「あのっ」


 と、後ろから声がした。


「はい」


 私は後ろを向いた。

 一目惚れしたあの子が、かわいらしい顔で微笑んでいた。


「私、赤坂めぐっていいます」

「……青山ゆね」もう少し愛想よく言えばよかった。

「一年間、よろしくね」

「よろしく」


 私は差し出された小さな手を、ぎゅっと、ぎゅっと握った。柔らかい。温かい。ずっとこのまま握りしめてたい――。


「うっ……ちょっと痛いよ、ゆねちゃん」


 小さな抗議の声。

 はっとした。


「ごめんなさい」


 力強く握った手を緩めて――離した。名残惜しい……。でも、恋人同士になれれば、いつでもこの手を握ることができるのだ。


「あ、ごめん。『ゆねちゃん』って名前で呼んじゃった。いきなり馴れ馴れしいよね……」

「別に構わないわ」私は言った。「私もあなたのこと、名前で――『めぐ』って呼んでもいいかしら?」

「うん、もっちろん!」


 ひまわりのような笑顔だった。

 やはり彼女が――赤坂めぐが、私にとっての運命の人なんだ……。


 入学式が始まるまでは、まだいささかの時間がある。それまでの間に、邪魔者――めぐの隣にいた爽やかイケメンの情報を収集しよう。そう決めた。


 めぐの隣に立つのにふさわしいのは私。あの男はめぐにふさわしくない。ふさわしくない。ふさわしくない。


「さっき――学校に来る途中、めぐと一緒にいた男は誰?」

「え? ああ……。彼はね、私の幼馴染なんだ」

「このクラスじゃ――」私はクラスを見回す。「――ないみたいね」

「うん。隣――二組だよ!」

「名前、なんて言うの?」

「あ、もしかして、気になるの?」

「別に」


 気になるといえば気になる。だけど、それはめぐの言う『気になる』とは別種の『気になる』だ。私が惚れているのはめぐ、あなたなのよ。


「相馬颯、だよ」

「そうまそう……。ふうん。見た目通り、爽やかな名前ね」

「でしょ」


 めぐは相馬颯のことを幼馴染だと言った。幼馴染とは関係性で、恋人もまた関係性。めぐにとって彼はただの幼馴染なのか、それとも――。


 好き、なのか。


 もしも、めぐが相馬颯のことが好きなのだとしたら――排除しなければならない。めぐが好きになるのは私。ライバルは排除しなければ。蹴落とすだけじゃ駄目。社会的――いや、物理的排除が必要かもしれない。


「めぐは……」私は少し躊躇するが、続きを言う。「相馬颯のことが、好き、なの?」


 めぐは、果たして――顔を真っ赤にさせて俯いた。


 感情が表に出やすい、わかりやすい子だ。好き。


 その後――ぎりぎり、と私は歯ぎしりをした。幸いにも、そのことにめぐが気づく様子はなかった。私のうちにぐるぐると渦を巻くどす黒い感情も、もちろんバレていない。


 キンコンカンコン、とチャイムが鳴って、担任の教師が教室に入ってきた。


 ◇


 入学式が終わり、自己紹介など諸々の後、解散となった。授業は明日から始まるとのこと。クラスメイトがぞろぞろと教室から出て行った。私もめぐと一緒に教室から出た。


 教室から出ると、ストーカーのように気配を押し殺して立っていた爽やかイケメン野郎――相馬颯が私たちのもとへとやってきた。


「めぐ、こっちの子は?」


 私を見て言った。見ないでほしい。汚れる。でも、めぐのことを凝視されるのも、かなり腹立たしい。その大きな目をくりぬいてやりたい、と私は思った。


「青山ゆねさん。私の前の席の子」

「そうなんだ」奴は頷くと、私に言う。「僕は相馬颯。めぐの……まあ一応、幼馴染だ。よろしくね」


 手を差し出されたが、私は握手したくなかったので、その手に気がつかないふりをした。彼は少し首を傾げながらも手をひっこめた。


「ゆねちゃん、私たちと一緒に帰らない?」

「ええ」私は頷いた。


 私たちと――。ワタシタチト。


 できれば、めぐと二人で――二人きりで帰りたかったが、仕方がない。焦る必要はない。時間はたっぷりとある。これから、二人きりになる機会もたくさんあるだろう。


 三人で駅に向かって歩く。私は自分からはあまり話さず、二人の会話を聞いて、情報収集に努めていた。


 めぐが相馬颯のことが好きなのはわかっている。この恋慕が一方通行か否かが知りたかった。二人の顔の表情、その些細な変化を見逃さないよう、しっかりと観察する。


 その結果。

 どうやら、相馬颯もめぐのことが好きなのだと判明。


 片想いなら、何も問題はなかった。だけど、両想いとなると話は別だ。問題だらけ。まずいまずいまずい。


 二人はまだお互いの感情に気がついていないようだが、気がつくのは時間の問題。やがて、二人はお互いの気持ちを知り、結ばれる。結ばれてしまう――。


 それは何としても避けなければならない。


 私は話を聞きながら、相馬颯をどのようにして排除しようかと考えていた。


 ◇


 二か月という月日が経過した。経過してしまった。


 幸い、めぐと相馬颯の関係に進展は見られない。めぐが意外と奥手なのはこの二か月でよく理解したが、相馬颯は奥手ではないし、それに見かけ通りの爽やかイケメンでもないことが判明した。


 相馬颯の存在はあっという間に学年中に広がった。モデルか俳優でもやっていてもおかしくないくらいのイケメンだ。惚れる女子はたくさんいるし、僻む男子もたくさんいる。


 これはクラスメイトから手に入れた情報なのだが、相馬颯は案外プレイボーイらしい。来るもの拒まず、というほどではないが、かなり派手に遊んでいるらしい。まだ高校一年生だというのに、ずいぶんお盛んなことだ。


「ねえ、ゆねちゃん」


 二人で昼食を食べていると、めぐが落ち込んだ表情で言った。


「そーくんのことなんだけど、さ……」


 そーくん――相馬颯。私も愛称で呼ばれたい。いい感じの、ないかな……。


「相馬颯がどうかしたの?」

「うん……そーくん、いろんな子と遊んでるって、友達から聞いたんだ」

「私もそういう話は聞いているわ」

「本当、かな?」

「……」


 どう答えようか。本当よ、と答えるべきか。そんなのは嘘よ、とは言えない。できるだけ、めぐには嘘をつきたくない。


「もしも本当だったら、私、すごく悲しいな……」と心底悲しそうな顔で言った。

「めぐは――相馬颯のことが好き、なのよね?」

「う、うん……」


 言葉にして肯定されるのは、やはり辛いものがある。現実を顔面に叩きつけられたような、鈍い衝撃。ひょいっと、現実を避けることはできない。


「付き合いたいの?」私は尋ねた。

「うん」とめぐは言った。「でも、他の子と浮気したり、私とは遊びだったりするのは、嫌だな……」

「そう」


 私は浮気したりはしないわ。あなただけ、あなただけを見ているのよ。ずっとずっと、永遠に…………。


「どうしよう」

「どうしよう?」額から嫌な汗が流れ落ちる。

「告白、しようかな」


 やめておけ、あんな男――とはさすがに言えなかった。やんわりと否定的な言葉を言おうかと思ったけれど、なにも出てこなかった。


 相馬颯のせいで、楽しい楽しいランチタイムが台無しだ。どうしてくれる。奴は今頃、尻軽女どもと楽しく昼食を食べているのか、それとも、軽薄な男友達と猥談をしながら昼食を食べているのか。


 殺意が芽生える。いや、随分前から芽生えて、順調に育っている。


 昼休みが、過ぎていった――。


 ◇


「めぐ、帰ろう」


 放課後、私がそう言うと、


「ごめん、私行ってくる!」


 そう言って、めぐは教室から飛び出していった。陸上部のエースになれるくらいの素早さだった。どこに行ってのか、そして何をするのか、大体の予想がつく。


「待って」


 追いかけようとした私に、クラスメイトが言う。


「青山さん、掃除当番だよ」

「……そうだったわね」

「ほうきで地面掃いてくれる?」

「わかった」


 掃除をサボるのはよくない。何がよくないかと言うと、クラスメイトの反感を買う恐れがある。めぐ以外のクラスメイトとは、それほど仲良くしてないので、嫌われるようなことをするのは避けたい。円滑な、穏やかな人間関係を一年間保ちたい。


 私はボロボロのほうきで、床の埃を掃いた。


 ◇


 帰り道。

 私はめぐに尋ねた。尋ねなくても、表情でどうだったのか大体わかるけれど、めぐの口から正確なことを聞きたかったのだ。


「告白、したんでしょ?」

「うん」

「どうだったの?」

「駄目だった」めぐは言った。「いや、正確には駄目だったってわけじゃないんだけど……」

「どういうこと?」詳しい説明を求めた。

「そーくんも私のこと好きって言ってくれたんだけど、私一人とだけ付き合うのは無理だって……」

「つまり、愛人の一人みたいな扱いならってこと?」

「うん、まあ……そうなるの、かな」

「で、ちゃんと断った?」

「うう……」

「断ってないの? 断らないと駄目よ?」

「うん、そうだね……」


 めぐの悲しそうな顔を見るのが辛かった。今にも泣き出しそうで、でもそれを私の前だから堪えている。


 めぐはこんな顔をするべきじゃない。めぐを悲しませる奴は排除しなければならない。そして、私がめぐを慰めるのだ。


 ◇


 次の日、休み時間に廊下を歩いていると、相馬颯に出くわした。彼は一人で歩いていて、すれ違う時に目が合った。


「ゆねちゃん」と話しかけてきた。


 ゆねちゃん? 

 馴れ馴れしいな。馴れ馴れしいんだよ! ゆねちゃんと呼んでいいのは、めぐだけなんだ! こんな男に呼ばれると、私の魂が汚されたかのような、吐いてしまいそうな胸糞悪い気分になる。


 怒りを顔に出さないように気をつけながら、私は言った。


「何かしら?」

「めぐ、どう?」

「どうって?」

「昨日、コクられたんだよね」

「知ってるわ」

「僕さ、めぐのこと好きなんだけど、一人の子とだけ付き合うのは無理なんだよね」

「どうして、無理なの?」

「いろんな体を楽しみたいんだ」


 下種が、と言おうと思ったけど、やめた。

 その代わり、私は別のことを言った。


「もしかして、私の体も楽しみたいと思ってる?」

「そうだね。ゆねちゃんは僕の好みだったりするね。特に体つきがいいな」

「そう。じゃあ――」


 私は相馬颯の耳元で、続きを囁く。


「今日の夜9時。A公園まで来てよ。公園で二人で楽しいことしましょう」


 相馬颯は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに口元をだらしなく緩めて頷いた。


「このこと、誰にも言わないでね。秘密よ」

「わかった」


 ◇


 夜、私は念のため変装をして、準備を整えるとA公園に向かった。A公園は人気のない静かな公園だ。夜に遊んでいる子供はもちろんいないし、カップルなんかもいない。


 公園のベンチには、そわそわと落ち着きがない相馬颯が座っていた。

 私もまた、傍から見ると落ち着きがないように見えるかもしれない。何事も初めてというのは緊張するものだ。


 私はベンチに向かうと、


「お待たせ」

「どうしたの? いつもと雰囲気違うね。それに……その手袋……」


 私はゴム製の手袋をつけていた。まだ春なのに手袋をしているのはおかしいかもしれない。不思議がるのは無理もない。


 どうして手袋をつけているかというと、素手だと指紋がついたりするから。完全犯罪は不可能かもしれないけれど、できるだけ祥子の類を残さないようにしたい。


「気にしないで」と私は言った。

「そのカバンの中には何が入ってるの?」

「着替えよ」

「着替え?」


 相馬颯は首を傾げたが、すぐに納得が言ったように「なるほどね」と頷いた。


「それで……楽しいことって何をするんだい?」

「大体、想像ついてるでしょ?」

「まあ、ね」

「ここでするのは嫌だから、あそこのトイレに行きましょう」

「トイレ? まあいいけど……」


 トイレの中に入ると、私はズボンのポケットから折りたたみ式のナイフを取り出した。そして、見えないように背中に隠して刃を出す。彼はまだ、自分がどうなるかわかっていないようだ。頭の中はお花畑。


「私、初めてなの」

「え? そうなの?」

「だから、だから――頑張るね」

「ゆねちゃん!」


 抱きしめようとしてくる相馬颯の胸に、私は「死ねえええ!」とナイフを突き立てた。ぐちゅり、と心臓を貫く感触。血が服に染みる。


「あ、え……?」


 何が起きたのかわかっていないようだ。

 私は確実に相馬颯を殺すために、心臓を抉った。掻きまわした。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!


 ばたん、とトイレの汚い地面に相馬颯が倒れた。


「死んだ! 死んだわ!」


 私は楽しくなって、けらけらと笑った。


 血で汚れた手袋、上着、服、、ズボンを袋に入れて縛る。カバンから取り出した服に着替えると、公園に人がいないかよく確認して帰宅した。


 邪魔者は排除した。これで、めぐは私の物だ。

 あは。あはは。アハハハハハハハハハハ!


 ◇


「ゆ、ゆねちゃん……。そーくんが、そーくんが」


 ぼろぼろと泣いているめぐを、ぎゅっと抱きしめる。小さくて柔らかい体。いい匂いがする。かわいい。えへへ。


「聞いたわ。相馬颯のこと、残念だったわね」私は白々しく言った。「誰に殺されたのかしら? 彼に捨てられた女かしらね」


 校内では、『相馬颯は遊んで捨てた女に恨まれ、殺されたのではないか?』と噂されている。警察もおそらくは同じような動機だと考えているはずだ。


 今のところ、私が殺したことは誰にもバレていない。でも、これからどうなるかはわからない。ミスはしていないと思うけれど、それはあくまでも私がそう思っているだけに過ぎない。実際は、大きなミスをしていて、ある日、我が家に警察がやってくるかもしれない。


 今は、先のことなんて考えず、めぐを慰めることに全力を注ぐことにしよう。弱みに付け込むようで、ほんの少しだけ申し訳ない気持ちになる。だけど、弱っためぐもとってもかわいいし、彼女を慰めることで、私たちの仲をぐっと縮めることができる。


 相馬颯――あなたの死は無駄にはしないわ。せいぜい、有効に活用させてもらうわ。


 めぐの頭をゆっくりと労わるように撫でる。泣きつかれためぐは、やがてすうすうと眠ってしまった。

 私は眠りの国にいるめぐにそっと囁く。


「愛してるわ。ずっとずーっと一緒にいようね、めぐ」

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彼女を手に入れるためなら、私はこの手を汚すことすら厭わない 青水 @Aomizu

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