心の音

 ある天気のいい朝、プチが迎えに来た。一緒に来いよと言っているようだったのでオレは付いていった。五歳の時の事だ。

 オレが住んでいるのは小さな島で、家の周りは森ばかりだ。家から出て山道に入っていく。プチは時々、人の気配を感じるとサッと隠れながら、オレのスピードに合わせて先導してくれた。目に入ってくる物、耳に入ってくる物、何もかもが初めてだ。肌に感じる物も今迄感じだ事のない心地よさがあった。

 家の中の物達は何だかトゲトゲしく見えたし、近づきたくない物でゴチャゴチャしてる感じがあった。音もイヤな感じがする物が多かったけれど、ここは違う。オレを受け入れてくれるような、包み込んでくれるような、そこにいるだけで生きている事を感じさせてくれるような何かがあった。


 随分長い時間歩いたように思う。

 人が入って来れないような森の中の、こんもりと盛り上がった所に穴が空いていた。プチがその中に入っていくと「くぅんくぅん」という声が聞こえた。プチと同じ位の大きさの犬が穴から出てくると、続いて真っ白なちっちゃい物が顔を出した。初めて見た時のプチに似ていたけれど、それよりももっとちっちゃかった。プチは仔犬を産んだのだった。最初に出てきたのがお父さんだろう。仔犬は五匹いた。そのどれもが真っ白だ。四匹はお父さんと同じ目の色をしていて、一匹はプチと同じ青い目をしていた。


 オレはお父さん犬にも最初から受け入れられて、仔犬達と仲良くなった。仔犬達と戯れ合って、時間がたつのも忘れていた。ここにいたかった。言葉が無い世界が心地良かった。言葉が無いからなのか? 犬達の心を感じ取る事が出来た。仔犬達はオレとずっと一緒にいたいと思っていたようだけど、母親のプチと父親犬はそれを許してくれなかった。

「帰らなくてはいけないよ」と言われているように、オレを仔犬達から引き離し、付いておいでと、プチが来た道を先導し始めた。家に着く頃には当たりは薄暗くなっていて、「明日の朝また迎えに来るからね」というようにプチは帰っていった。


 オレが戻ると、父さん、母さん、兄貴は、代わる代わる抱きしめてくれた。その身体に抱かれた時、父さん、母さん、兄貴のそれぞれの心の音がした。抱かれた意味が何となく分かった気がした。オレがあそこにとどまる事を、プチが許してくれなかった意味も何となく分かった気がした。

 オレは今日の事を家族に伝えたかったけれど、その伝え方が分からなかった。たまたま兄貴が使っているクレヨンとスケッチブックが置いてあったので、何か書いてみようと思った。今、一番頭の中に浮かんでくる絵をその紙に描いてみた。プチと5匹の仔犬とお父さん犬とオレ。使ったのは黒いクレヨンと青いクレヨン。大きい丸が二つ、その一つの中に二つの青い目。中位の丸が一つ、その中に二つの青い目。小さい丸が五つ、その一つの中に二つの青い目。それがオレが描いた絵だった。オレ自身を中位の丸で表したつもりだったけど、何故か犬達と同じ形にしか描けなくて、しかも何故か青い目になってしまうのだった。

 この絵の意味を、その時家族がどこまで理解してくれたか分からなかったけれど、この絵を見て、オレがやる事にいちいち不安にならずに、オレを信じてくれるようになったと思う。


 プチは翌朝も迎えに来てくれた。暗くなる前にオレは一人で家に帰り、その日一緒に遊んだ蝶々の絵を黒いクレヨンで書いて家族に見せた。

「ちょうちょ」という言葉を何回も聞かされ、オレは「ちょうちょ」という言葉を覚えた。

 次の日からはプチに迎えに来てもらわなくても、一人でその場所に行けるようになった。

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