22、『私はあなたの愛を信じない』

 ◇


「結構甘かったね……。俺にはちょっときつかったかも……」


 グレッグは甘いものは苦手だったらしく、注文したパフェを半分近くも残していた。


 リコリスはグレッグとのんびりお茶を楽しむ気もなかったので、淡々とスプーンを口に運び、ごちそうさまでした、とにっこり微笑んでおいた。


 だらだら歩くグレッグを先導するように「お花屋さんはこっちです」と歩く。


 以前、オーランドが屋敷中に花を用意した時とは比べ物にならないが、それでもじゅうぶんな種類を取り揃えている。


「うわー、すごい量!」

「ええと、奥様のイメージなどはありますか? もしくは、好んで着ているドレスの色などがわかるといいのですが」

「えーと、ドレスはピンクとか赤とかが多いかな。わりと派手な色が好きだよ」


 グレッグがまともに答えたので、一応奥方へのプレゼントを選ぶつもりはあるらしいとほっとした。リコリスを連れまわし、オーランドとの関係やバイオレットのことをちくちく探られるために連れ出されただけだったらと思っていたからだ。


「薔薇……のイメージではないのでしたよね。では、ユリはどうですか?」


 ぱっと開いた白やピンクの花弁は華やかでいて清楚な雰囲気もある。


「うーん……。もうちょっと派手な色かな。これとか」


 グレッグが手に取ったのはゼラニウムの花だった。


 肉厚な緑の葉に映える鮮やかな濃いピンク。植木用の花としても重宝されていて種類も様々ある。細い茎に花弁がいくつも集まり、丸い形が愛らしい花だ。


「小さくて愛らしいのに、派手好きで虚栄心が強いんだ。……花言葉、教えてくれる? リコリスちゃん」


 奥方を称する言葉には棘が含まれている。


「ピンクは『決心』とか、『決意』……。赤は『あなたがいると幸せ』です」

「ふーん……。ちなみに白は?」

「白は……」


 リコリスが顔を曇らせると、グレッグは察したようだった。


「あれ? 良くない意味だった?」

「はい。『私はあなたの愛を信じない』です」

「あははは、色によってそんなに違うんだね。面白いなあ……」


 じゃあ、白を。

 グレッグが店主にそう声を掛けたので驚いてしまった。あまり良くない意味だという話をしたばかりだというのに。


 白のゼラニウムを基調とし、残りの花は花屋に選んでもらった。可愛らしい感じにしてほしいと言うグレッグの要望通り、黄色やピンクの小花を合わせてくれる。


「グレッグ様……、その、奥様と喧嘩でもしていらっしゃるのですか?」

「ううん。関係は至って良好だよ。妻は僕がことを知らないから」

「……? なんの話ですか?」


 ミニブーケを片手にグレッグは上機嫌に歩き出す。

 にこにこ微笑んだままで、世間話のようにリコリスに話し出した。


「妻はねぇ、昔、すごくすごーく好きな相手がいたんだ」

「? はい」

 よくわからないままに相槌を打つ。


「相手は社交界でも有名な美男子。対する妻は家柄もそんなに良くなければ、目立つ美人でもなくて。でも奇跡が起こって、その相手に振り向いてもらえたんだ。だけど、やっとのことで振り向いてくれた相手が優しかったのはたった一度だけ。そこから見向きもされないのが悔しくて、自分に振り向いてくれない彼に当てつけるように、彼の友人と結婚したんだよ」

「……それって……」


 誰の話をしているのか。

 察したリコリスはひやりとした。


 グレッグの表情は相変わらず笑顔のままだが、道化師の仮面のようにのっぺりとした笑いだ。怒りも悲しみも感じさせない声だからこそ不気味で恐ろしい。


「アハハ、でもさ、さぞ複雑な顔で結婚を祝われるだろうと目論んでいたのに、結婚式で『綺麗な奥方だな。幸せになれよ』って。相手は妻のことをなーんにも覚えてなかったんだ。星の数ほどいる相手の一人にしか過ぎなくて、記憶に残す価値もなかった女なんだ。……俺はそんな彼女のことがずっとずっと好きだったのに」


 表通りから外れた路地から、男が四人現れた。


「もしもオーランドが本気になる相手が現れたら、その時はどんな仕返しをしてやろうかって楽しみにしてたのに。……残念だよ、バイオレット。どこぞの高貴な令嬢だったら面白かったのに、正体が中流階級の家庭教師じゃ、たいしたスキャンダルにならないなあ」


 リコリスの両脇を男たちが掴む。

 動きを封じられたリコリスはキッとグレッグを睨んだ。


「グレッグ様が何をおっしゃっているのか、わたしにはわかりませんわ」

「あ、シラを切るつもり? まあ、今さら否定しようが肯定しようがどっちでもいいけどね。だってきみ、どう見てもオーランドのだろう?」


 グレッグは優しい手つきで仮面をリコリスの頭に乗せた。

 エトランジェで奪われた、レディ・バイオレットの仮面。つまり、グレッグが男たちを雇ってバイオレットを襲わせたのだ。


「せいぜい、オーランドを絶望させてね。リコリスちゃん。……バイオレットは男の相手は慣れっこかな?」

「卑怯者! どうしてオーランド様にも奥様にも、自分が傷ついているって言わないの? こんな風に仕返しするくらいなら、二人に怒ればよかったじゃない!」

「よくも人の片想い相手を寝取ってくれたな、って? それってすっごく格好悪いね」


 グレッグが視線を投げかけると、男の一人がリコリスの口を塞いだ。暴れたが、男二人に引きずられ、路地裏に連れ込まれていく。


「恨むならオーランドと……いけない夜遊びをしていた自分を責めるんだね」

「~~~っ! ~~~!」


 くぐもった声など何も聞こえなかったふりをしてグレッグは行ってしまう。

 男たちは涙目のリコリスを見て「ホントにバイオレットか?」と鼻で笑った。


「化粧してないとなんの色気もないな」

「女は化けるって言うからな」

「まあでも、エトランジェで見たときはなかなかいい身体してたじゃないか」


 ニヤニヤと下品な眼差しでリコリスを舐めまわす。

 男の一人の手が足に触れ、気持ち悪さで鳥肌が立った。叫ぼうにも声が出さず、強く口を塞がれているせいで呼吸が荒くなる。


 嫌、こんな奴らに――。震える身体で睨みつけたリコリスの耳に、ガッ、と短い悲鳴が届いた。路地に駆け込んできたのはオーランドだ。


「リコリス!」

(オーランド様!)


 男たちの手から逃れようともがくリコリスに駆け寄ろうとしたオーランドだが、


「邪魔するなよ、坊ちゃん」


 男の一人が木片を手に殴りかかる。オーランドはそれを除け、男の腹に拳を入れて沈めた。しかし、別の男の拳がオーランドの左頬を捕らえる。よろめいたオーランドが反撃しようとするが四対一だ。


 そこへ、甲高い少女の声が聞こえてきた。


「キャーッ! 誰かぁ!」

「助けてぇっ!」


 チェルシーとターニャの声だ。路地から離れているところで声を張り上げているらしい。舌足らずに助けを呼ぶ声は良く響く。


「ちっ……行くぞ!」


 男たちはリコリスを放り出して逃げだした。抱きとめたのはオーランドだ。


「オーランド様……」

「リコリス……!」


 ぎゅっと抱きしめられる。リコリスの身体から力が抜けて、涙が盛り上がった。


「無事で良かった……」

「……っ、どうして、ここに?」

「お前の家を訪ねたら、グレッグと出かけたと言われて追いかけてきた」


 とにかく、人が集まる前に戻ろう。話は後で聞く。

 オーランドにそう言われて頷く。


 路地の入口には昏倒したグレッグが倒れていた。『見張り』として立っていたところをオーランドが殴り飛ばしたらしい。打ちどころが悪かったのか気絶したままだ。


 オーランドは無視して通り過ぎようとしたが、リコリスは足を止めた。


「オーランド様。わたしは歩けますのでグレッグ様を連れて帰って下さい」

「は?」

 何を言っているんだと眉間に皺を寄せられた。


「……この人はオーランド様の『友達』でしょう?」

「こいつはお前を危険な目に合わせたんじゃないのか!」


 何も事情は知らないとは言え、オーランドにとっては「リコリスが男たちに襲われそうになっていたところを放置した男」だ。


 通報してくれと懇願するならまだしも、連れて帰ってどうするのだと怒っている。

 リコリスと一緒に選んだ白いゼラニウムのブーケは、殴られた衝撃で吹き飛び、無残にも崩れていた。


「連れて帰って下さい。……お願いします」


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