14、重なる面影

 突然の指摘に今度はリコリスの方が噎せた。

「ど、どうして⁉」

 どうしてそこでオーランド様の名前が出るんだ。


「ほら、前に随分と冷たく当たってくると愚痴を言っていたから……、何か嫌なことでも言われたんじゃないかと思ってね」


 ああ、そっちか。

 恋愛面での心配ではなく、虐められていると勘違いしたらしい父に安堵して気を取り直した。


「違うわよ。オーランド様は何も……関係ないわ」


 お茶のお代わりを淹れるわね、とリコリスは立ち上がる。


 結婚相手を選ぶならオーランドみたいな相手は決して選ばない。そんなことを思いながらも、バイオレットに拒絶され、傷ついたオーランドの顔がリコリスの頭からは離れないでいた。



 ◇



「オーランド様が風邪?」

 思わず聞き返してしまったリコリスに、「そうなの」とターニャが相槌をうった。


 真面目な授業に飽きだしたターニャが、詩の本をぱらぱらと捲る。ターニャよりもいくぶん我慢強いチェルシーもこの話題に乗ってきた。


「先週の夜、ひどい雨が降ってきたでしょう? お兄さまったら馬車も使わずにずぶ濡れで帰ってきたのよ。それで風邪を引いちゃったみたい」

「先週の夜……」


 バイオレットとのやりとりがあった日だ。


 リコリスが馬車で帰るときも天気が崩れかかっていたが、夜半になってひどい雨になったのだ。翌日はからりと晴れたため、自宅のハーブ園での作業は支障が出ずに済んだのだが……。


「お兄さまったらお馬鹿よねー。面倒くさがらずに馬車で帰ってくれば良かったのに」


 馬車を呼ぶのを無精したのだと思っているらしいターニャに、チェルシーはふふんと笑った。


「ターニャはまだ子供ね。馬車も拾えないくらいの『何か』があったんでしょ」

「何かって?」

「……わからないけど何かよ」


 名探偵チェルシーの目が妖しく光る。


 的中しているので、リコリスは何とも言えない。既にこの歳でチェルシーは良い勘のよさだ。あと数年経てば、恋人が浮気などしようものなら一発で嗅ぎつけてしまえるかもしれない。


「そういえばリコリス先生。気になっていたんだけれど、この間、何の用事でお兄さまに呼ばれたの?」


 ターニャが話題を変える。

 しかし、リコリスにとってはあまり嬉しくない話題の変え方だ。


「大した用事ではありませんよ。お花を選ぶのを手伝って欲しいと言われただけで」


「まあ! お兄さまがお花を! それはどなたかへのプレゼントということね!」

「そ、そうですね」


「どなたですか? リコリス先生、何かご存じなのではなくって?」

「さあ……そこまでは……」


「そのお花をお渡ししたお相手と雨の晩に何かがあったのかしら。お兄さまが誰かのためにお花を選ぶなんてよっぽどのことだもの。これまでのお相手とは違うことは確かね。お花に詳しいリコリス先生まで呼ぶんだから、一体どんな……」

「あの! 良ければわたし、風邪によく効くハーブティーを持っているので、宜しければ後で届けます」


 聞いていられなくなり、つい余計な提案をしてしまった。


「あっ、前にターニャたちにもくれたやつ?」

「え、ええ。ちょうど週末に自宅に戻ったので、男爵邸の方に乾燥させたハーブを持って帰ってきたんですよ」


「リコリス先生、やさしーい」

「本当。あんなに冷たくお兄さまから当たられていたのに……。あっ、それでお兄さまはリコリス先生と仲良くしようと思って頼みごとをしたのね!」


「それは……わたしにはわかりませんが」


 あの日、ぽいっと渡されたダリアの花を思い出す。


 いきなりリコリスがオーランド宛てに茶葉を渡したら怪訝に思われるかもしれないが、貰った花の礼だと言えば理由になるだろう。勤め先の子息を心配するのもおかしな話ではない。チェルシーやターニャが心配していたから、話の流れで。うん、そういうことにして渡そう。


 授業の後、お茶とお菓子を断って男爵邸に戻り、茶葉を持って再び伯爵家を訪れた。


 探していたメイド頭を廊下で見つけ、リコリスは事前に考えていたとおりの説明して茶葉を渡す。


 奥様がよく眠れずに悩んでいた時やチェルシーたちの調子が悪い時にも、リコリスの配合したハーブティーを差し入れたことがある。メイド頭は心得ているとばかりに受け取ってくれた。


 それでは、と帰ろうとしたリコリスが踵を返すと、


(!)


 廊下を歩いてきたオーランドと目が合った。

 パジャマにガウンをひっかけただけのしどけない姿だ。


 リコリスは気まずさから目を逸らしてしまったが、メイド長は初心な家庭教師が照れてしまっていると思ったらしい。


「まあま、坊ちゃま。そんな格好でうろうろして……。リコリス先生が目のやり場に困っていますよ」

「ここは俺の家だ。どんな格好をして歩こうが勝手だろう」

「はいはい。そうですわね。今、リコリス先生がハーブティーを持ってきてくださったんですよ。さっそくお部屋にお持ちしますね」


「……ハーブティー?」


 胡散臭げな顔でリコリスを見下される。

 チェルシーたちの授業は終わったはずなのに、いつまで屋敷にいるんだと言いたげな表情だ。リコリスは居心地悪く身じろぎした。


「……お嬢様たちがオーランド様の体調を心配なさっていたので、お見舞いです。カモミールとエルダーフラワー……、身体を温める発汗作用とリラックス効果のあるお茶をお持ちしましたので……。宜しければ」


 飲みやすくするためにレモンバームも少し加えた、リコリス特製のハーブティーだ。これを一日に数回、水分補給でしっかりととれば身体もよくなる。


「どういう風の吹き回しだ」


 リコリスがオーランドの機嫌をとるような真似をするなんて、なにか打算でも働いているのかと勘繰っているのだろう。……家庭教師との女性とトラブルがあったと言うなら尚更で、オーランドがリコリスに冷たく当たるのもそういう理由だったのかと分かったばかりだ。


「この間頂いたダリアのお礼です」

「…………ダリア? ああ……」


 オーランドはとりあえず納得してくれたらしい。


「……では、わたしはこれで失礼致します。お大事になさってくださいね」


 オーランドの声は掠れているし、具合が悪いのに長々と立ち話をするのも身体に触る。


 一礼して立ち去るとオーランドから声が掛かった。


「おい、もう夕方だ。家の者に送らせる」

「へ? あ、いえ、ええと、叔母が心配して馬車を出してくれたんです。だから大丈夫ですよ」


 心配というのは嘘だ。この後、急いで帰ってバイオレットに着替えるためである。


 この数日を持って、エトランジェに行くのはもうやめる。先ほどハーブティーを取りに戻った時、リコリスはそう宣言していた。


 オーランドは体調不良――エトランジェに来る可能性は低い。


 今頃、メイドたちは『遊び収め』だととっておきの髪型やドレスを考えて待っているだろう。叔母との秘密の遊びは、これでもうおしまい。


「それならいい。遅くならないうちに帰れ」


 バイオレットに対するものとは全く違う、甘さの欠片もない声と態度。

 それでも一応女一人で家に帰すことを心配してくれているらしい不器用な優しさに、リコリスはクスっと笑いを漏らした。


「心配して下さってありがとうございました。それでは、失礼しますね」


 ふわり。微笑んだ顔にオーランドが目を瞠る。

 そんなオーランドの表情に気が付かないまま、リコリスは早足で伯爵邸を後にした。

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