05、「弄んで捨ててはどうですか?」「無理ッ!」

 ◇


(難攻不落のレディ? あれが?)


 走り去っていく赤いドレスの令嬢をオーランドは追わなかった。……聞いていた話とずいぶん違う。


 今や社交界の男たちの間ではバイオレットという謎の令嬢の話題で持ちきりだ。


 世慣れていて、男性を楽しませる艶っぽい会話から、知的な会話までお手のもの。けれど、不必要に身体に触れようものならきっぱりと跳ねつける。


 いかにも経験豊富な女性はちょっと……という男は大多数だが、バイオレットからはそういったふしだらな雰囲気は感じられないのだという。遊び慣れた男たちにとってはかえってそれが新鮮で、我こそはバイオレットを落として見せると声をかけ、撃沈するものがいるとかいないとか。


 不思議なことにその正体は誰も知らない。


 オーランドならわかるんじゃないか、と友人にそそのかされて見物に来てみれば――狼狽えた少女は想像よりもずっと若い。若作りした二十代かと思ったが、おそらく自分より年下だろう。


(亜麻色の髪に、菫色の瞳。そして俺のことを知っている社交界の女か。……ヘンドリック家の娘? いや、背丈が違う。パーシバル家の娘でもないな)


 幾人かそれらしい年頃の娘を思い浮かべてみるが誰とも当てはまらない。なるほど、確かに噂になるわけだ。しかも……。


(キスひとつであれほど取り乱すとは)


 さらりと受け流されて終わりかと思っていた。


 年嵩の男とも楽しげに踊っていたし、男あしらいも慣れているとばかり。後腐れなく遊ぼうと考えていたオーランドにとっては予期せぬ反応だった。そして、そんな反応が可愛いとすら思ってしまった。


 いったい誰なんだ、彼女は。


 ……どうやら自分も、このダンスホールに来ている男たちと同じように謎のレディに興味を持ってしまったようだ。



 ◇



「あら、リコリス? 今日は早いわねえ」


 男爵邸でロクサーヌに出迎えられる。


 ……ちなみに、リコリスはエトランジェから帰宅するときは仮面を外し、地味な侍女風のドレスに着替えている。バイオレットの存在が話題になり始めてからは、どこの令嬢か突き止めようと、馬車の後を追跡してくるような輩が現れるようになったからだ。


 叔母と懇意の支配人室で着替え、裏口からそっと迎えの馬車に乗って帰ってくる。

地味なドレス姿のリコリスは「出たのよ」と呟いた。


「なあに? お化けでも出た?」

「お化けの方がましよ。今日はオーランド様が来ていたの」

「あらやだ、もしかしてバレちゃった?」

「ううん。バレてない……と思うけど」


 キスされた、なんて言えずにリコリスは頭を振った。


 まさか冴えない家庭教師があんなところにいるなんて思うまい。

 というか、リコリスが一目見ただけでオーランドと気づけるのだから、オーランドだって気づいてもおかしくはないのだが……。よっぽど普段のオーランドはリコリスに興味がないに違いない。


 しかし、何度も顔を会わせれば勘づかれる可能性が高いだろう。


「やっぱり、もうエトランジェに行くのはやめましょう。バレたら伯爵家をクビになってしまうわ」


 ロクサーヌは大げさに肩を落とした。


「そんなあ……。せっかく姪っ子を可愛くする遊びなのに。娘たちが嫁いでしまって寂しい叔母を慰めてはくれないの? ううっ、ひどいわリコリス……」

「泣き落とししてもダメです」


 両手で顔を覆ったロクサーヌはぺろりと舌を出す。


「家庭教師がダンスホールに居ちゃいけない、なんて伯爵家との契約書には書いてないでしょう?」

「……書いてなくても、チェルシー様やターニャ様に悪影響だって言われるわ」

「彼女たちの兄であるオーランド様はずいぶんと奔放な暮らしをしていらっしゃるのに? そうだわ、いっそのことレディ・バイオレットが弄んで捨てちゃいなさい」


 オーランドを弄んで捨てる⁉

 そんなハイリスクでノーリターンなこと出来るわけがない。


 言葉を失ったリコリスを前に、「それはいい考えですわ!」とメイドたちが顔を輝かせた。


「その気にさせてポイ捨てなんて、オーランド様の十八番おはこじゃありませんか。たまには振られる気持ちを味わってもらうのも悪くありませんね」

「レディ・バイオレットも俺の手にかかれば口説き落とせるんだぜーなんて思っていらっしゃるのでは?」

「もしバレちゃったとしても、どういう顔をするのかちょっと見物ですわね」


 さすがロクサーヌの『遊び』に付き合っているメイドたちだ。動じないどころか完全に面白がっている。


「無理よっ、無理無理! ぼろが出てすぐにバレるに決まってるわ!」

「そこを上手く騙すのよ。それともリコリス、オーランド様に迫られたらどきどきしちゃう?」


 あっという間に唇を奪われたことを思い出す。


「しませんっ!」

「あらあら、そんなに怒ってどうしたの? まあ、いざとなったら私が伯爵家に話をつけるから大丈夫よ」


 ロクサーヌはころころと笑う。


 元々伯爵家が家庭教師を探しているとロクサーヌに声をかけたのが始まりだ。もしオーランドに見つかって騒ぎになったとしても、ロクサーヌと付き合いのある伯爵夫妻がうまく納めるだろうし、リコリスだって働かなければならないほど困窮しているわけでもない。


 ロクサーヌは退屈しているのだ。結局のところ、この遊びを続けたいというのが彼女の本音である。


「……と、とにかく、しばらくエトランジェに行くのはやめるわ。様子を見て考えます!」


 メイドに仮面とドレス一式を押し付け、リコリスは足早に部屋に戻った。


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