04、夜の姿での遭遇

 少々高圧的とも思える誘いは、あの銀の仮面の青年だった。どうやったのか女性たちを撒いてきたらしい。いや、それよりも聞き覚えのありすぎる声に、リコリスの背中にだらりと汗が伝った。


(オ、オーランド様⁉)


 声、体格、そしてあのモテっぷり。


 オーランドに嫌味を言われる度に下から見上げていたリコリスは、喉仏の上に黒子があることを知っていた。その黒子の位置も――一致する。


 リコリスの顔から、ざあーっと血の気が引いた。


(ままままさか、わたしがリコリスだってバレ……)


「お手をとることは許していただけないだろうか?」


 いいと言っていないのにサッと手をとられて口づけられた。

 熱の籠った仮面の奥の瞳。断言出来るが、オーランドはリコリスに対してこんな目で見てこない。


 ……バレていない?


 そう分かると冷静になった。


「……いいえ。こちらの方ともう一曲踊る約束をしているの」


 余裕たっぷりに微笑み、口髭の紳士の手をもう一度とる。

 まさか断られるなんて思ってもみなかったのだろう。オーランドはぽかんとしていた。


(ふ、ちょっといい気味だわ)


 黙っていても女性が寄ってくるオーランド。彼自らわざわざ誘いをかけた女性に振られるなんて屈辱的に違いない。


「これも君流の駆け引きのひとつかな、レディ?」

「あら、なんのことかしら?」

「とぼけるのが上手いね。彼が社交界きっての色男だって気付いていて振ったんだろう」


 口髭の紳士はくすくす笑う。さすが、踏んできた場数が違うのか、こうした機微には敏いらしい。


「彼よりもあなたとのダンスの方が魅力的だったとは受け取って下さいませんの?」

「嬉しいことを言ってくださいますね。では、あなたのお眼鏡に叶うならば、また私とのダンスを受けてくださると嬉しいな」


 一曲踊り終えると、男性は芝居がかった仕草でお辞儀をし、去っていった。


 遊び方を心得ている男だ。若い娘にがっついたりせず、時間をかけて攻略していくのが彼の流儀なのだろう。後腐れのない関係を持つのがうまそうだ、なんて冷静に分析をしてしまう。


 ダンスの輪から外れたリコリスは、飲み物をもらって一息ついた。


 オーランドはどこに行ったのかと視線を巡らせると、取り巻いていた女性たちはもう解散してしまっている。


(帰ったのかしら?)


 まさかね、と笑ってしまう。大方、適当な女性とお楽しみに違いない。


 オーランドがモテるということは知っていたが、実際にああして取り巻かれているところをみたのははじめてだった。あれだけ色んな女性がいれば選び放題だろう。


(ここは、普段羽目を外せないような貴族が遊びに来るのよ。オーランド様なんかこんなところに来なくたって、羽目を外しまくりでしょ……)


 今夜は早めに帰ろうかしら、と夜風にあたるためにバルコニーに出ると、手すりに身体を預けて外を眺めている先客がいた。


 広い背中が振り向かえる。――本日二回目の遭遇だ。そこにいたのはまさかのオーランド・スペンサーその人で、リコリスはバルコニーに足を踏み入れたことを後悔した。


「……レディ・バイオレット」

「あら、先ほどの」


 何気ない口調を装う。さすがにすぐに回れ右をしたら変に思われてしまう。


「考え事のお邪魔をしてしまったかしら」

「……いいえ。貴女のことを考えていました」


 自嘲気味に笑みを浮かべたオーランドは「女性に断られたのは初めてなもので」と付け足した。嫌味なやつだ。


「わたしがお相手しなくとも、あなたの周りにはたくさん女性がいらしたでしょう?」

「たくさんの女性に囲まれるより、たった一人の相手を振り向かせたい……という気持ち、わかって頂けませんか?」


 たった一人の相手を振り向かせたい? 

 色んな相手をとっかえひっかえして遊んでいるくせによくそんなことが言えるわね、と呆れてしまった。


「さあ? 意中の相手がいらっしゃるなら、他の相手には目移りしないものだわ」

「では、貴女も意中の相手がいらっしゃらないのですね。蝶のように男性客の間を渡り歩いているようですから」

「そうだとしても、あなたには関係のないことです」


 夜遊びを責められるような口調にむっとしてしまう。


 バイオレットはダンスをしているだけだ。ふしだらな女のような言い方をしないで欲しい。


 こっちはあなたが女性をとっかえひっかえして遊んでいるって知っているんですから! と言いたくなるのを我慢して、リコリスはバイオレットらしく嫣然と微笑んでみせた。


「あなたとはどうも合わないようだわ。失礼」


 リボンをひらめかせてリコリスは踵を返す。


 自分になびかない女とわかればオーランドは帰るだろう。しかし、予想に反してオーランドはリコリスの腕を掴んで引き留めてきた。


「ずいぶんと冷たいんですね。……もしや、俺の知り合いですか?」


 ぎくっとした。


 過剰に冷たくしたのでかえって怪しまれているらしい。


「いいえ。……ただ、あなたの噂を耳にしているもので」

「噂? どんな……?」


 低く、囁くような声音は、背筋が粟立つほど甘い。


 この男は銀の仮面の裏で笑っているに違いない。ただ、噂のレディ・バイオレットにちょっかいをかけてみたいだけだ。気まぐれの、ゲームみたいに。


「ろくでもない噂よ。あなたが一番ご存じでしょう」

「なるほど、貴女は俺が嫌いなようだ」

「ええ。そうね。嫌いだわ」


 掴まれた腕を振りほどこうとする。


 バイオレットの姿でオーランドに媚を売りたいなんてこれっぽっちも思わない。


「あなたみたいに不誠実な人、大嫌い」


 リコリスを捕らえていたオーランドの手が緩む。

 腕を引き抜こうとした瞬間、オーランドの手のひらがリコリスの頬を包んだ。顔を傾けるように近づけられ、あっという間に唇を奪われる。


「⁉」


 ちゅっと触れるだけのキス。

 リコリスは慌ててオーランドの身体を突き飛ばした。

 唇を手で押さえ、その場から走って逃げる。


(~~~信じられない! 信じられないっ!)


 転びそうになりながら女性用のパウダールームに逃げ込んだ。もちろんオーランドは追ってこない。客は誰もいなかったので遠慮なく絨毯の上にしゃがみ込んだ。


(キス、された……? オーランド様に⁉)


 あっという間の出来事だった。


 リコリスが身構える隙も無く、ちゅっと唇を奪われて――実に手慣れたキスだった。


(最低。相手が誰でもああいうことするのね!)


 キスひとつで女性がなびくと思ってるのか。


(しかも、バイオレット相手に……、そう、バイオレット相手に!)


 なんてことだ。難攻不落の謎のレディが、キスひとつで動転して走って逃げるなんて!


 恋に不慣れな令嬢ですと自ら暴露しているようなものだ。オーランドがバイオレットの素性を調べたりしたらどうしよう。


(……バイオレットの正体は、あなたが馬鹿にしている家庭教師でした……なんて知られたら……)


 ぞっとして首を振る。そんなことになったら、オーランドは怒ってリコリスを解雇し……あまつさえ、夜遊びをするふしだらな家庭教師だなどと吹聴するかもしれない。


 やっぱり、この「遊び」はもうやめるべきだ。

 鏡の中にいる仮面の令嬢と目が合う。そこにいたのは余裕たっぷりに微笑むバイオレットではなく、取り乱して真っ赤な顔をした、ただの少女だった。

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