一週間目の手紙

世一杏奈

黒い手紙


 今朝のことだった。眠たい目を擦りながら起きたあなたは、直後に違和感を覚えた。

 今は朝であるはずなのに、そうとは思えないほどに部屋が暗かったのだ。


 窓の向こうを見ると、太陽はなく、灰色雲が広がっていた。納得こそしたが何だか朝になった気がせずに眠気は増す一方だ。


 けれども、出社しなければいけないあなたは、大きな欠伸をひとつして耐え、簡単に朝食を済ますと、一人で暮らすワンルームを出る。





 あなたには、とある日課がある。出社前に郵便受けを確認することだ。

 これをやらなければ、あなたの一日は始まらないように、ずっと続く日課。


 いつものように、マンションの玄関口にある郵便受けの中から、自身の部屋番号を見つけて、ダイヤルを手に取り番号を合わせてから蓋を開ける。


 そこには不思議なモノが入っていた。


 空っぽの郵便受けにひっそり潜むように、一通の黒い手紙が入っていた。


 不気味に感じた。

 ただの届けものではないことに気付いたからである。


 黒い手紙には、差出人の名前もなければ、あなたの名前も書いていない。住所もなければ、切手も、消印も、見当たらない。

 何一つ書かれていない、純粋な黒い封筒だった。



 少し驚いた。

 しかし感情は驚くに留まる。


 最終的なあなたの考えは「イタズラ」だ。

 確かに不気味に感じはしたが、何かされる心当たりもなければ、罪悪を感じる行為をした記憶もない。

 つまりは、住所も切手もないということは、誰かが故意に入れたとしか考えられない訳で、あなたのマンションはオートロック式ではないし誰でも投函できる訳で、子供が何となしに手紙を入れて、それを楽しんでいるのだろう。

 ここら一帯は住宅街だし、悪ガキの一人や二人はいるだろう。

 楽観的に考えたあなた。あまり気に留めることはなかった。カバンに黒い手紙を入れるといつも通り会社に向かった。


 それからは、いつもと変わりない一日だった。

 変哲もない、仕事で忙しない一日。

 あなたはとっくに忘れている、黒い手紙のことなんて。帰宅して、ご飯を食べて、何もなかったかのように寝た。






 次の日の朝。あなたが起きてみると、部屋は昨日と同じに真っ暗だった。

 昨日と同じにカーテンを開けると、昨日と同じに曇り空だった。やはり朝日がないと、どうも起きた気分になれない。


 眠気は消えることなく、うつらうつらと首を垂らしながら、昨日と同じにマンションを出て、会社に向かう。

 それからマンション前にある郵便受けに立ち寄った。今日も忘れないあなたの日課。

 郵便受けの確認をする。



 蓋を開けてみると、中には道路工事の知らせの紙が一枚入っていた。それからもう一通、見覚えのある手紙がある。昨日と全く同じに、目に映ったのは黒い手紙だった。今日届いたそれにも、名前も切手も跡も無い。


 あなたは慌てて、カバンに入れたはずの黒い手紙を確認する。

 手先にはカサカサとした紙の感触があって、しっかりと掴んだことを確認してゆっくり取り出すと、掴んだ先には黒い手紙がしゃんとあった。

 今日郵便受けに入っていた手紙と比べてみる。瓜二つだ。


「いたずら……」


 思わず声に出た。

 二日も続けてこのようなことが起きるだろうか。

 疑問は浮かぶが、今日も深く気に留めなかった。何故なら、何度考えても、こんなことをされる理由など身に覚えはなく「二日くらいなら」と思ったのだ。


 瓜二つの二枚の黒い手紙を重ねてカバンに入れた。

 視界から遠ざけるように奥の方に入れた。



 その後も昨日と同じ一日だった。

 変わったことも全くなかった。

 何事もなく帰宅した。

 何事もなかったように過ごし、そのまま寝た。

 けれども今日は、あなたに届いた黒い手紙のことを忘れられなかった。






 次の日の朝、今日も今日とて曇り空だった。

 三日続けて晴れない天気に、あなたは何だか胸がざわざわして、昨日も一昨日も覚えなかった眠気もすっかり覚めていた。


 それでもあなたがやることも、日課も変わるはずはない。

 会社に行くことも、郵便受けを確認することも、やるだけだ。



 あなたは今、自身の郵便受けの前にいる。

 蓋を開けようとする手が震えていることに気付いた。心臓は体内を駆け回るように気色悪い音を鳴らしている。


 中を確認すると、広告が一枚入っているだけだった。


 黒い手紙がなかったことに意味もなく安堵した。

 のんびり手を伸ばして広告を手に取り、持ち上げたあなただったが、広告の下に隠れていたモノを見て後ずさりした。


「ひっ……!」


 思わず声を漏らす。ひらりひらり、広告は落ちて、あなたの靴の上に落ちた。そこにあったのは手紙だった。

 知っている、黒い手紙だ。


 流石に気味が悪かった。

 隅々まで見ても柄すら描かれていない、手紙は純粋な黒色だ。


 思わず郵便受けにそれを戻して蓋をした。それから少し駆け足で会社に向かった。


 一日は、いつもと変わることなく過ぎていく。

 けれども、心臓は鳴りっぱなしで、落ち着く素振りをみせず、ドクリドクリ、と耳を舐めるように鳴っていた。

 今朝、そのままにした黒い手紙がどうなったのか、ただ不安だった。






 電灯が薄暗く照る、夜のマンションの玄関口。

 仕事を終えたあなたは自分の郵便受け前に立っている。


 普段は朝に確認するためにこの時間に立ち止まることは珍しいことだった。


 番号を一つ一つ確認するように合わせて、鍵を開く。それから恐る恐る蓋を開けた。黒い手紙は、きっちりちゃっかり、そこに居た。


 ぞわっとした感触が背中をなぞった。


 あなたは咄嗟に訳も分からず黒い手紙を乱暴に掴んだ。

 足音を強く鳴らしながら自室に向かい、震える手で鍵を掴み、戸を開けて、閉めて、鍵をかけると、靴も脱がずに、その場にぐにゃりとしゃがみ込む。

 少しだけ、息が切れていた。


 気にしないよう。気にしないよう。

 中身の確認をしていなかった黒い手紙。


 加減もせず握りしめていた黒い手紙は、形が見事に歪んでいる。それを砂埃で汚れた玄関の上に置く。

 その隣に、カバンの底に押し込んでいた2通の黒い手紙を並べた。その2通も、乱雑に押し込めていたために、形は歪んでいる。


 歪んだ3通の手紙を見ながら、あなたは一度、深く、深く、息を吐く。


 一番左端の黒い手紙を手に取り、封を開ける。ピリリピリリ紙を破ると、音が大きく反響したように錯覚した。


 封筒の端を押して入口を窪ませて、息を呑んで中身を見る。そこには薄っぺらい白い紙が山折になって入っていた。親指と人差し指で摘まみ取り、恐る恐る紙を広げる。


 そこには何も書かれていなかった。

 あなたは唖然とした。

 何も、何も書かれていない、それは真っ白な紙だったのだ。他には何か入っていないかと、まじまじ見たが、黒い手紙の中身は白い紙一枚だけだった。


 未開封だった残りの手紙も開けてみた。ピリリピリリ紙を破いて確認したが、どれも中身は白い紙一枚で、最初に開けた時と何ら変わりなかった。


 気色の悪い言葉でも書かれていると思い込んでいたあなたは、意味どう受け止めればいいのか分からず、その白い紙とにらめっこしていた。


「やっぱり、これは、ただのいたずら」


 あなたは、真剣に考えている今の状況がバカらしくなった。

 自分に言い聞かせるように「いたずら」と言う。


 言葉にしたことで、鳴り続けていた心臓も落ち着きを取り戻したようで、強張っていた顔も緩んでいった。


 あなたは全部まとめてゴミ箱に捨てた。

 そして何もなかったのだと繰り返し呟き、布団に入って寝た。

 考え疲れていたのか、その日はすんなり寝れた。






 次の日の朝。起きてカーテンを開ければ、曇り空だった。

 そしてその次の日も、また次の日も、晴れることはなかった。

 偶然なのか、必然なのか、黒い手紙も途切れることなく、郵便受けを開ければ毎朝、決まって一通入っていた。


 何もないなど嘘だと、あなたは分かっている。

 けれども、そう言い訳でもしていなければ落ち着かない。心当たりのない今のあなたに解決策など思いつかず、警察に行くのも億劫で、ただ諦めて、黒い手紙と、白い紙切れを見て、ゴミ箱に捨てるしかなかった。

 気付けば、そんな毎日が一週間続いていた。






「今日も、か……」


 意気消沈とした低い声で、あなたは言う。

 あなたは自分の郵便受けの前にいて、届け物を確認しているところだった。

 そこには変わることなく、黒い手紙が鎮座している。

 その場でピリリピリリ紙を破いて確認した所で中身に変わりはない。


 折角の休日だというのに、訳の分からぬ現象に、胃液が逆流するような嘔吐感を体いっぱいに感じる。



 ゴロゴロロロ、ズガン、ズドドドゴロゴロロ……


 空は普段と打って変わって激しさを増していた。

 黒い手紙が届き始めて一週間目の朝は、曇り空とは呼べないどす黒い空で、雷鳴が時折鳴っては、不安な心を煽ってくる。

 今でこそ雨は降っていないが、それも時間の問題だと思われた。


 あなたは唇を噛んで、とぼとぼ自分の部屋に戻った。

 自室に入ると、手紙をぐしゃぐしゃに潰してゴミ箱に投げ入れた。その足でソファにぐだぐだ雪崩なだれ込む。何もしたくなかった。


 せっかくの休みだ。寝よう。

 ご飯も贅沢に宅配をとってしまおう。


 一週間気を張っていたせいなのか。

 あなたは宅配で頼んだご飯を食べ終えると、布団にも入らず、ソファに座ったまま、本能のままに寝た。






 あなたが目を覚ました時には、すっかり夜になっていた。

 電気も付けていなかったため、あなたの周辺は暗い。窓の向こうからは、壁にぶつかる雨音がドォードォー鳴っては暗い部屋を不気味に彩る。


 ああ、結局雨降ったんだ、とあなたは思いながら、点灯するために立ち上がる。


 夢現だった。


 もしかすると、座った体勢で寝ていたせいかもしれない。ふらりと足がもつれた。その拍子に、微量だが白い光を、あなたは見た。

 カーテンは締め切っている。外の電灯から溢れた光ではない。


 あなたの脳裏に黒い手紙が過ぎった。

 この言いようのない不安感がどことなく似ていて怖くなった。


 白い光は一秒ごとに眩くなるようだった。あれは気のせいではない。徐々に輝きを増しながら、部屋全体を白く染めていく。夜を忘れるほどの激しい光になっていく。


 何が起きたかなど分からない。ただ不安で、ただ立ち竦むあなたは、白い光に耐えられず、瞼をピクピク動かすだけだ。そして、とうとう耐えきれなくなり目を閉じた。

 閉じたと同時に、今度は耳が痛くなった。まるで黒板を爪でひっかくような、鼓膜が嫌悪するような甲高い声が、前振りもなく聞こえてきた。あなたは顔をしかめずにはいられない。


「ア、ア、」


 声が聞こえた気がした。

 今度は耳が痛くなる声ではなく、小動物のようなか細い高音だ。


「ア、ア、キコエテ、イマスカ?」


 今度はハッキリと聞こえた。

 確かに日本語で、あなたに話しかけてくる。

 一人暮らしであるはずのあなたの家に、あなた以外の人間がいるはずもない。実に不可解なことだった。いや、この一週間そのものが、不可解な日々だった。


 しかし、最も驚いたのはあなたの心情変化だ。

 声を聞いた瞬間、恐怖を感じながらもそれを上回る安心感が、何故か、心の多くを占めていた。心はふわふわ漂うようで、どこかの別世界にでもやってきた、夢の中のように思われた。


「メ、メハ、アケナイデ、クダサイ」


 再び、同じ声が聞こえた。


「アナタニ、ワタシタイ、モノ、アリマス」


か細い高音がそう言うと、あなたの手には何かが握られた感触がある。


「ウケトッテ、クダサイ。ワタシ、カキマシタ。ワタシ、コトバ、ジャナイ、チキュウ、コトバ、デ、カキマシタ。ワタシ、オモイ、ウケトッテ、ホシイ、デス」


 これが最後だった。

 この言葉を最後に、白い光は弱まっていく。ようやく目を開けられそうだ。

 

 声の正体を知りたいあなたは、ゆっくり瞼を持ち上げる。

 目をぱっちり開けた、目線の先にいた者を見て、言葉を失った。

 あなたが見た者は人間ではない。人間の五倍はある脳髄をもった異形の生き物だった。衝撃は心に留まらず、つま先から頭頂までを駆け抜けるように鳥肌がたち、尻もちをついた。


 異形の生き物は、そんなあなたを見ている。


「サヨウ、ナラ」


 同じ声だ。

 か細い高音が、異形の生き物から聞こえた。


 気付けば異形の生き物の姿は消え、直後に窓からあの時と同じ白い光が漏れ出す。

 あなたはへっぴり腰のまま、四つん這いになって窓の近くまでくると、カーテンを開けて、窓を開けて、外を覗き込む。


 起きて直ぐの時は激しく降っていた雨も、今は止んでいる。

 月光が真上から一直線に降る。照らされるように目の間に在るのは、大きな円盤状の乗り物だ。向かいの建物との間に、うまい具合に浮かんでいた。

 円盤状の乗り物は音もなく空へとのぼった。一瞬の出来事だ。それはもう見えない。






 辺りが急に静かになったように思えた。

 部屋は月光でほんのりと明るい。


 ふと、あなたは利き手に違和感を感じた。

 手にはあの黒い手紙が握られていた。紛れもない、一週間届き続けた黒い手紙だ。


 流れるように手紙を開けて、月光を頼りに中を見る。

 入っていたのは一枚の白い紙。

 しかし一つだけ今までと違っている。その紙に何が書いてあるのか、今のあなたは読むことが出来る。


「あなたに こいを しました」


 幼稚園児が書くような下手な字で、そう書かれていた。

 あなたはもう黒い手紙が届くことはないだろうと思った。それから、その今手に持つ8通目の手紙だけは捨てようなんて思えなかった。

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