33話 楓


 アパートの階段を下りて、そのままスーパーのある方角へと歩いて向かおうとする楓に思わず声をかける。


「おい、自転車使わねーのかよ」


「別に歩きでも10分かかんないしいいでしょ?」


「…まぁいいけど」


 俺がそのまま歩き出すと、楓はひょいとその横に並んだ。


 ここら一帯は住宅街で、少し外れた道路沿いに目的地であるスーパーがある。


 地方のスーパーなので商品の種類が豊富なわけではないが、家から近いし物価も安いしで引っ越してからはずっと重宝している。


「…静かだね」


 隣で楓がぽつりと呟いた。


 一定間隔に続く街灯と遠くに聞こえる車の音。


 夜の住宅街はこんなものだとは思うが、歩きだとこの物静かな空気感を変に意識してしまうのもわかる。


「だな、なんか怖くなってきた」


「真顔で言うのやめてよ、ほんとになんか出てきそうな気がしてくるから…」


「けど夜に人とすれ違う時ってなんか不安になってこないか?」


「わかる。野生の殺人鬼にぶっすりいかれそう」


「よくそういったピンチに陥った時の脳内シミュレーションしてるわ」


「へー、ちなみにどんなの?」


「まず鞄かなんかを殺人鬼に投げつけて数秒間動きを封じるだろ?」


「うんうん」


「その間に逃げる」


「おにぃらしいね」


「せめてツッコめよ。まぁマジに逃げるけど」


「もっとこう、頭の中だけでもドラマのある熱い展開にもっていこうとかないの?」


「あー優しく抱きしめてあげるとか?」


「殺人鬼も怖いだろうねそれ…そのまま刺されそうになったらどうするの?」


「鞄を投げつけて逃げる」


「困惑で追う気すらしなさそう。殺人鬼回避成功じゃん」


「そこで終わったら、俺が後でお縄にかかるんだけど…」


 毒にも薬にもならないやりとりをしばらく続けている内にスーパーに到着。


 入店してすぐ目の前に広がる安売りのカップ麺、なんだこの安心感は。


 楓は積み上げられた買い物かごを一つ手にとる。


「持つわ」


「いいよ、そんな買うつもりもないし」


「俺が色んな人に怒られんだよ」


「だれに」


「知らねぇよ」


「じゃあ…お願い」


 卵は確か入って左奥、だよな。


 そこまで向かうと、赤と白の二種類の卵が陳列されていた。


「これ、どっちの色が体にいいとかあんの?」


「ううん、中身の栄養に違いはないよ。味も別に変わんないし、白玉の方が安いからそっちにしてる」


 そう言うと、楓は白の卵を手に取ってかごのなかに入れる。


「栄養も味も同じなのに値段は違うのか…」


「なんか同じ量の餌を与えても、赤玉の鶏の方が卵を産む量が少ないとかなんとか」


「つまり比較的、卵の生産コストがかかる赤玉の方が少しお高いのか…お前ほんと色々知ってんなー」


「何でもは知らない。知ってることだけ」


「そこまで言ってない…」


「あっ、今日はポ〇モンふりかけ買わないからね」


「なっつっ!16にもなって欲しがんねーよ!」


 なんかこういうとこ俺と似てるなこいつ。


 それとも俺が楓の影響を受けたのか…?


 そのまま牛乳や野菜、ちょっとしたお菓子も買って俺たちは店を出る。


 もちろん色んな人が怖い俺が荷物持ちだ。


「あーお腹すいた、早く飯にしようぜ」


「うん、そうしよっか」


 楓と並んで、来た道をまた歩き出す。


 今思うと久しぶりだ、二人並んで歩くのって。


 楓はいつもこうやって買い出しにいって、夕食作って、朝には洗濯機回して、干して、朝ご飯作って。


 だから部活にだって、入ることもなかった。


「楓は、どうだ。今の生活」


「いきなりどうって…でも、楽しいんじゃないかな」


「部活とか、入ってみたいってのは…?」


「全然」


 あまりの即答。


「え?!やりたいスポーツだのなんだのあるだろ?」


「だって疲れるの嫌いだし…帰ってゆっくりできる方が絶対いいじゃん」


 そんな露骨に嫌そうな顔するほどなのか…


「でも毎日、家事やり続けるのだって疲れるだろ」


「あんなの全く労力を必要としないって。それに…こうやってちょっとは役に立てることが、なんか嬉しくて」


「嬉しい…?」


 楓はこくりと頷くと、どこかばつが悪そうな表情で続ける。


「おにぃは中学の頃から家のために色々頑張ってくれてさ。自分のことばっかりで何も出来なかった…してこなかった自分が嫌で仕方なかったから」


「…なら、さっきの嬉しいっていうのは…?」


「え?あぁ、それは『今は』嬉しいってこと。私がまだなーんにもできないポンコツだった頃は、うん、さっき言った通りってこと」


「そんなこと、考えてたのか…」


 すると楓は、はにかむように笑いながら。


「私ね。おにぃがバイトやめて人助けの部活に入るって言われた時は思わず泣いちゃった。私のせいだってこと、わかってたから…」


 楓は何がとは言わなかったが、俺が人助けが嫌になったことを自分のせいだと言っているのだろう。


 どうやって、こいつに…言ってやれば


「おにぃはどう?今の部活楽しい?」


 言葉を返す間もなく、楓は聞き返した。


「…どうだろうな…どう思ってたんだろうな、俺」


「やっぱり、なんかあった?」


「いや…うん、あった」


「一緒でしょ。人には言いにくいことで悩んでた女の子と、傘を返してもらった女の子」


「えっ?!そうだけど…てか女だって言ってたっけ」


「もうおにぃわかりやすすぎ。だって話すとき明らかに口下手になってたじゃん」


 全てお見通しだったわけか。


「おにぃ」


 楓は急に足を止めると、財布からあるものを取り出した。


「覚えてる?この髪留め」


「…忘れるわけ、ないだろ」


 楓の手の平の上には、三年前まで楓が身に着けていた二つに割れたピンクの髪留めがあった。


 俺が壊してもう使い物にならない、楓が本当に、本当に大事にしていた…


「これ、おにぃが小学校の入学記念にくれたものだったよね。少ないお小遣い使ってさ」


「…んで、そんなもん……」


「この髪留めを見てるとね、あの頃のどうしようもなく臆病な私を思い出すのと同時に。勇気をもらえるんだ」


 違う、それは髪留めなんかじゃない。


 三年前の俺が全て取りこぼした結果の、ただのガラクタだ。


 それでも楓は壊れたピンクの髪留めを優しく握りしめて、胸の真ん中に両手で抱え込む。


「あの頃の弱い私はもういない、なんて強い思いが湧き出てきて…っていうのはちょっと大げさかな…?うん…だからね」


 楓は嬉しさに揺れるように微笑んで。



「ありがとう、おにぃ。私に宝物をくれて」



 俺にとって、あの頃の全てが嫌なものでしかなかった。


 自分も、友達も、家庭も、この壊れた髪留めだって


 楓もきっと、そうなんだと思っていた


 だからもうこれ以上、楓だけには辛い思いをさせないようにって


 なのに


 楓は、ずっと…


 込み上げてくるものに震える声を抑えながら。


「違う…俺の方なんだ。俺は楓を疎んだり、楓のせいだなんて思ったこと、一度だってない…!ずっと小さい頃から楓は、強くて、優しい、俺の自慢の妹だったよ」


「…そっか…そうなら、よかったかな。というかおにぃ、高一にもなって泣いてんのー?」


「あほか、泣いてねぇわ。高校生になっても泣くことの一つぐらいあるだろ」


「泣いてんじゃん…」


 楓は大きくため息をつくと、再び俺の目を見据えて。


「だからね、おにぃ。あの返してもらった折りたたみ傘はきっと、その人にとってすっごく大切にしてたものなんだよ。そのくらいおにぃのことを思ってくれている人が苦しい思いをしているのなら、手を差し伸べてあげなくちゃ。なにより…」


「なにより…?」


「女の子は、笑っている顔が一番ッ!なんだから」


 楓は俺の顔を指さし、ニッコリと笑って見せる。


 ぐうの音も出ねぇよ、いつだって楓の言うことには。


「あぁ、そうだよな。それに友莉にはまだ、借りを返せてなかった」


「へー友莉さんっていうんだーどんな人?可愛い?」


「かもな。全部終わったら、全部話すから。というかお腹すいたっ!!俺走って帰る!」


「まだご飯できてないよ?!あと殺人鬼出そうだから待ってって!」


「荷物を俺に持たせたことが裏目に出たな!俺はこれを投げて逃げる!」


「おにぃが色んな人が怖いって持ったんでしょ?!あとポ〇モンふりかけ落としてるっ!!」


 これから俺がやろうとしていること。


 この選択が間違いとか正しいとか、そんなんじゃない。


 ただ見てみたくなった。


 あいつらが一緒に笑えている。


 それはきっと…



 いやいいや、今はとりあえず


「覚悟してろよあんのバカ双子ヤロォオォォォォっーーーー!!!!」

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