白と黒のロンド

望月あん

1 ロザリオ

1 ロザリオ(1)

 一発の銃声が、夜明け前の部屋に響いた。

 その残響が消えないうちに、男の体が床にくずれる。糸の切れた操り人形のようだった。蕾がひらいていくように、ゆるやかに生命が溶けだしていく。足元の絨毯は水気を含んでぬかるんだ。その上に、無遠慮な音を立てて銃が落ちた。

 ナルオミは途切れていく主人を見おろして、首をかしげた。

「カイト、カイト」

 あるじの名を呼んでも、返事はない。カイトがこれまでナルオミの言葉に応えなかったことはない。ならばこれはもう、あるじではないのだ。

 ナルオミは窓辺へ寄る。寒さに濡れた硝子には、散った血が淡く滲んで泣いていた。

 それからすぐに夜が明けた。

 ナルオミは拘束され、小さな部屋に押し込められた。冷たい床に寝転がって、海老のように背を丸める。痛みや空腹は気にならなかった。それよりもわずかに伸びた前髪が睫毛にこすれて気に障った。

 隣の部屋からは、話し声が聞こえてくる。ひとつひとつの声はナルオミの聞き知ったものだが、そこに親しみを覚えることはない。ナルオミは前髪の煩わしさに耐えかねて、目を瞑った。

「おい、起きろ」

 腹を蹴られて、ナルオミは目を開けた。いつしか眠っていたようだった。足の拘束を解かれ、立ち上がるよう顎で促される。見上げると、ひょろりとした若い男がたった一人だった。

 もし、ここから逃げたなら。

 そこまで考えたものの、ナルオミは素直に立ち上がった。カイトの指示もなく無茶はできない。今は従うほかない。カイトはどうしているだろう。まさか彼が拘束されることはないだろうが、姿が見えないことに不安が募る。

 一体どこへ行ったのだろう。

 どこへ行けば、カイトに会えるのだろう。

 今、どこに。

 血の通っていない足は、自分のものではないようで、そもそも人のものであるかも疑わしいほど重く冷たかった。一歩踏み出して、膝から崩れる。若い男が、鼻で笑った。

 ナルオミは、薄笑いを浮かべる男を見上げて、眉をひそめた。カイトに報告せねばならない。組織内の規律が乱れている、と。

 カイトが継ぐべき組織だ。どこよりも強く結びついた、完璧な組織でなければならない。そのためにはまず、この不毛な跡目争いを勝ち抜けることが最低条件だ。

 遠く、カイトの声がする。記憶からはみ出して、耳底によみがえる。

『おまえがいればおれは無敵だよ。ナルオミ』

「カイト……」

 男はナルオミの腕を掴み、立ち上がらせる。背の高いナルオミは後ろ手に縛られたまま、男に覆いかぶさるようにして歩いた。

 一歩踏み出すたび、空っぽの体が音を立てる。その音は空き缶を蹴ったときのように、カツンカツンと冷たく響く。ナルオミは俯いた視界の中に出入りする靴先を見つめて、これは人の殻なのだと思った。中身のない、否、中身を失った殻なのだ。力が入らないのも、思考が散り散りになるのも、すべてここが空っぽだから。

 脳裏にふと、白く静かな夜明けがよぎった。霧のようなやわらかさが音もなく広がっていく。ナルオミはなぜ歩いているのかさえ、わからなくなった。

 それほど歩かないうちに男が止まる。目の前には両開きの大きな扉があった。

「生き残れるよう、せいぜい頑張りな」

 小さく呟いて、男が扉を開ける。背中を押されるまま、ナルオミは部屋へ入った。もう、一人で歩けるようになっていた。

 部屋には十人ほどの幹部がいた。どれも先代からの面々だ。ナルオミは突き刺さるような視線を両側から受けつつ、さらに奥まで進んだ。

「ナルオミ、だね」

 幹部を従える形で部屋の奥に座っていた人物が、口をひらいた。若く中性的な声だった。ナルオミはそこで足をとめた。

「はい」

 ナルオミは目の前の人物を見据えて頷いた。

 これほど間近に彼を見るのは初めてだった。話に聞いていたより若く、まだ少年の域を出ない。大きなひじ掛け椅子に収まった手足は、若木のように細くしなやかで、ゆるやかに羽織ったシャツからは、未分化の色香が匂い立っていた。濡れたように黒い髪から、夜を押し固めた瞳が覗く。

 少年は、嘲笑とも憫笑とも見分けのつかない笑みを浮かべた。それは自分に自信のある者がする眼差しだ。鷹揚で傲慢で貪欲で、美しい。彼は他人を従えるための吐息を持っていた。

 だがナルオミを従えることができるのは、カイトだけだ。カイトは行く宛てのなかった自分を拾って、ここまで育て上げてくれた。命の恩人どころではない。彼はナルオミの命そのものだ。

 ナルオミは目を伏せて静かに言った。

「アキさん、そこはまだ先代の椅子だ」

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