(単話)夏のメロウ

蓬葉 yomoginoha

夏のメロウ 解釈小説

 窓の外を、緑の景色が流れていく。それをぼんやりと眺めている。


 昔はこの時間がもどかしくてしかたなかった。

 早く彼女と遊びたかったから。早く彼女と喋りたかったから。


 車を運転する父が点けたラジオから、まさにその頃流行っていた曲が流れ出す。

 それを口ずさみかけて、その寸前で唇を噛んで押さえつける。


 車窓の景色が真っ暗になった。トンネルに入ったのだ。ゴウゴウという不穏なその音が、暗鬱あんうつとした僕の心を揺らす。

 このままあの家に着かなければいいのに、と、あの頃と真逆のことを思う。


 皆が肯定を越えて祝福に向かっている中、それに背を向けて意地でも振り返ろうとはしない。きっと、それが僕だった。

 いやしたくてももう、できないのだ。

 車がトンネルを抜け、窓から光が差し込む。その眩しさに目がくらんだ。


『まもなく、目的地周辺です』

 カーナビが明るい声で言う。家が近くなり、ようやく運転から解放されるという心のゆとりからか、父と母との間に会話が生まれる。「めでたい」とか「お祝い」とかいうフレーズを聞くたび、耳を塞ぎたくなる。



 車が山道から家々が密集した区域に入る。少し高台になっているところに、祖父の眠る墓地が見えた。

 現実と思い出がごちゃ混ぜになって、気づくと僕は頭を押さえていた。



""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""

 車を車庫に入れ、小川に沿って少し歩くと、その家が見えてきた。

 玄関の所には赤い提灯ちょうちんが飾られていて、そこに二つの名字が書いてあった。

 玄関の扉が不意に開く。その瞬間、心臓が跳ね上がるような心地がした。思わず足が止まる。

鈴音すずねー」

 白いワンピース姿の彼女に母が手を振った。


「わー叔母さん、叔父さん、ありがとうございます。わざわざ遠くまで」

 彼女は笑顔を浮かべて言った。あの頃と同じ、無邪気な笑顔だ。


 金縛りにあったかのように立ち止まったままの僕は追い風を感じつつも、一歩が踏み出せないままだった。しかし。


拓実たくみもありがと」


 その笑顔がこっちに向いた瞬間、僕はようやく歩き出すことができた。

 けれど僕の心の中は、返事が出来ないまま、無言で家の中へ入ってしまうくらいに病んでいた。

 親たちがそれをとがめるような声を上げる。

 何も聞こえないふりをして、僕は荷物を下ろした。


""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""

 親戚一同揃っての食事は大広間でもよおされる。

 しかし、親族の増えた今日は、いつにも増して騒がしかった。


 その騒ぎの中心では鈴音が笑っている。

 僕はそれには混じれず、まるで喧騒けんそうを遠くから眺めているような状態だった。


 縁側の方から風が吹いて、柱に打たれた釘に下げられている風鈴が優しい音色を響かせた。

「あれ、私の名前の由来なんだよね」

 ふと、鈴音がそれを指さして言った。となりの、羽織姿の見知らぬ眼鏡の男性が「へぇ」と彼女に微笑む。


 昔から季節を問わずにそこにある銅鐸どうたく風の風鈴は、確かに鈴音の名前の由来だった。


(タッくんだけに教えてあげるね)


 幼い頃そう言って教えてくれたその話を、今、鈴音は隠そうともせずに言った。


 風鈴の向こう側には、庭がある。

 昔は二人でよく走り回っていたが、今は寂しげにそこにあるだけだった。さらにその先には陽の沈んだ薄暗い空の下に小さな山がそびえていた。その山は、点々と灯りがともっているだけで、まるで大きな影のように見える。


 あまりに寂しいその景色から目をらしたそのとき。


「あっ」

「っ……」


 不意に彼女と目があってしまった。

 慌てて目を逸らして、目下もっかさかずきを見る。

 くまの浮いた、生気のない瞳が反射していた。



""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""

 もう早く寝てしまおう。どうせ明日になれば帰れるのだから。

 こんな気分も、向こうに戻ればきっと晴れるはずだ。


 開きっぱなしの扉の向こう、裏庭から蛙の鳴き声が聞こえる、眠りを妨げるその合唱を憎らしく思う。


 溜息を吐いてそれに背を向け、再度、微睡まどろみに落下しようと試みる。

 しかし、それは背後の騒ぎ声よりはるかに小さな声で、さっきよりもはるかに大きな衝撃をもって覚まされた。


「拓実」


 わずかに開かれた襖の隙間から、僕の名前を呼ぶ声がした。


「……ちょっといい?」


 咄嗟とっさに寝たふりをしてやり過ごそうと思った。そうすれば彼女は諦めていなくなるだろう、そう思って。


「……寝てるの?」

「……」

「起きてるんでしょ、本当は。さっき、溜息ついてたでしょ」


 うるさい。頼むから早くどっかへ行ってくれ。


「もう、私とは喋ったりしたくない……?」

「っ……!!」


「……そっか。ならいいや。ごめんね」

 震えた声、直後襖の閉じる音。

 無視できなかった。掛け布団を蹴飛ばして、僕はふすまを開けた。



 頭上には三日月が浮かんでいる。

 都会とは違って、明かりと明かりの間隔かんかくが広い。

 そんな道を懐中電灯もつけないで、鈴音はゆっくりと歩く。僕はその姿をぼんやりと見つめながら少し後ろを歩いた。


「どこいくんだよ」

 その背に声をかける。

「んー……、決めてない」

 鈴音は横顔だけを見せて言った。左頬にはスプーンですくったかのような笑窪えくぼがあった。

 

 いつも彼女は突然だ。


 いつか、海に行こうと言ってきた時もそう。

 向日葵を見に行こうと、山登りに付き合わされた時もそう。

 花火を見に行こうと海沿いの道を五キロくらい歩かされた時もそう。

 星を見に行こうを夜中に叩き起こされた時もそう。

 五年前、最後にここに来た夏。蝉の声を聞きながら、散らかした部屋の畳の上、ボーっと二人で寝転がっていた時に「大人になったら結婚しようね」と言ってきた時もそうだ。


 そして、今もそう。


 月が雲に隠れた。その瞬間、前を歩いていた鈴音が立ち止まった。


「……何で、全然、会いに来てくれなかったの」


 振り返らないまま、彼女は言う。


「私、ずっと待ってたのに」

「忙しかったんだよ、色々」

「五年も?」

「……ああ」

「……」

「お前だって、なんで何も教えてくれなかったんだよ」

 彼女の薬指の輝きを見つめて僕は言った。

 月の光がなくても光を放っているように見えるそれは、太陽よりも眩しくうつる。


「言えないよ。だって来ないんだから」

「電話だってよかっただろ。直接話さなくても知らせる手段は、いくらでもあっただろ」


「そこまでして知らせなくてもいいかって」


「は……?」


「私、結構怒ってるんだよ。わかってる?」

 雲が晴れて、月明かりが戻ってくる。その瞬間、振り向いた彼女の頬を伝うしずくえる。

 そんな彼女に、僕は何も言えなかった。


 彼女は水分を含んだ、震える声で続ける。

「本気だったのに……。私が結婚しようっていったのは」

「それなら……」

 なおさら、と続けようとする僕の声を彼女は頭を振ってさえぎる。

「わかんない……わかんないよ、タッくんに私の気持ちは……!」

 しゃくりあげ、瞳を拭いながら彼女は言う。よりによってで。


「梅雨が明けて夏になればまた会えるって思ってた。今年は来なかったけど来年は、ってそう思うようにした。……段々、どうせ今年もって思うようになった。わからないでしょ? 私の気持ちは。死にたいって思うくらい、辛かったんだよ。本当に」

「……」

「でも思いとどまったの。タッくんの言葉を思い出したから」

「僕の、言葉?」

「お祖父ちゃんが死んじゃったとき、言ってくれた言葉。どうせ覚えてないと思うけど」


「……いや、覚えてるよ」


 ピクっと鈴音が俯いていた顔をゆっくり上げる。

 嘘ではない。あのとき、祖父が亡くなったことの悲しみに、肩を落としていた鈴音の側に座って言った言葉だ。それは実は、息絶える直前に祖父の言っていたことをそのまま言っただけだった。けれど鈴音はそれを伝えると、僕の胸の中で静かに泣いた。


『お祖父ちゃんが言ってた。生きてれば、いつか絶対幸せになれるんだって』


 それはきっと、祖父が人生の最後に達した境地だったのだろう。

 一方の僕はおそらく、どんなに悲しいことがあってもくじけないで生きていれば、絶対に幸福になれるという意味で言ったのだと思う。


「……そう。その言葉のおかげで乗り越えられた。皮肉ひにくだね。タッくんのことで死にたいって思ったのに、タッくんの言葉で思いとどまったんだ」

 鈴音はこちらに背を向けてまたうつむく。抱きしめてやるべきだったかもしれない。もしかしたら鈴音もそれを望んでいたかもしれない。

 

 最後の、機会だったかもしれない。


 けれど、僕にはできなかった。倫理りんり観と、愚かなプライドが邪魔をした。


 月が再び隠れる。それと同時にくるっと振り向いて歩き出した鈴音はそのままこちらに来た。


「今年は来てくれてありがとう。さよなら」

 鈴音は一言そう言って、僕の横をそのまま通りすぎ、もと来た道を戻っていってしまった。

 僕は振り返り、「鈴音……」と弱弱しい、情けない声で呼んだ。

 しかし、彼女はずんずんと進んでいき、ついに見えなくなった。


 僕は立ち尽くしたまま、目前と背後の闇に目を背けるように月を見上げた。

 僕と彼女が話したのは、これが最後だった。


""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""

 夏が来た。むべき、それでもどうしようもなく愛しい夏が。


 夏が好きなのは、彼女が夏を好きだったからだ。あんな訣別けつべつがあっても、夏が来るとどうしても心が動く。夏に心惹こころひかれるのは、ほかでもない彼女のせいだ。嫌いだったはずの夏が、好きになったのは。

 それはどれだけ歳を重ねても変わらないらしい。


 今、鈴音がどうしているのかはわからない。幸せなのかそうでもないのか、今となっては、もはや。

 僕はただ生きている。無為徒食むいとしょくと言われても仕方がないくらいの生活だ。

 しかし、あの言葉が、彼女をなぐさめるために言ったあの言葉が、今度は僕を縛り付けている。


『生きていたらいつか、絶対幸せになれるはず』


 生きよう。生きるしかない。

 溜息をついて、僕は不自然に明るい都会の道を歩いた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

(単話)夏のメロウ 蓬葉 yomoginoha @houtamiyasina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説