第10話 ラスボスvs林凛 3

 ② 奈鬼羅 みちる 5ー0 林 凛 ①


 異様な光景だった。卓球の形をした何かが、そこで行われていた。打ち始めると、凛さんはズルズルと後退して、中途半端な体制で返球を試みる。マリオネットみたいな動きだった。そんなふざけたボールはギリギリでコートに入るが、リズム良く態勢を整えたみちるに打ち抜かれた。


「卓丸先輩!今のスマッシュ、どうだったです!」


 鼻息荒く俺に聞くみちるは嬉しそうだ。


「スゴいよ、スゴいから。あんまり試合中に話かけるんじゃない。相手に失礼だろ?」


「うー、ゴメンです。でも、ボールを拾わずに棒立ちの人もどうかと思うです」


 みちるが指差す先には、俯いて呆然と立ち尽くす凛さんがいた。


「ちょっと凛!ボール、ボール」


「…あぁ、すみません」


 風香さんに促されて、ようやく拾いにいく。このセットに入ってからは、ずっとこんな有り様だ。別に脱力した訳ではないだろうが、気落ちしているのは見てとれた。次の手を考えれば考えるほど、袋小路に入っているように感じる。

 みちるがフォア側に小さくカットサーブを出した。凛さんはツッツキで状況の好転を伺う。みちるはドライブから攻撃に転じる王道パターンだが、だからこそ強い。やっている動きはよくあるモノだけど、決定的にこれまでと違うことが1つあった。


 凛さんが攻めていない。


 今もブロックに徹するばかりで、相手のミス待ちといった感じだ。コートにボールを入れることを優先するあまり、凛さんの良さが消えてしまっている。


 ② 奈鬼羅 みちる 8-0 林 凛 ①


「タイム、いいかしら」


 発したのは風香さんだ。副審として、この惨状を歯がゆそうな表情で見つめていたが、ついぞ、我慢の限界を迎えたらしい。公式の試合という訳でもないし、少しアドバイスを言うくらい問題ではない。ただし、相手が認めればだけど。


「俺は異論ないです。みちるはオッケーか?」


「オッケーです。でも、体が冷えちゃうので手短にお願いするです」


 確かに体が冷えるのは好ましくないからな。風香さんも頷いて、凛さんのもとに歩み寄る。


「…すみません」


「何に対して謝っているのか分からないけど、今の凛は弱気で、正直試合になっていないわ」


「…すみません」


「元気出してよ。調子狂うわね。みちるちゃんが強いからキツイのは分かるけど、守ってたらダメじゃないの」


「…そうですよね。…繋いで、繋いで勝てるような相手じゃないですからね。…あれ、何で自分は、こんな卓球をしているんでしょう。……風香ぁ、何でっ、自分は」


 ズッ、と、すする音。音階を失った声色。凛さんは泣いていた。驚いてしまう。年上の女の人の泣いている姿など、まず見ることがないから、どうしていいか分からずに狼狽えてしまう。


「え、えっと、大丈夫ですか?…みちる、少しやりすぎなんじゃないか?」


 混乱してみちるの話を振ってしまう。


「うわ。卓丸先輩、それ逆効果です」


 あ、やべ。恐る恐る凛さんを見ると、ビクッと肩を震わせて、顔を背けてしまった。察した風香さんがポンポンと凛さんの背中を叩く。う…、さらに居心地が悪くなってしまった。


「…本当に、すみっ、ません。すぐに試合をぅ、再開するっ、します」


 無理だ。今日はもう、いいんじゃないか。風香さんも同じ気持ちらしい。


「凛、今日はもういいんじゃないかしら。これ以上は練習にならないわ。また、落ち着いてから試合をした方が、お互いのためになるわよ。絶対」


 思い返せば凛さんの心は、もうズタズタだ。自らの意思で、みちるとの対戦を望んだところから、この試合は始まっている。半ば強引に組んだマッチアップで、ものの見事に返り討ち。

 凛さんにとってのみちるは、突然現れた入部希望の新入生にして、親友である風香さんの弱点をストレートな言葉で叱責した嫌な下級生だ。多少お灸を据えてやろう、くらいに思っていたかもしれない。勝つことは大前提の5セットマッチだ。事実、1セット目は圧倒した。一抹の不安も、ここで消える。

 ところが2セット目、周囲のはやしたてる声、好奇の視線がこのゲームに降りかかる。最初は追い風かと思われた環境も、いつの間にやら大逆転を許す屈辱の展開に陥ることとなる。何故か。みちるは凛さんに対して、有効な作戦をきちんと敷いてきた。それを実行するだけの技量もあった。凛さんは勝ちを確信していただけに、考えるのを放棄して進行した。潮目に気付けずに流された。

 3セット目は風香さんのアドバイスを受けて、冷静にモデルチェンジ。勝てそうなスコアに持ち込む。しかし、みちるは迫ってくる。そのすんでのところで悪魔の囁きというか、みちるの一言で自分が負けられない状況にあることを思い出す。プレッシャーに襲われる。そこからは、同じ動きをしているようで、本質は盛大に変わってしまった。攻めるために後退していたのに、途中からは逃げるために後退してしまう。そこに付け込むように、みちるは前に出てきた。2セット連続の逆転負けは、一方的に負けるよりも精神をえぐられていく。セットポイント自体でも逆転された凛さんは、最初の自信もどこへやら。リードしていても負けるのではないか、なんて幻想に取り付かれてしまう。本当は、そんなことないのに、全ての技に対応されそうな恐怖感。これを感じた後は、マイナス思考のスパイラルに取り込まれる。体の動きに露骨に反映されていく。まとまらない考えを種として、歪なプレーで自滅。自己嫌悪。やがて視界は、ボヤけて決壊した。


「…そうですね。…自分も、これ以上は練習になる気がしませんし。奈鬼羅さんには悪いんですが、今日はこれで終わりましょう。…奈鬼羅さんは、これだけ強いのですから、我が部に入ってくれるのでしょう?」


 少し落ち着いた凛さんが、ラケットを卓球台に置いてみちるに話しかける。みちるはニッコリ笑った。


「ラケットを持ってくださいです」


 その声は真っ直ぐで、清涼感があるものだった。人によっては、例えば、凛さんにとっては寒さを感じるものだろう。みちるは凛さんを見据えたまま続ける。


「そんなのって、ないです。試合はまだ終わってないです。負けそうになったからって、泣いて強制終了なんて認められる訳ないです。ケガをした訳でもなし、凛先輩は卓球できるです。逆転されて、あたしを怖がっているのは見ていれば分かるです。でも、そんなの、あたしには関係ないですし。むしろ、あたしにとっては凛先輩に勝つ絶好のチャンスです。いいです?逆の立場で考えてほしいです。もし、凛先輩が、あたしに大差で勝っていたとして、凛先輩はゲームをやめるです?答えはノーです。1セット目から2セット目の序盤にかけて、凛先輩は勝つことだけを考えていたです。1セット終わった段階でゲームを終了しても良さそうなものです。でも、凛さんは続行したです。理由は、あたしに3-0で勝ちたかったから…ですよね?圧勝したいくせに完敗する覚悟はないとか、自己中すぎです。ちゃんとあたしに負けてくださいです。あと、風香先輩。意味分からない助け船を出さないでくださいです。そういうところが、風香先輩が真剣になりきれていないところです。分かったら試合を再開してくださいです。ちなみに、ここから凛先輩が逆転したなら、あたしにこの上ない屈辱を味わわせることができるです。あたしは今、勝利を確信しているですから。さっきまでの凛先輩みたいにです。あたしみたいなポッと出の1年は、上級生が実力で分からせないと調子に乗るですから。さあ、凛先輩のサーブです」


 その言葉に、ある者は恐怖し、ある者は感嘆し、ある者は羨望の眼差しを向け、またある者は絶望した。有無を言わせぬ強い意思を持った言葉が紡がれた結果、凛さんのするべきことは1つとなった。


「…すみません…でした。…再開します」


 先程の悔しさから涙したときとは違い、今は反省の念が色濃く見える。自身を責めるよりも、相手をこれ以上待たせてはいけない、というプレッシャーにおびやかされる。このセットが始まってからの凛さんのプレーが、子供が操るマリオネットとするならば、今の凛さんは、みちるが操るマリオネットだ。現状を見て口出しする者はいなかった。できる筈もなかった。


「分かってもらえて良かったです。いつでもいいですよ」


 凛さんは何を思っているだろう。目の焦点は合っているようには見えない。おぼろげな状態で打ったサイドサーブは、高いバウンドからコート外に逸れていく。サーブミスだ。次のサーブは入るも打ち合いになるまでもなく、みちるの得点となる。ついにマッチポイントを迎える。あと1点。みちるのサーブ。これまでも勝ったセットは、終盤のサービスエースが目立っていただけに、そのイメージが先行してしまう。


「…何とか、1点…集中」


 そんな呟きが聞こえた気がした。か細い声だった。凛さんがレシーブしたボールは、コートには入ったもののフワリと浮くイージーボールだ。みちるが躊躇なくラケットを振り切った。


「あ、やっちゃったです」


 目で追うのすらやっとな高速スマッシュは、コートをオーバーして壁に当たる。俺はスコアボードの凛さん側をめくる。それを見た凛さんがワナワナと唇を震わせる。


「…や、やりました!…完封、回避しました!…これで…大丈夫」


 ギョッとしてしまう。俺だけでなく、風香さんも、見ていた一部の部員も。みちるだけは表情を変えない。凛さんはそんな俺たちに気付く様子もなく、スコアボードにある「1」の数字を喜々として見つめる。そのやり遂げた表情に、凛さんの精神状態が現れていた。目標が限界まで下方修正された結果、ボーダーラインは1点だった。こんな言葉を使いたくはないが、凛さんは壊されていた。


「凛先輩、そういうの相手に失礼だと思うです。早く構えてほしいです」


「…す、すみません」


 アタフタと構える凛さん。顔はニヤけたままだ。脱力していて、気がないのが丸分かりである。

 みちるの打ったサーブを凛さんがツッツキで返す。それをみちるはドライブするが、今までよりもボールが浮く。


「…キタ!」


 凛さんが、そんな声を漏らしながら、上半身を必要以上に前に倒して、強打しにかかる。ところが、ボールは着地点から不自然に角度を変えて、フォア側に大きく逃げていく。ドライブを打つ時にボールのサイドを擦り上げるループドライブだ。ターゲットを失った凛さんは、体もろとも卓球台に突っ込んでしまう。


 ガッ! ダァン!


 けたたましい音を残して、勝負は決した。卓球台に突っ伏したまま、凛さんは呻いていたけど、何と言ったかは聞き取れなかった。


 ② 奈鬼羅 みちる 11ー1 林 凛 ①


 結果、みちるが3-1で凛さんを破った。


「やったです!ブイ!」


 満面の笑みでピースサインをするみちるにドキリとする。これだけ相手を蹂躙したのだから、怖がったほうがいいのかもしれない。だが、俺がみちるに抱いた気持ちは1つだけ。

 とっても、可愛かった。



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