〜緊急クエスト〜

第25話「緊急依頼」

 半ば強引ではあるものの、少女の意思を真摯に受け止めながら、彼女の引く手のひらとともに俺はそこへと向かった。






 日は沈み、月が顔を見せる静かな森。

 八月とは思えないような冷たい風が俺たちの肌に刺さり、少しだけブルッと震えた。


 辺りは霧に包まれ、夜と言うこともあって視界が悪い。

 進む途中、詳しい位置を知らないであろうブリトニーがグイグイと進んだためツッコミを入れ、冒険の書の地図を開きながら俺が先頭で進んだ。


 そして、俺たちはそのまま開けた獣道に出た。

 地図に記された場所と獣臭からしておそらくこの辺りのはずだ。


 俺は周りを見渡した。

 どうやら獣の気配はないようだが——行商人は一体どこにいるんだ? それに、他の冒険者とも遭遇しなかったが、やはり誰もこの依頼クエストを受けなかったってことか?


 まあいい、魔物に遭遇しなかっただけましだ。

 とりあえず今はさっさと行商人を見つけなくては——。



 そんな中、ふと鼻につく臭いが——。

 ブリトニーも何かに気づいたみたいで、少し動揺した姿を見せていた。


 俺たちは恐る恐る臭いの方へと足を進める。

 するとそこには——ワーウルフ数匹の、血を噴出した死体が転がっていた。さっきの臭いはこいつらの血によるものだろう。

傷口から見ておそらく刃物で切り付けられたものだ。と言うことは、俺たち以外にもこの依頼クエストに参加している冒険者がいるということか?


 それと馬車の残骸——馬の死体——

 ここで惨劇が起こったのはまず間違いないであろうが、依頼者の行商人は果たして大丈夫なのだろうか——


 俺はそのまま、霧がかかり暗い道を進んだ。


ドサッ————


「痛ッ!」


 その途中、ブリトニーが何かに足を取られて躓く。


「おい、大丈夫か?」


「……うん、平気——」


 地面に手をつき尻餅をついた彼女は、ゆっくりと立ち上がる。しかし、手についた生温かい何かと、自分が躓いたソレを目の当たりにして——



 キ……キャァァァァアアアア————!!!!



 ブリトニーは絶叫した。



★ ☆ ☆



 そこに転がっていたものは、なんとも形容しがたい遺物。


 ワーウルフたちの死体に紛れて、人間の死体も多数存在したのだった——



 ブリトニーが躓いたものは、下半身のみの血濡れた遺物。

 他にも、下半身が食いちぎられたものや、四肢がバラバラに爆ぜたもの、食い荒らされた形跡があるものなど、それらは様々に存在し、長時間眺めることは精神をダメにすることを意味した。


 ブリトニーも、やはり多少慣れたとしても精神的にくるものがあるらしく、おもっきし嘔吐していた。無理もない。



 と言うよりも、この人間たちの死体、おそらく俺たち以外の冒険者だと思われるが、惨状の在り方からして目の前で倒れているワーウルフたちと相打ちになったということか?

 もし仮にそうだとしたら、こんなむごい死に方になるのだろうか——


 俺はふと、顎に手を当てて冷静に分析を始めた。




         ガサッ————————




 その時、背後の草が急に揺れた。


 まさか、他の狼か——


 うずくまるブリトニーをその場に残し、ブーメランを構えながらその場に近づいた。



 ゆっくり、ゆっくりと——



       ガサ…………ガサッ————



 ————バサッ!!!!



 揺れる草むらにそっと手を伸ばし、そして力いっぱい引っぺがした。


「っひ!」


 ガクガクと震え、その場に縮こまる栗毛の青年。恰好など、見た感じおそらく彼が今回の依頼者だろう。

 俺はすぐに構えていた武器をしまい、優しい口調で話しかけた。


「冒険者です。依頼を受けて助けに来ました。立てますか?」


 生憎ケガなどはしていないようだ。

 だが、彼は震えるだけで一向に立とうとはしない。


 それに何かに怯え、ずっと震えていた。


 俺はそんな彼の雰囲気に嫌気がさして、彼の頬を平手打ちした。


「——ッ! な、何をするんだ!」


「……はぁ、何があったか知らないけどさ、こっから早く逃げないと危ないだろ? こっちも狼怖さで急いでんだよ。それだけの元気があれば動けるよな? ほら、とっとと逃げるぞ」


 俺は手を差し伸べた。

 内心俺も相当ビビっているのだが、今ここで立ち止まっていたら狼たちの餌食になるのを待つだけだ。だから、今はとにかく早く——


「俺は、ここから動くことはできない——」


「——は?」


「無理なんだ。この場所はもう奴に……」


 こいつ、一体何を言っているんだ。


 そう思っていたところ、背後が突然明るくなり、


「メ……メテア……!!」


 ブリトニーが、火の玉を四方八方に乱射し始めていた——



★ ★ ☆



 グルルルル————————…………



 彼女の回りを囲む無数の獣の気配。

 ブリトニーは、自身の身の回りを炎の渦で包み込み、四方八方に火球を飛ばす。しかし、狙いの定まっていないそれは、その気配の正体に当たっているような気がしなかった。


 だめだ、パニック状態に陥っているらしい。


「ほら見たことか……いずれ奴も——」


「——っち! ブリトニー、しっかりしろ!」


 行商人が俺の裾を引っ張ったが、それを振り払い、俺はすぐさまブリトニーの方へと足を進めた。しかし、


         ガサッ————!!!!


 ガウガルッ————!!!!



「な—————」


 俺の体に、そいつは飛び掛かってきた。



 咄嗟にクワで防いだが、そのクワをがっちりと噛みつき、すごい力で押し付けてくる。

 黒っぽい毛並みの、鋭い牙を持つそいつは間違いない、ワーウルフだ。


 鋭い爪でガリガリと衣服の上から引っかかれ、服が破れ血が流れた。痛い。痛い。


 起き上がろうにも、力が強すぎて不可能。なんという力強さなんだ——。


 だが、何とかなる。

 この近距離だ。これでこいつの首元を——


 ギャィィィィイイイイン————!!!!


 俺はすぐさまブーメランで、狼の首元を掻き切った。

 それと同時に、実をひるがえして転がる狼。それによって俺の拘束は解かれた。


 危なかった。だが、油断しなければ何とかなるかもしれない。


 どうやら囲まれているみたいだが、応戦しながら速攻で逃げれば何とか——。


 ふと、俺はブリトニーの方を確認した。

 炎の渦、メラメラと明るい彼女の炎の防壁。それを貫通するかの如く、獣の半身が視界に映った。

 そして、ゆっくりとその炎が消えたかと思えば、奴らはその中に隠れた一人の少女の腕やら胴体やらに噛みついていた。


 炎で炙られた部分は黒く焦げていたが、それでも奴らの息はある。


 ブリトニーは——


 一切叫び声をあげることなく、片手にナイフを握りしめ、血を流しながらその場にぶっ倒れていた。

 その体に噛みつき、振り回そうと試みる狼たち。



 やばい、ダメだ。

 このままじゃブリトニーが。


「うぁぁぁぁああああ!!!!」


 何も考えることはできず、咄嗟に持っていたブーメランをぶん投げていた。そしてそれは、意識が安定しないながらも狙った方向に飛び、ブリトニーの周りを囲む狼たちに命中した。

 その隙を見てブリトニーに近づき、すぐに彼女を抱きかかえた俺は、そのまま何も考えずに走り始めた。


 ふと、行商人が気がかりになり、走りながら振り返ったが——






 そこに彼の姿はもうなかった——。



★ ★ ★



 俺の判断が甘かった。

 ブリトニーに言われた言葉で少し浮かれてしまった自分がすべて悪い。

 ワーウルフの脅威は身を持って体験しているからわかるはずなのに、俺はまたしてもこいつにすべてを壊されてしまうのか。あの時から何も変わっていないじゃないか、これじゃ——。



 体中の傷が悲鳴を上げ、血が流れ落ちるが、俺はただひたすらに走ることしかできなかった。今はとにかく逃げなければ。


 行商人のことも多少気がかりだが、自分とブリトニーの命の方が優先だ。申し訳ないが、今の俺にすべてを救うほどの力はない——。


 逃げるだけで精一杯なんだよ。




 ある程度走った気はするが、視界がはっきりしないため進んでいる感じがしない。それに、この前は徐々に気配が薄れたのに、今回はいくら走っても魔物の気配が消えない。それどころか一層増しているようにも感じる。


 ブリトニーは意識を失っており、彼女もまたどこからか流血していた。

 幸いなことに、魔防具のおかげで牙や爪は深く入っていなかったようだが、のんびりして良い理由にはならない。

 内心小休止を挟みたいところだが、取り敢えず例の依頼クエストで大量に獲得した加速薬を飲み繋いで走った。



 しかし————



 それは一瞬の出来事だった。

 背中付近にとてつもない圧力が掛けられたかと思ったら、それは次第に痛みを伴い始め、俺の意識もまた、それとともに遠のき始めた。


 何が起きたのかはわからない。

 俺はその場にぶっ倒れた。


 かすむ視界の中、意識を集中させて凝視する。

 背負っていたはずのブリトニーは——


 俺の背中は、現在では痛みとともに不思議なぬくもり、さらには何か流動的なものの感触があった。

 そして、倒れた俺の正面、少し離れた場所には——



 上半身と下半身が斜めに割けた少女の姿があった。



 ズシンズシンと鳴り響く地響きと、唸る声。

 背後にはおぞましい気配が感じられる。

 ただ、この気配にはどこか覚えがあった——


 もはや絶叫し、絶望するほどの気力も残っていない。


 俺の背後にいたそれは、生温かい液体——おそらく唾液を垂らしながら俺の真上に立っていた。

 このまま俺は食われてしまうのだろうか。こんな終わり方、案外呆気なかったな。ごめんな、マナ——


 かつての走馬灯が蘇る中、先に逝ったであろうブリトニーに視線を向け、涙を流した。

 彼女が俺の背中を守ってくれたから、今俺は生きているのかもしれないが、それはほんの少し時間が伸びただけだ。


 彼女に対しても、申し訳なさの念がこみあげる。



 そんな時、真っ二つになった少女の体が次第に、赤黒いオーラに包まれ始めた。まさか、まだ息があるのか——?

 それに気が付いた俺の背後のそれは、俺の真上をまたいでそちらの方へと歩き始めた。


 ふと、胸元に熱がこもる。


 例のお守りが何かに反応していた。

 それを機に、徐々に気力が回復した俺は、残った力を振り絞って持っていたブーメランをそれに投げつけた。


 それはどこかへと飛び、それと同時にやつは怒り狂った形相でこちらに向かってきた。

 当たったかな? へへ、ざまあみろ——



『————出でよ————』



 俺に注目が集まった現在、最後の悪知恵——と言うより、緊急時に使えと言われた例の技を試みることに。



『————転移————』



 それは、試験前に教わった技であり、応用して強敵を倒した技。

 息があるかもしれない——助かるかもしれない彼女とともに、この場から一瞬にして回避することを可能にすることができる奥の手。

 今を緊急時と呼ばずして何と言うのだろうか。


 消化不良で失敗するのが一番痛いが、今は運にかけるしかない。

 ほぼ死ぬ間際の現状で、このワンチャンスに賭けるのは悪くない判断だろう。


 頼む、成功してくれ——



『————アルグリッド————』



 その途端、俺の体は粒子状のまばゆい光に包まれ、次第にその場所での感覚が薄れていき————




 閉じた瞼を開いた時、そこは明るくてあたたかい、俺のよく知る場所だった。


 周りにいた数人が俺に駆け寄る中、俺はその安心感からか、その場で意識を失った——

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