バスの中


 バスの中の彼女は凄く静かだった。

 先ほどの活発な様子とは異なり。それこそ借りてきた猫の様に大人しかった。

 おそらく人の目があるかだろう。

 特に時間帯的に部活終わりの生徒がちらほらいるし、幸いなことに知り合いはいなかったが、それでも恥ずかしがりやの彼女からしてみれば、同じ学校の知らない人がいる空間というのは酷く落ち着かないものだろう。


 俺はそんな訳で静かに俯いたまま立っている彼女を支えるように隣でつり革を持って立つ。

 椅子に座れれば良かったが、あいにく椅子は全部埋まっていた。

 いや正確に言えば、二人席の所に一人で座ってる人とかいたので、座ろうと思えば座れないことはないが、まあそれを彼女にしろというのは余りにも酷な話だろう。


 その時だった。


 バスが急ブレーキをかけた。

 何故急ブレーキをかけたのかと思い、首を伸ばして窓を除くと信号のない横断歩道を小学生ぐらいの男の子の集団が自転車で無理やり渡っていた。


 一応自転車横断帯がないか確認をするが、なかった。


 全くもって最近の小学生男子はと軽く憤りつつ、ふとお腹のあたりに何か柔らかいものが当たってるなと、というか体に何か密着してるなと思い。下を見た。


 彼女が豪快に俺に抱き着いていた。


「ご、ごめんなさい、あのう、えっと、さっきの急ブレーキで体制を崩してしまって」

 意図せず上目遣いで俺にそう謝罪の言葉を口にしてくる。

 なんかもう、今すぐにつり革を離して抱きしめたい気分だ。


 というか、なんか色々と当たって。

 なんかもう、なんかもう。俺の息子がプルスウルトラしそうなのだが。ヤバい。非常にヤバい。

 だけど駄目だ。落ち着くんだ。

 ここでプルスウルトラしたら。それは終わりだ。

 素数だ。素数を数えるんだ俺よって、ハア、ネタに走り過ぎだな。なんか一周回って落ち着いた。


「大丈夫だよ。これくらいで体制を崩す程、俺はやわじゃないよ」


「フフフ。確かに良い筋肉持ってたもんね」

 

 グハ。

 軽く吐血したよ。これはまたいいですね。

 破壊力が半端じゃない。


「まあ、そうだね」

 俺はそう言って、つい、左手でしっかりとつり革を持ちつつ、右手で軽く抱きしめる様に腰に手を回す。

 完璧に無意識だった。


「ふゅぇ」

 なんかめちゃくちゃに可愛いらしい声が聞こえて、俺がついうっかり腰に手を回していることに気が付く。

 しかし。なんかもうそれが柔らかくて、いい匂いがしてきて、なんかもう神過ぎて。離したくなくなった。

 だから俺は言い訳をする。


「えっと、そのまた急ブレーキがかかったら危ないからさ」


 ・・・・・・・・


 流石に拙かったかと思った時だった。


「う、うん。そうだね。じゃあ、も、もっとしっかり捕まってないといけないね」

 俺の服の裾をその可愛らしい白い指で掴む。

 なんかもう、なんかもう気が狂いそうだ。


「そ、そうだね」


「あ、あのう。○○君ってやっぱり男の子だな。お腹の方にもしっかりと筋肉あるね」

 俺はまたも、頭の中で吐血をした。

 これはもう、これはもうだ。

 なんかこう言語化が出来ないレベルの素敵を感じる。ヤバい。


「そ、そうだね」


 そこから、互いに目が合って、気まずくなって互いに顔を赤くしてしまう。

 そしてバスが目的地に到着するまで、そのままお互いに無言で恥ずかしさをこらえるのだった。

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僕は僕の前だけ笑顔を見せてくれる彼女に恋をした ダークネスソルト @yamzio

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