第七節 信長の戦略、電光石火

織田信長は数多くの敵を抱えていた。


比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじを始めとして、朝倉義景あさくらよしかげ浅井長政あざいながまさ石山本願寺いしやまほんがんじに本拠地を置く一向一揆いっこういっき、そして室町幕府むろまちばくふ武田信玄たけだしんげん


敵たちは、北から、南から、東から信長を攻めている。

まるで包囲殲滅戦法ほういせんめつせんぽうを使っているかのようだ。

ありとあらゆる方向から『同時』に襲い掛かって来られると、最悪は殲滅されてしまうかもしれない。


信長は……

自分が最も得意とする戦法、各個撃破戦法かっこげきはせんぽうで立ち向かうこととした。


この戦法で大事なことは2つ。

1つ目は、最も弱い敵から弱い『順番』に叩きつぶすこと。

2つ目は、敵の想定を超える『早さ』で次々と攻撃し続けること。


比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじは、敵たちの中でも圧倒的に弱い。

守る僧兵はたった数千人に過ぎず、実戦経験もろくにない。

要するに雑魚ざこである。


「最初に叩き潰す相手に比叡山ひえいざんを選ぶことは、数字で考えれば間違いはあるまい」

信長はこう計算していた。


 ◇


この計算には、大きな誤りがあったのだろう。


「比叡山を焼き討ちにすることが……

家臣や兵士たちにとってどれだけ恐ろしい行為なのか?」

こういった数字として表現できないものを、全く勘定に入れていなかったのだ。


家臣たちは、各個撃破戦法の意味を十分に理解している。

それでも怖気付おじけづいてこう言っていた。


「いくら信長様の警告を無視し続けたとはいえ、聖なる山ではないか」

「神聖な場所を焼き討ちした悪人として歴史に残るのではないか?」

たたりを受けるぞ!」

「我らだけならまだいい。

一族にまで祟りが及んだらどうするのじゃ……」

と。


信長は致命的な判断ミスを犯していたのだ!


追い込まれた信長を救ったのが……

明智光秀の一声であった。

先陣を名乗り出て、信長の命令に力を宿したのである。


 ◇


「分かりましたか?

なぜ光秀様が深く感謝されたのかを」


比留ひるが、阿国おくにの問いかけに応える。

「そんなことがあったのですか。

あの信長様が、判断を誤られるなんて……」


「比留。

各個撃破戦法で大事なことが2つありました。

1つ目は、最も弱い敵から弱い順番に叩き潰すこと。

2つ目は、敵の想定を超える早さで次々と攻撃し続けること。

まず1つ目について……

なぜ最も弱い敵から攻めなければならないか分かりますか?」


「『時間』がないからでしょう?」

比留は何とか答えを絞り出した。


「良い答えですね。

強い敵を攻略するには、どうしても時間が掛かるもの。

そこで時間を浪費ろうひする間に別の敵が背後から襲い掛かって来るかもしれません。


「まさに時間との戦い……」

「次に2つ目ですが。

時間が何よりも貴重である以上、早く攻撃を仕掛ける必要があるのは分かりますね?」


「それは分かります。

事前の準備と、素早い決断が肝心なのでしょう?」


「それらは当然に必要です。

他はどうですか?」


「まだ他にもあるのです?

うーん……」


「凛様。

いかがですか?」

阿国は、凛を会話に加えようと誘導する。


それが『最も』時間を浪費するのですから」


凛の心は、まだここにないようだ。

あまりにも淡々たんたんとし過ぎているが……

その状況でも正解を出すあたり、頭の回転は相当に速いのかもしれない。


「さすがにございます。

信長様は、いかに早く兵を移動させるかを最重要視しました。

電光石火でんこうせっか』こそが信長様の戦略でした」


 ◇


電光石火。


この言葉は中国で誕生したという説がある。

電光でんこうとは稲妻、石火せっかとは火打石ひうちいしで起こした火を意味する。

火打石で起こした火は一瞬で消えてしまう。

稲妻もまた一瞬で消える。

それだけ早いということだ。


なぜ電光石火の戦略を『必要』としたのですか?

阿国」

凛は、頭の回転に比例して鋭い質問を出す。


「それには信長様の過去を知る必要があります」

阿国は、信長の過去を語り始めた。


 ◇


信長が織田家を継いだとき。

尾張国おわりのくに[現在の愛知県西部]を揺るがす大事件が起こっていた。


この国の支配者は斯波しば家という足利あしかが将軍家一門の筆頭であり、当主の斯波義統しばよしむね清洲城きよすじょう[現在の愛知県清須市]に住んでいた。

これを補佐していたのが織田信友のぶともという織田家本家の長老だ。

実際のところ、信長は織田家の分家を継いだに過ぎなかったのである。


ところが。

国の支配者である義統よしむねの方は、偉そうに振る舞うだけで何の役にも立たない本家の信友よりも、役に立つ分家の信長を好むようになった。

信友を追放して信長を側に置こうと画策する。


「たかが分家の信長を贔屓ひいきするとは……

義統よしむね、許さんぞ!」

これを知った信友は激しい嫉妬しっとを抱き、その激情のままにあるじを清州城内で殺害した。


報告を受けた信長の行動は、とにかく『早い』の一言に尽きる。

義統の息子たちを保護して謀反人・織田信友と織田家本家の討伐を宣言するや、兵が集まるのすら待たずに清洲城へと襲い掛かったのだ!


織田家本家は、ただただ慌てふためくのみであった。

「あの信長が……

兵が集まるのすら待たずに襲い掛かって来ただと?

このように城の目の前を『占拠』されてしまっては、兵たちを集結させることができん!」


「兵を十分に集め、梯子はしごなどの道具を十分にそろえてから城攻めを行うのが常識にも関わらず……

何たる非常識な!

これでは、我らは戦うことすらできずに敗北してしまうではないか!」

信長と一戦する機会すら奪われた織田家本家は、まもなく内側から崩れ落ちた。


謀反人の織田信友は、やがて逃亡先で討ち取られたという。


 ◇


問題はここからである。


急な出来事で義統よしむねの息子たちは混乱し、国を治めるどころではない。

斯波しば家を補佐する必要性を強く感じた信長は、一族や家臣含め『全員』で清洲城へ移り住むことを決めた。


これに一族や家臣たちのほとんどが反対する。

住み慣れた土地から引っ越すのを嫌ったためだ。


信長は、一族や家臣たちに一喝いっかつした。

斯波しば家は我らのあるじではないか。

その補佐を放棄するなど謀反を起こすのと同じであろう!

次にまた反対だと申せば、謀反人として扱うゆえ覚悟致せ!」


続いて、こう呼び掛ける。

「そもそも。

織田一族は、一つになってあるじを支えようとしていなかった。

『主などおのれの都合のために利用する存在でしかない』

こういう身勝手な考え方が一族の中に蔓延はびこっていたからこそ……

!」


こう結論付けた。

「織田一族は全て清洲城下へ移り、『一つになって』あるじを支えようぞ!」

と。


この呼び掛けに応じたのは、ごく一部の者に過ぎなかった。

信長の弟・信行のぶゆきでさえこう言った。


「信長はあたかも正しいことを主張しているようだが……

一族や家臣たちを清洲城下へ集めて人質にするつもりなのだろう。

おのれで全てを仕切り、いずれは都合の悪い一族や家臣の粛清しゅくせいを始めるに違いない!

全てを我が物にしようとする信長こそ、我らの『まことの敵』ではないか?」


こうして織田一族のほとんどが信長の敵となった。

加えて清洲に移り住みたくない一部の家臣も信行に寝返った。


信長は、この結果に深く失望した。


 ◇


「奴らはなぜ、ここまで清洲に移り住むのを嫌がるのか?」

同時に一つの疑問を抱く。


この疑問は、程なくして解けた。

調査を任せた者がこう報告したからだ。


「地元の『商人』?

なぜ強く反対する?」


「『武士の方々が清洲に移り住めば……

商売が減るだけでなく、町が寂れてしまうかもしれない。

我らの商売を潰すおつもりですか?』

と」


「で?」

「清洲へ移り住むのを諦めたと……」


「おのれ!

商人ごときが身分をわきまえず、あるじ指図さしずするとは!

『この国のためだ』

こう命令すれば済む話ではないか!」


「それが……」

「それが、何じゃ?

はよ申せ」


「織田一族のほとんどが……

地元の商人から銭[お金]を借りたり、受け取ったりしております。

深く繋がっていて手を切ることなどできないのです」


癒着ゆちゃくだな。

やはり、銭[お金]が原因なのか」


信長は確信する。

「人は結局……

誰に従い、誰に忠誠を誓うのか?

大名か?

幕府か?

はたまた、みかど[天皇のこと]か?

いや違う!

と。


これは、昔も今も変わらぬ『真実』なのかもしれない。



【次節予告 第八節 戦いの天才たち】

秩序を非常に重視したことは、織田信長自身に大きな災いをもたらしました。

大勢の人間が信長の敵となってしまったからです。

そして、ある『発想』へと至ります。

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