雨があがれば

藤光

雨があがれば

 青虫がキャベツを食べている。

 あたしは雨だれの音を聞いている。


 てん、てん、てん――。 


 窓のサッシを打つ音が規則的だな。

 灰色の空を四角く切り取った窓の向こうには、ずうっと雨に閉じ込められた世界が広がっている。


 てん、てん、てん――。


 この青虫にも、雨だれの音が届いているのだろうか。

 物憂い、春の午後の空気を吸っているのだろうか。

 あたしは、透きとおった飼育箱をのぞきこみながら考える。


 ――キャベツって高いんだよな。


 青虫はキャベツの上で、弛緩しながらじぶんの足場を食べている。キャベツの葉は、青虫のうがち抜いた穴だらけ。飼育箱の底は、みどり色した小さく丸い糞だらけ。


 長いあいだ、部屋を出ていない。雨に降りこめられているからだ。ずっと雨が降っている。

 ベッドの脇に飼育箱をおくと、身体を起こし、部屋干ししてある洗濯ものをかきわけて立ち上がり、冷蔵庫のドアを開けた。サプリメントの瓶が数本とキャベツの玉が五、六個はいっている。それだけでひとり暮らし用の小さな冷蔵庫はいっぱい。


 無造作にえらんだサプリメントの錠剤をかみ砕きながら、キャベツの玉をとりだすと、キャベツの葉一枚めくりふたつに割った。ひとつは青虫の飼育箱に、もうひとつはあたしの口にほうりこむ。


 ――きょうだい。ひるめしだよ。


 シャワーでも浴びようとベッドを下りる。素足にヒヤリとした床の感触が心地よい。


 部屋の一方の壁を見る。壁いっぱいの蝶。蝶。蝶。

 白い壁紙一面に、さまざまな大きさ、色や形の蝶が針で留められている。飼育箱で育てた蝶たち。美しいあたしの分身。


 青虫は成長すると蝶になる。でも、どんなに美しい蝶も、花の咲くことのないこの小さな部屋では生きてゆくことはできない。舞いあがり、飛び回るうちに、羽は欠け、触覚は折れて美しさは損なわれていってしまう。あたしの蝶は傷つき、飢えて、生きてゆけない、だから。


 蝶は標本にする。

 羽化した羽が美しく伸びきると、そっと胸を指で押さえて殺すのだ。羽をひろげて壁に留め、乾燥させて標本にする。あたしの蝶はいつまでも美しいまま。


 バスルームにはいって、シャワーを浴びる。温かい水しぶきが肌を打つ。外では雨が降っていると気づいて、奇妙な思いにとらわれる。


 ――濡れてしまえば、同じだろうに。


 ぽたぽた――。しずくが肌を伝いおちて、排水孔へ吸い込まれてゆく。小さな穴は、外の世界へ通じている。

 


 ここに閉じ込められて外の世界へ出たことがない。雨には酸が含まれていて、人が戸外を歩き回るのは危険なのだ。傘は破れ、衣服は溶け、靴には穴が開いてしまう。だから、あたしは外に出ない。ずっと人に会っていない。だれもあたしに会った人はいない。


 外の世界では、強い毒性をもったウイルスが蔓延しているらしい。


 雨は、人に作用して病気を引き起こすウイルスの増殖をふせぐために、製薬会社が雨雲をつくって降らせている。雨にふくまれる酸は、ウイルスの活動を不活発にし、毒性を低下させる効果がある。

 

 製薬会社はウイルスを無効化するワクチンを作っているらしいが、仕事もお金もないあたしには縁のない話だ。そのかわり、同じ製薬会社の作っているサプリメントを食べることにしている。ひょっとしたらウイルスの撃退に効果があるかもしれない。


 戸外へ出られないという状況は、うちのなかで、なにかを育てるというブームをつくりだした。飼えるものならネコやウサギなど、吠えたり暴れたりしない静かな生きものがいい。なかにはヘビとかトカゲを育てている人もいる。植物や花を育てるというのも人気がある。


 SNSは、そんな生きものたちの写真や動画にあふれている。


 ネコと子どもがたわむれる動画

 ウサギが食事する様子

 プランターに満開の花々


 見ていて癒されるけれど、どうでもいいものばかり。あたしの青虫のようなものはほとんどない。青虫は気味がわるいからと敬遠される。気味がわるい? ただただ、かわいくて癒しをあたえてくれる写真や動画のほうが気味がわるくないか。不都合なものを隠ぺいしていないか。青虫にはそれがない。あたしは青虫の写真をアップしつづけた。


「今日の感染者は5000人」


 SNSのメッセージをたどっていくと、まだ、たくさんの人がウイルスに感染していることがわかる。これまでにもこのウイルスが原因の病気で、大勢の人が亡くなっている。


 ただ、製薬会社は、これ以上、雨を降らせるのをやめるといっている。ウイルスの感染者がこれまでになく減少してきたからだ。雨がやんでウイルスが増えるのはいやだな。怖い。



 でも、雨の降っていない街は、どんな景色だろう。外に出られるってどんな気分だろう。それを考えると楽しい気持ちになって、雨があがるのが待ちどおしい。


 軽くタオルで身体をぬぐうと部屋へ戻った。乾いた空気が、あたしの肌から気化熱を奪う。ひんやりとして爽快だ。製薬会社のいうとおり、雨があがるのだとしたら、まず服を買わなくてはならない。戸外は、はだかで歩きまわれないからだ。


 ベッドに倒れこむと、ぱりっと乾いたシーツが肌に心地よい。飼育箱を手にとる。青虫はあいかわらずキャベツを食べている。おなかいっぱい食べた青虫は、やがてさなぎになる。時が満ちれば、羽化して蝶になる。


 壁に留められた蝶を見る。

 白い蝶、黄色い蝶、青い蝶、だいだい色した蝶。

 黒い筋のはいった蝶、赤い斑点のついた蝶、フクロウの目玉をもった蝶。

 さまざまな色と模様、形と大きさをもったあたしの分身。


 雨があがり、蝶の羽が溶けなくなれば、外に放してあげたい。羽化した蝶には、自由に世界を飛び回らせてあげたい。生きていけないからといって、針で刺すようなことはやめよう。そのたびに、あたしのなかのなにかが死ぬ。こんなことはもうしたくない。


 雨があがれば、あたしも羽化する。この部屋から外の世界へ。

 どうすればいい? 外の世界には、たくさんの人がいて、彼らはネコでも、ウサギでも、青虫でもなくて、あたしと同じ人間なのだ。あたしが自堕落でわがままなように、彼らもまた、自堕落でわがままなのだろう。あたしはそんなじぶんが嫌いだし、そんな人間が怖い。でも――。


 きょうの午後には雨があがりはじめる。

 製薬会社が雨雲の発生を停止した。

 あたしには、羽化するための準備はなにひとつできていない。窓ガラスに映る白くてほっそりしたあたし自身を見てそう思う。あたしは外を歩くための、服の一枚すらもっていない。


 ふたたび、壁に留められた蝶を見る。 

 この蝶たちは、この部屋であたしが育ててきた感情の標本だ。

 怒り、悲しみ、欲望、恐怖、不安……。

 いまここに新しい標本が加わろうしている。あたしは、その新しい感情との邂逅にとまどっている。


 希望。


 雨があがるという情報がSNS上で拡散しはじめてから、あたしは、青虫だけでなく蝶の写真もアップしはじめた。なにかを変えないとと思った。とたんにタイムラインには好意的なメッセージがふえた。


「すごいですね」

「素敵だと思います」

「もっと見てみたいです」

 

 あたしの標本に? いちばんおどろいたことは、あたしと同じように青虫を育てている人からメッセージがきたことだ。


「ぼくも育てています。きれいな蝶ですね」


 メッセージには、キャベツを食べている青虫、標本となった蝶に加えて、花の蜜を吸っている蝶や草原の上を飛んでいる蝶の写真が添付されていて、あたしは雷に打たれたようなショックを受けた。ここには雨が降っていない。この蝶は外を飛んでいる!


 部屋に閉じ込められていない人がいる。

 自由に外を飛び回れる蝶がいる。

 こんな人ははじめてだ。会ってみたい。話してみたい。

 どんな蝶が好きなのか。

 なぜ蝶を育てているのか。


 ――あたしも、この人のように自由になりたい。


 雨があがれば。

 やがて雨があがれば――。


 窓の外では、ようやく薄くなってきた雲の切れ目から、四月の青空が顔をのぞかせはじめている。

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雨があがれば 藤光 @gigan_280614

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