第25話 握手会

 時間というのは経つのが早いもので気が付けばあれだけ面倒だった学校は終わり、土曜日になっていた。

 つまり今日は"orphanS"とタウンヴァンガードコラボイベントの開催日である。


 イベントの参加条件はコラボグッズを一定額購入して整理券を入手すること。これがなければグッズを購入してもイベントに参加することは出来ない。

 内容は三つあり、一つ目はグッズに関するトーク会、二つ目は数曲の歌唱を予定している生ライブ、三つ目はファンひとりひとりとの握手会だ。


 そんなイベントの主役である"orphanS"のPhoinixこと零聖はタウンヴァンガードの控え室で待機していた。

 この日の零聖はいつもと雰囲気がまったく異なっていた。

 ハーツ系の衣装に身を包み、目の隈はコンシーラーで消され、髪はワックスで束感を出しており、いつも隠れている右目には"orphanS"のエンブレムが刻まれたPhoinixのトレードマークである眼帯が着けられている。

 その姿はまさにファンが想像する、すれ違えば誰もが目を奪われるであろう絶世の美青年Phoinixだった。

 そこへ控え室の扉が開かれ、マネージャーのさざなみが入ってくる。


 「フォイさーん、そろそろ時間でーす」


 「分かりました。あと、せめて漣さんだけはその名前で呼ぶのやめてくれません?」


 Phoinixの愛称の一つして「フォイ」というのがあるのだが、零聖はこれを「某ラッパー集団のナンバーツーDJと被って申し訳ない」としてあまり好んでおらず、最近の悩みの種となっている。


 「ですけど"Phoinix"って言うの長いんですよ。他のメンバーの皆さんは三文字以下なのに」


 「名前長くて悪かったですね」


 零聖は年上の男性マネージャーを薄目で睨み付けた。


 「ほら、そんなムスッとした顔しない。待っているファンの方々の前にそれで出るつもりですか?」


 「誰のせいだと思ってるんだ……」


 零聖はそう愚痴るように呟くと俯くが、しばらくして顔を上げるとそこには艶っぽい笑みを浮かべた美青年がいた。


 「漣さん。行こうか」


 零聖を知る人が見たら「誰だコイツ?」と目を疑うような変わり様だが、慣れているのか漣は「行きましょうか」と何事もなかったような笑顔で頷いた。


 ◇


 イベントが行われるのはタウンヴァンガードの店内ではなく、店舗に隣接している小ぶりな会場だ。

 キャパは百人を少し超えるくらいで会場には既に縦横一列に並べられた椅子に一つの空席もなく座る観客達がイベントの開始を今か今かと待っていた。

 ちなみに男女比は女性が圧倒的に多く、男性は人数は指の本数に収まる程度だったが熱気に双方の差はほとんどない。つまり男女関係なく、ここにいる全員が疑う余地もなくPhoinixの熱烈なファンなのだ。


 時間になると正面のステージにPhoinix――ではなく、今回のイベントの司会を務めるタウンヴァンガードの店員が上がり写真撮影等の禁止事項を説明し始める。

 説明時間そのものは短かったが、Phoinixの登場を心待ちにしているファン達にとっては人参を前にぶら下げられているようなもの。時間の流れが遅くなったように感じられた。


 やがて、そんな短いようで長かった説明が終わるとその時が遂に訪れる。

 

 「……それでは皆さん大変お待たせ致しました。これよりPhoinixさんの登場です。拍手でお迎えください!」


 司会者の盛り上げる声に応えるようにファンも黄色い歓声とともに拍手を奏でる。


 そして、Phoinixが遂にその姿を現した。


 中性的で整った顔立ちに長い睫毛、雪結晶のような透き通った美しい銀髪、小さな顔がスタイルの良さを引き立てており、普通の人間が着たら浮くであろうハーツ系のファッションも恐ろしいほど似合っていた。

 その風貌に初めてPhoinixを見る者は勿論、ライブなどで一度でも見たことのある者も息を呑んだ。


 「皆さんこんにちは。"orphanS"のPhoinixです!」


 Phoinixが口にしたのはただ挨拶であったがそれだけでファン達はまるで自分に話しかけられたかのような気分になり、元々大きかった歓声と拍手がより大きくなった。


 「ようこそ来てくださいました。こんにちはPhoinixさん。早速ですがこの会場を見て如何お思いでしょうか?」


 「いや〜人数は百人前後とお聞きしていたのですが、ライブの時に負けないくらいの熱気で驚かされました。皆んな来てくれてありがとう!」


 Phoinixがそう言って手を振ると再度、歓声が上がる。


 (ライブの時に比べたら人数は少ないはずなんだけど、百人ってこんな多かったんだな……)


 手を振りながらPhoinix――零聖はそんなことをしみじみと感じた。

 ライブでは千人以上を前に歌っているはずだが、やはり歌とパフォーマンスに集中している分、本番中にその人数の凄さを実感することは難しかった。

 だから、こうしてひとりひとりを見る余裕のある今だからこそ分かる。人数の凄さというものを。自分達を応援してくれるファンの有り難さを。

 その感謝の気持ちを伝えるつもりで零聖はファンひとりひとりを意識して手を振っていたのだが……


 「……え?」


 不意に零聖がその動きを止めた。


 「どうかされましたかPhoinixさん?」


 「……いえ、何でもありません」


 顔色の変化に気づいた司会者が声をかけるも次の瞬間には零聖――Phoinixは何事もなかったように爽やかな笑みを浮かべていた。


 「そうですか……なら、最初のコーナーを始めましょう!Phoinixさんはそこへお座りください」


 零聖の態度に司会者はそれ以上、詮索することなく、自分の仕事であるコーナーの進行を始めていく。

 しかし、今の零聖はそれどころではないほど焦っていた。零聖は手を振っている最中に見てしまったのだ。


 (何でアイツらがここにいるんだよ……)


 背中から冷や汗が出るのを感じながら零聖は視線だけを客席のある方向へ向けた。

 その視線の先には黒紫の姫カットをした美少女とその見た目に反して上品な服で着飾った金髪のギャル――つまりは一姫と恋が客席に座っていたのだ。


 (そう言えば朱雀の奴デート前に用事あるって……これのことか!てか……何であのバカもここにいんの!?アイツ"orphanS"のこと知ったの木曜日くらいだろ!行動力ありすぎないか!?)


 澄まし顔の下で発狂する零聖。


 経緯としてはいつの間に二人は連絡交換しており、会話の折に恋が"orphanS"にハマったこと知った一姫が今回のイベントに誘い出したという構図なのだがそこは零聖にとってはどうでも良かった。

 問題は二人に正体がバレないか、この一点だ。


 普段と格好が違うとは言え、知り合いならば気付かれるのでないかだろうか?


 そんな懸念が不安を掻き立て、一つ目の企画中、零聖は一姫と恋の一挙一動に終始、ビクビクしていた。そのせいでトークに集中することが出来なかったのは言うまでもないことだった。

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