第20話 拗ね気味の同居人
走る。走る。走る。
電車降りた零聖は改札口を出て自宅へ弾丸のように走る。
気持ちは友セリヌンティウスを暴君から救うべく数多の障害を乗り越え、走り続けるメロスだった。
少しずつ沈んでゆく太陽の十倍もの早さで帰宅までの道のりを駆け抜け(たつもり)、家のドアに手をかけると靴を脱ぎ捨て、愛舞が待っているであろうリビングに辿り着く。
「ただいまっ!」
帰ってきたことを伝える叫びとともに現れた零聖の視線の先にはテレビの前で三角座りで座る小柄な背中があった。
「……遅い」
その声に零聖はやってしまったと悟った。
セリヌンティウス――ではなく、愛舞の背中から悲しみと憤りが二等分されて合わさったオーラが漂っている。
顔を見なくとも不機嫌なのは確かだった。
「ごめん……少し、急用が出来てさ」
「……急用って?」
振り返ることなく投げかけられる愛舞の詰問に零聖は額に汗を滲ませた。
ここで言い訳をしても愛舞の機嫌は直らないだろう。かと言って正直に話しても直るという保証はないが。
だが、愛舞に嘘をつくようなことはしたくない。零聖は意を決すると放課後に一姫へ部活紹介を頼まれ、それを断りきれなかったということを白状した。
「ふーん……またあの子?」
不満げな声で愛舞は呟いた。相変わらず背は向けたままだ。
「何でその子はレイに頼んだの?」
「まだ気を許せる人が少ないからだと思う。他のクラスメイトは初対面だけどオレとは幼馴染だったし……」
「だからレイはその申し出を受けたの?わたしを蔑ろにして」
「それは……」
その言葉に零聖は目を伏せ、黙り込んでしまう。
次は何を言われるのだろうと判決を待つ被告人のように体を縮こまらせていると小さな背中の向こうから「ふふふ」と小さな笑い声が聞こえてきた。
「ごめん。ちょっと意地悪だった」
謝罪の言葉を入れると愛舞は初めて零聖へ振り返った。そして、零聖の手を握りしめるとお互いの顔が触れ合いそうな距離まで近づく。
「レイのそういう優しいところわたし好きだよ。でも、その優しさが他の子に向けられていると思うと嫉妬しちゃう」
耳元で拗ねたような声色で囁かれ、背筋がゾクゾクっと震える。
いつの間にこんなテクニックを覚えたのだろうか。
「だからね、他の子に優しくしないでとは言わないけどなるべくわたしを優先してほしいな。今回はわたしが先約だったワケだし」
そう言うと愛舞は自分の体を預けるように寄りかかってくると零聖の背中に手を回す。
「……ああ、ごめんな」
それに応えるように零聖も愛舞の体に手を遣り、優しく抱きしめた。
お互いの体温を感じ取るように、交換するように三十秒、一分、あるいはそれ以上の時間、抱きしめ合う二人。
永遠にも続くと思えた二人の時間だったがそれは突然として終わりを告げることになる。
「おっ、二人とも熱いねぇ」
耳に飛び込んできた揶揄うような声に二人は反射的に飛び退いた。
「奏音……」
零聖は声の主――奏音の方に体を向けると言葉にしなかった科白の続きの代わりとばかりに半目で睨みつける。
一方の愛舞は羞恥心に悶えるように真っ赤にした顔を俯かせていた。
「ごめんごめん。謝るからそんな顔しないでよ」
零聖の抗議の目に奏音は申し訳さなそうに手を合わせる。
「おかえり。いつから見てたんだ?」
「ん〜……『愛舞がレイのそうい優しい所』から」
「〜〜〜〜〜っ!」
「よりによって一番聞かれたくないとこ聞いていたな」
「だからごめんって!声かけるタイミング分からなくて……」
より一層顔を赤くした顔を手で覆い隠す愛舞。
それに責めるような視線を向けてくる零聖に奏音は申し訳なさげに目を逸らす。
「でもさ、いつまでも抱き合ってるんじゃゲームする時間なくなっちゃうでしょ?私はそこを気にして言ってあげたわけですよ……」
一転して言い訳をし始める奏音だが、相変わらず目は他所に向いており語気も科白に反して弱々しい。
「その割には楽しそうだったけどな」
そこへすかさず指摘を入れると奏音は痛い所を突かれたとばかりに「うっ」と声を上げた。
(自信ないなら抵抗するなよ……)
「ま、まあ、二人とも仲良くね!」
そう言い残すと奏音は逃げるようにその場から去っていった。
「…………」
「…………」
残された二人の間に気まずい空気が流れる。こうなったのは奏音のせいだが、恥ずかしいことをしていたのは事実だ。
ゲームをする気になれなくなってもおかしくないが、愛舞が未だにフリーズする中、零聖は徐に動き出すとゲーム機の電源を付けた。
「レイ……?」
「やろっか?」
零聖はそれだけ言うとゲーム機のコントローラーを差し出して微笑した。
「…………」
愛舞はその微笑に見惚れたように見つめ続ける。否、実際に見惚れていた。その理由は……
(レイ……笑ってくれた)
ただ、それが嬉しかったのだ。
零聖は普段、表情を変えることが身内の愛舞から見ても少ない。
昔――出会ったばかりの頃と比べたら随分ましになったのかもしれないが、それでも一般のそれと比べたら少ないことには変わらないだろう。
更に言うなら変えたとしてもその表情は顰めっ面や呆れ顔のような陰のものが多い。
故にこうして自分に陽の表情を見せてくれたことがとても嬉しかったのだ。
「……うん!やろっ」
笑顔で頷くと愛舞はコントローラーを受け取り、零聖の真横に座った。
その後、零聖と愛舞は心ゆくまで二人きりのゲームを興じたのだった。
◇
「……さっきまでの照れようはどこへやら。二人とも楽しんじゃってさあ」
そんな二人の様子をリビングから去ったはずの奏音が影から見守っていた。
「まっ、私はあの二人を応援してるからいいんだけどね」
愛舞が零聖に淡い思いを寄せていることは"orphanS"のメンバーはおろかファンの間でも知られている。
零聖自身も愛舞のことを憎からず思っており、愛舞の健気なアプローチにも誠実に応えているがそれだけで愛舞も奥手な性格のため中々付き合う方向に舵を切れずにいた。
「一回付き合ってるんだから。そんなにハードルは高くないはずなんだけどなぁ」
実を言えば二人が付き合っていた時期もあった。その時の二人は大変仲睦まじく、理想のカップルだったと言えただろう。
しかし、ある事件がきっかけで二人は別れることになる。別れを切り出したのは零聖からだった。
原因はすれ違いでも、他に好きな人が出来たからでも愛が冷めたからでもない。そもそも二人に落ち目などは一切なかった。
「レイは一つも悪くないのに……」
愛舞が拳を震えるくらいに握りしめる。それは怒りから来るものだった。
そして、鋭くなった瞳はここにはいない一人の男を憎しみの感情とともに睨みつけている。二人が別れる原因を作ったあの男に。
「アイツのせいでアイツのせいでアイツのせいで……」
奏音は普段の明るいイメージからは想像もつかない形相で、まるで呪詛を唱えるようにその科白をいつまでも繰り返し呟いていた。
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