ジョセフ・フーシェ:生きていたよ

 シュテファン・ツワイク著、高橋禎二・秋山秀二訳の「ジョセフ・フーシェ」を読んだ。

 岩波文庫から出ている。


 内容はとてもよいのだが、人には勧めにくい。

 理由は二つあって、一つ目は知識の問題。

 フランスの近代史を勉強していないと読み進められない。

 もし読みたければ、軽めの通史に目を通してから、倉多江美さんの「静粛に天才只今勉強中!」を読むとよい。

 「静粛に天才只今勉強中!」は「ジョセフ・フーシェ」を下敷きにしたマンガなのだが、「ジョセフ・フーシェ」そのままの描写も結構ある。

 逆に「静粛に天才只今勉強中!」を見た人が「ジョセフ・フーシェ」を読むと、よくわからなかった場面やセリフの意味がわかるようになる。

 マンガでいえば、長谷川哲也さんの「ナポレオン」シリーズもよい。


 「ジョセフ・フーシェ」以後に書かれたフランス革命を題材にした作品で、「ジョセフ・フーシェ」の影響を受けていない作品はおそらくない。

 鹿島茂さんの「ナポレオン・フーシェ・タレーラン 情念戦争1789-1815」はおもしろい評伝だったが、「ジョセフ・フーシェ」の内容を現在の読者にわかりやすく説明した作品という面もある。

 鹿島さんの「情念戦争」を読んでから「ジョセフ・フーシェ」に手を出すと通読しやすくなる。

 とにかく、フーシェの生きた時代の事前知識なしに手を出すと、高い確率で「ジョセフ・フーシェ」は読み切れない。


 人に勧めにくい理由のもう一つは文章。

 四十年前の訳なので訳者を責めるのは酷だが、文章が古すぎる。

 高校生や大学生にも読んでほしい作品なのだが、文章の点からまったく勧められない。

 今では使われない言い回しが引っかかり、内容に集中できない。

 当時の読者の読みやすさを考えて、くだけた表現を多用したのだろうが、四十年がつと非常に読みづらい。

 政治的な人間という普遍的なテーマを扱っているのだから、文章も長く読まれることを想定して、もっと固い、腐りにくい文章で良かった。

 同じ岩波文庫の「ソクラテスの弁明・クリトン」は六十年前の作品だが、今でも問題なく読める。

 同じような工夫が「ジョセフ・フーシェ」にも必要だった。

 新しい訳を出すべきだし、十分にニーズのある作品である。


 読み方としては、ナポレオンが登場するまでのフランス史は、日本人にはなじみが薄いので、第四章から読みはじめるのも一つの手だ。

 第一章から三章までもおもしろいのだが派手さに欠ける。

 あと、第九章(最終章)はとってつけた感じがしてつまらない。

 ちなみにこの本の白眉は194ページから196ページである。

 ナポレオンがどういう人間であり、なぜ没落を余儀なくされたのか。

 その理由が端的に書かれており、文章も心地よい。

 そこをまず読むのもありだ。


 フーシェが仕え裏切ったナポレオンは、人の中に突如現れた怪物であった。

 フーシェやタレーランがナポレオンを怪物にしたわけではないが、フランスを食いつぶすまでの化け物にしたのは、フーシェとタレーランだった。

 二人はナポレオンにとって忠臣ではなかったが、彼らがいなければナポレオンはあれほどまでに巨大な存在にはならなかった。

 フーシェとタレーランが自ら育てた怪物を自分の手で屠った経緯いきさつは、滑稽でありつつも深い物悲しさをおぼえる。


 そういう点で、一八〇〇年に起きたマレンゴーの戦いは重要ないくさであった。

 この戦いを巡るフランス国内のドタバタを見たナポレオンとその家族は、権力と権威を保つには戦いに勝ち続けるか、血統に基づく帝政を敷くしかないと考えた。

 才覚のみでフランスを手中に収めたのだから、それは自然な結論と言えたが、マレンゴーの戦いにおける敗戦の一報に対して、フランス市民がもっと落ち着いた対応を見せていれば、ナポレオンもあれほどの戦争狂にはならなかったかもしれない。

 その後のフランスの悲劇はナポレオンが引き起こしたものだが、彼を追い詰めたフランス市民にも責任の一端はある。

 フランス市民はその責任を自らの血で十分にあがなったが。


 最後に余談だが、フーシェの生きた時代のフランスは簡単に人が死んでいった。

 その中で、命をかけたいたずらをナポレオンにしかけて生き抜いたフーシェは、妖怪と言える人間だが、自分の信念を譲らずに生き抜いたカルノーもおもしろい。

 生きるには信念が邪魔な時代であった。

 当時のフランスに生まれたら誰になりたいかと問われれば、バラスがいい。

 ナポレオンを引き立てた政治家で、彼に追われて引退を余儀なくされたが、いい暮らしを送って長生きした。

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