第30話 未成年の飲酒描写について

 先に、私の見解について述べておきます。


 「創作にかせめたくない」



 『カクヨム』や『小説家になろう』などの小説投稿サイトで、今『異世界転生ファンタジー』が流行っています。

 この物語の特徴は、作品冒頭でなぜか主人公がトラックに轢かれて死ぬのです。そして天使や神様が出てきて「間違って死なせてしまいました。新しい世界へ転生できますけど」のような流れで異世界に現実世界の記憶を持ったまま「転生」します。


 これを現実の価値観で見ると、「始まって早々、主人公が死ぬのは不謹慎だ。そんな物語は許されない」となるはずです。

 すると「異世界転生ファンタジー」の文化が淘汰される可能性があります。


 また「追放」ものも人気があります。

 主人公は実力があるものの、勇者パーティーから「追放」されて辺境でスローライフを送ったり、勇者パーティーを見返すべく暗躍したりします。


 これを現実の価値観で見ると、「今まで仲間だったのに始まって早々爪弾きにするなんて不謹慎だ。そんな物語は許されない」となるはずです。

 すると「追放」「スローライフ」「ざまあ」という文化が淘汰される可能性があります。


 つまり現実の価値観で小説を捉えてしまうと、創作に大きな枷を嵌めてしまうおそれがあるのです。



 実際に、現実では「非実在青少年」というワードが取り沙汰されています。

 フィクションの青少年が性行為をしたり性の捌け口となったりするのは「非実在青少年」の人権を無視している、というわけです。

 フィクションの青少年に現実世界の人権を求められても困るわけです。

 そんなことをしたら、戦争小説なんて存在しえないですし、たとえばJ.K.ローリング氏『ハリー・ポッター』シリーズのように子供に苦難やミッションが次々と与えられるのは、「ハリーの人権を無視している」と言えるわけですから。


 程度を落として、それこそ未成年に飲酒や喫煙をさせるなどするのはもってのほかと思うかもしれません。

 現実世界・現代日本が舞台の小説であれば、二十歳未満の飲酒・喫煙は法律で禁じられていますから、その表現は配慮されなければなりません。

 それでテレビCMですら「※お酒は二十歳になってから」とか「※二十歳未満の喫煙は法律で禁じられています」とか短くて小さい文字ですが明記せざるをえなくなっています。タバコは現在TVCMの放映そのものを禁じられているのです。

 ですが、昔のドラマたとえば萩原健一氏『傷だらけの天使』や松田優作氏『探偵物語』のように、やさぐれた男性が無造作にタバコを吸っている姿で人気を集めたものがありました。現在衛星放送などで再放送されると「現在では不適切な表現がありましたが、当時の制作意図を尊重し、そのまま放送致しました。」と断りを入れるのが習わしとなっています。


 確かに飲酒や喫煙シーンは現実の人間がやると「子供への影響力が強いからやめろ」となってしまうのは、現状ではある程度致し方がないのかもしれません。


 しかし「創作」では事情が異なってくるのです。


 「創作」とは「製作者の意図によってすべてが表現されている世界」です。

 つまり「未成年に飲酒をさせるのも、製作者の意図として行なっている」のであればその表現は許容されるべきです。もちろんそれを子供が真似をする可能性もありますが、それはドラマで憧れの俳優がやっているのとは桁違いに微小な影響力しかありません。

 「ほら、いわんこっちゃない」と、急性アルコール中毒になって頭痛と吐き気と戦っている様子を描けば、「アルコールは大人にならないとダメなんだな」と啓発に使える可能性もあります。


 今回問題となった飲酒シーンですが、「1年16ヶ月」の世界で「17歳」なので、現実世界でいえば22歳8ヶ月であり、じゅうぶん大人なんですね。

 ただ単に「17歳だから飲酒はどうかと」だと「製作者の意図」に沿いません。

 現実世界22歳8ヶ月の人物が飲酒をしただけだからです。

 そして「現実世界とは異なり、1年が16ヶ月」の異世界ですから、17歳でも立派な大人ということになります。

 もちろん読み手が「1年16ヶ月」の世界であることを見落として、 単に「17歳」だから飲酒シーンは控えたほうが、とするのは読み手の落ち度ではあるのです。

 書かれている内容をすべて理解したうえで、「あれ? この世界では17歳で飲酒できるんだ」と疑問を持つのは良いことです。異世界を理解するうえでとても有用なものの見方だからです。


 小説投稿サイトで多くの方が「異世界」を書くのは「表現の制約がほとんどない」からです。

 それこそ飲酒が許可される年齢が15歳の世界かもしれませんし、喫煙は違法薬物として取り締まられている世界かもしれません。

 私自身はアルコールを一滴も飲めませんし摂取すると激しい頭痛に見舞われ、タバコの煙を少し嗅いだだけでも激しい頭痛に見舞われます。

 だから、私は異世界であってもアルコールを飲むシーンやタバコを吸うシーンには抵抗を覚えます。それで気持ちが大きくなったり、気分が落ち着いたりという心理が理解できないからです。


 「異世界」は「現実とは異なる世界」という共通認識が書き手と読み手で共有しているジャンルですので、物語の世界で未成年が飲酒しても、それで現実世界の未成年が真似をすることはまずありません。

 もし「異世界」創作で飲酒を煽るというのであれば、『ハリー・ポッター』の「バタービール」なんて、名前こそビールですがノンアルコール飲料です。しかし「ビール」と書いてある以上、現実の子供たちが「本物のビールを飲んでしまう」事件が多発していても不思議はないのです。ですが、そんな事件が起こったというニュースには触れたことがありません。それは読み手も「異世界の話だから」と割り切っているからです。



 昔のテレビ番組は、現実と空想の境が曖昧で、まるで本物の探偵のようだ、刑事のようだというだけで模倣の対象となりました。

 しかし現在ではテレビ番組を観る子供は減り、インターネットの動画配信を楽しんでいる時代です。彼ら彼女らは自らの意志でフィクションを楽しむ術を手に入れています。

 つまり懐かしドラマの配信動画を観て「未成年の飲酒、カッコいい」と思う人はほとんどいません。むしろ創作に触れていない、現実の人付き合いで「つるむ」若い集団がコンビニでアルコール飲料を買って飲んでいる。

 「事実は小説よりも奇なり」で「創作」の世界がいくら表現を抑えても、現実社会の若者自身が「創作」に触れずに酒を飲む時代なのです。

 その責任を、なぜか「創作」に求める風潮がありますが、これは明らかに認識が混同しています。


 「創作」に触れていない人の犯罪の根拠を、「創作」に求めるのは明らかに悪手です。

 昔、未成年を誘拐して性行為をしたうえで殺害した人物が、アニメを録り溜めたビデオを多数持っていたことから「オタク=性犯罪者・猟奇殺人者」のレッテルを貼られたこともありました。


 「創作」が原因なのではなく、原因を「創作」に求める人たちがいる。


 だから「創作」はつねに時代から批判されてきたのです。


 ですが「創作」の本質は「見知らぬ世界へ読み手を誘う」ことにあり、ある種現実逃避の手段です。

 青少年の読み手はきちんと理解しています。

 「未成年は飲酒をしてはならない」と。


 どう見ても未成年にしか見えない『ONE PIECE』の主人公モンキー・D・ルフィーが大飯食らいで酒を浴びるように飲んでいても、どの子供も浴びるように酒を飲んだという事件が起こったこともありません。


 現代の青少年は「現実」と「創作」の別は理解しています。

 そして「異世界」が「現実世界」とは異なるところであり、海外と日本以上の差があることを知っているのです。海外では17歳、18歳で飲酒を許可している国がありますからね。

 オランダでは大麻が合法化されていますが、だからといって日本でも大麻は合法だと認識している人はまずいません。違法だとわかったうえで手を出しています。ですが適当な「創作」が存在しないから、クレームの付け場所がないだけです。


 しかし飲酒や喫煙は過去のドラマや映画などで俳優がおおっぴらに演技をしていたので、そこに原因を押しつけられたのです。




 だから私は「創作にかせめたくない」と思うわけです。


 「創作」は本来自由であるべきです。

 法に触れるのは確かにいただけませんが、「異世界」に現実の法を照らしても意味がないのです。


 勇者が魔王を殺す物語を読んで「殺人罪ですよね」という人はいません。

 「異世界」であると皆が認識しているからです。

 そういった「共通認識」を持つのが「異世界ファンタジー」の習わしであり、現実世界とは明確に線引きされた世界なのです。


 『桃太郎』だってきびだんごで犬、猿、雉を買収して仲間に引き入れ、鬼ヶ島に乗り込んで鬼を殺戮していますよね。それでも子供たちは歓声をあげます。

 そして『桃太郎』を読んだ子供がおやつやお金で腕っぷしの立つ人を買収して、金持ちの大量殺戮に走った話は聞かないはずです。


 「創作」は後付で犯人に仕立てられることはあっても、最初から犯罪をそそのかすことはない。

 というのが私の見解です。




 「創作」においては「表現の自由」が保証されており、どのような表現をしても法には触れません。

 たとえ未成年の飲酒シーンがあっても、表現自体は自由なわけです。ただ、それが現実と混同されると厄介なことになる、というだけです。

 だから「※未成年の飲酒は法律で禁じられています」のような注意書きが必要になるのです。

 ただ、混同しようのない「創作」上の「表現」は自由であるべきです。


 最近お亡くなりになりましたが、石原慎太郎氏はその作品で、「男のアレが障子を突き破った」なんていう表現をしていたんですよ。それでも不謹慎だなんて言われなかった。

 おそらく今発売されていても不謹慎だとは言われなかったでしょう。

 それは「創作」であり「表現」は自由だからです。




 今回のひと騒動は、そういった現実世界の倫理観を「異世界」に持ち込む是非が問題でした。

 基本的には「創作」とくに「異世界ファンタジー」に現実世界の倫理観を持ち込むと、物語を素直に味わえなくなってしまいます。

 「異世界ファンタジー」は『桃太郎』なのです。

 桃から生まれた桃太郎は、生まれたとき全裸だったと想定されますが、児童ポルノに当たるのでしょうか。

 そんなことを気にする親御さんは誰ひとりいなかったのではないでしょうか。


 「創作」はつねに「自由」であり、だからこそ文責はとらなければなりません。

 自由には責任がつきものです。

 「未成年の飲酒に見える」描写があったとして、これは「現実世界では成年になんですよ」と言うか、「この世界は何歳からお酒が飲めるんですよ」と言うか。文章で書いたものに対する責任はきちんと果たすべきです。

 だから「指摘されたから改める」のも一手ではあるのですが、それだと文責をとる意識が足りなかったのかなと思います。


 指摘した側も、それほど咎める意図はなかったと思います。

 単に「17歳のキャラクターに飲酒させるのはどうなんだろう」という疑問があっただけかもしれません。

 そして作者側も、焦る必要はなかったと思います。

 単に「この世界の17歳が成年だと書いていなかっただけか」とミスに気づくだけでよかったのです。


 この二つの善意の行き違いが、今回の問題を起こしたのだと考えております。




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