第10話 獅子狼 親友の無念を背負って甲子園に立つ

【獅子狼 】


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 それから数日後、いよいよ夏の甲子園大会が開幕した。


 北翔高の初戦の相手は高校球界に名を轟かせる大阪の名門校、導院学園であった。


 試合前、各報道は、昨年の夏の大会準決勝と春の選抜の決勝で戦った両校であるがエース桂投手を欠いた北翔高では導院学園は手強い相手と言えるだろうと評していた。


 大会前には夢にも考えもしなかった甲子園大会での先発マウンドに立つことになった獅子狼は、太陽が事故にあったという知らせを五月からの電話で知った日からのことを思い出していた。


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 五月は、太陽と美歩が事故に遭い総合病院に運ばれた、と言い「お父さんに車を出してもらうので、すぐ家に来て」と言った。


 獅子狼は母親に「太ちゃんと美歩マネが事故にあって病院に運ばれた。五月ちゃんちの車で病院に行ってくる」


と言うと家を飛び出した。

家を出るとすでに五月んちの車は道路で待っていた。


 車の外に立っていた五月が、「獅子狼さん早く乗って」

と獅子狼を後部座席に誘導した。


 「ありがとう」と言いながら獅子狼は後部座席に乗り、その横に五月も座った。


 「すみません。お願いします」と獅子狼は運転席に五月パパに言った。


 「太ちゃんと美歩ちゃん、心配だね」

と五月パパは言いながら車を発進させた。


 「はい」

と獅子狼は答えながら、次の言葉は思いつかなかった。


 車内は重苦しい雰囲気で誰も言葉を発することができずに風景だけが変わって行った。


 病院までの道筋が、異常に長く感じられて仕方ない獅子狼は内心、イライラしていた。


 普通は気にならない信号待ちも、この時は時間が長く回数も多いように感じ『また、信号か』と思ってしまうのだった。


 その時、獅子狼はふと隣の五月に気付いて五月の方を見た。


 そこには、青ざめて今にも泣きそうなの顔の五月がいた。


 獅子狼は思わず五月の右手を左手で握りしめた。


「大丈夫だよ。大丈夫。二人ならきっと大丈夫だから……」


獅子狼は自分の不安な気持ちを追い払うような気持ちで五月に言った。


 「うん。そうね。大丈夫だよね」五月も自分に言い聞かせるように言った。


 車は病院の敷地内に入っていく。


 五月パパはルームミラーで後部座席に二人を見ながら


「車を止めてくるから先に行きなさい」


と言う車を病院の正面出入口の直近に停車してくれた。


 「父さん、ありがとう」

と言いながら五月は車を飛び出した。


 「ありがとうございました」

そう言いながら獅子狼も五月の後に続いた。


 獅子狼は五月を追い越し受付に走り込むと「事故で、救急車で運ばれた高校生の男女はどこですか」と尋ねた。


 教えてもらった救急措置室に走る二人。


 措置室の前の待合ソファーには学校から真っ直ぐに駆けつけていた弥生がいた。


 「お姉ちゃん。二人は?」

五月が聞いた。


 「太陽さんは意識はしっかりしている。美歩さんは意識がなくMRI検査を受けているみたい」


と現状を言った。


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 1時間後、獅子狼たちは病院の外の駐車場にいた。


 知らせを聞いた部員たちや、その保護者が集まってきて待合室はごったがいしたため、他の患者や病院に迷惑をかけてしまうから、と弥生が病院の外で待つように指示をしたのだった。


 部員から少し離れたところにはマスコミ関係者も多数集まっていた。


 今、甲子園大会の最大の目玉、注目選手である桂太陽、事故に遭う、というのはニュースバリューが高かったのであった。


 心配げに病院の方に目をやりながら部員たちは側の部員同士で言葉を交わしていた。


 その時、部員に一斉メールが届いた。


 「美歩さん、意識が戻りました。足を骨折を骨折しているけど命に関わるような怪我はありません。


太陽さんも、側にいますが元気です。これから学校で詳しい話をするので学校に移動してください。


マスコミには校長先生から説明があるので、そちらから聞いてください、とだけ答え、速やかに移動してください」


と書かれた弥生からのメールだった。


 部員たちから歓声が上がった。


 それを聞き報道の記者やカメラが部員の方に駆け寄って来て一斉に部員にマイクを向け


「どうしたの怪我について何か連絡があったの」


と質問してきた。


 副キャプテンの関太士が、両手を斜め上に広げて各々、質問をする記者を制した。 


 「今、監督から主将とマネージャーについての連絡がありました。この校長が、その件について発表すると思いますので、そちらにお願いします。


私たちは学校に戻ります。

取材は、他の患者さん、病院関係者のご迷惑にならないように節度を持ってよろしくお願いします」


と堂々と述べた。

 獅子狼は『副キャプテン、堂々として凄いな。俺には無理だわ』とマスコミ対応をする副キャプテンを見て思っていた。


 移動しだした副キャプテンの後を獅子狼ら部員たちも続いた。


獅子狼は側にいた五月に「五月ちゃん、美歩マネ怪我だけですんで良かったね」と言った。


 「うん。ホント良かった」

五月はそう答えると目から涙を一筋、流した。


-4-


 40分後、学校の体育館に部員たちは集まっていた。


前に部員たち、後ろに付き添ってきた保護者たちがパイプ椅子に座っていた。


 体育館の出入口に弥生の姿が見えた。


 それに続いて入って来た太陽の姿を見て、部員たちや保護者たちはざわつき、隣にいる者たちと顔を見合わせ言葉を交わし合った。


 みんなの前に姿を見せた太陽の右手は三角巾で吊られていたのだった。


 弥生と太陽が部員らの前に立った。


 「お待たせしてすみません」

弥生が口を開いた。


 「まず、皆さん、太陽さんのこの姿を見て驚いていると思いますが残念な報告があります」


と言うとフッと息を吐いた。


 「太陽さんは右手首を骨折しており、甲子園大会では投げることはできません」


 部員たちは水を打ったように静まりかえった。


 「皆さんの驚きはわかります。

でも一番ショックを受けているのは太陽さん自身です。


皆さんはまだ、甲子園で自らの力で戦うことができますが太陽さんはそれができません。


これからの戦いのためにすべてをかけて来たのに、それを直前にしてそれが叶わなくなくなった。


みなさんは、そんな太陽さんの無念も背負って戦ってください」


 部員たちは弥生の話を黙って聞いていたがその顔は弥生の言わんとすることをしっかりと理解した闘志あふれたものになっていた。


その中で獅子狼だけは頭が混乱したままであった。


 『太ちゃんが怪我? 投げられない? 甲子園はどうなるの? えっ、俺が先発するってこと……。


えっ。導院学園相手に俺が先発して投げる……』


次々にいろんなことが頭に浮かんできて弥生の話が耳に入ってこない状態であった。


 弥生の後を受けて太陽が自ら部員に対して話を始めるのを獅子狼は何か遠くの出来事のように感じながら見ていた。


-5-


 部員たちと別れて自宅に帰った獅子狼はアッちゃんに今日の出来事をメールした。


 そして「甲子園で投げるという夢は現実のものになるところまで来たと思っていたら、思いがけない不幸により先発のマウンドに立つことになりそうです。


これまで一度も想像にしたこともない事態に混乱しています。


太ちゃんはこんな大変なことになったのに、毅然としてみんなに怪我をして投げられないことを詫びていた。


それなのに俺は自分のことで頭が一杯になり太ちゃんの話を上の空で聞いていたんです。


俺って人として最低の人間です」


と有りのままの心境をメールした。


 すぐに「太陽さんは、今、どんな気持ちでしょうね。


これまで聞いてきた太陽さんの話から、私が想像する太陽さんの性格なら自分が投げられないことと同じくらい部にかける迷惑を考えているのはないでしょうか。


太陽さんが投げられない無念は誰も取り除いてやることはできませんが、部に迷惑をかけてしまったという、その思いは獅子狼さんが取り除いてやることはできると思いませんか?


 獅子狼さんの力で北翔高を勝たせることで太陽さんの無念の半分は取り除いてあげられるのではないでしょうか。


スミマセン門外漢がいい加減なことを言って」


というアッちゃんの返信メールが来た。


 これまでもアッちゃんのメールに励まされてここまで来たが、このメールで獅子狼は混乱した心を整理することができた。


 『そうだ、俺には落ち込んだ太ちゃんの心を少しでも軽くすることができるんだ。いや俺にしかできないことだ』


と導院学園と戦う決意が固まったのであった。


 そこに、またアッちゃんからメールが届いた。


「最低の人間という話ですが、人ってそんな自己中心的な弱い部分って誰にでもあると思います。


そんな小さな自分のことを自己嫌悪するのもよくわかります。


弱い自分を振り返り少しずつ成長して行きましょう。


そのことで自分を責めるだけ獅子狼さんはまだ人間味があると思います」と書かれていた。


 そのメールにまた救われたような気持ちになる獅子狼だった。


 獅子狼は、太陽あてのメールを打ち始めた。


 甲子園で先発するかもしれないという現実問題に狼狽し、太ちゃんの気持ちを慮る余裕をなくした自分の心を詫びる文書を打った後


俺が太ちゃんの穴を少しでも埋めて、太ちゃんの無念をちょっとでも軽くするから、と甲子園に向けての決意を書いた。


 しばらくして太陽から返信がきた。


 「要らぬ心労をかけてゴメン。でも俺のことは気にしないで。シッシー ――獅子狼のあだ名――のピッチングをしてくれれば俺はいいから」


という獅子狼を気遣う内容であった。


それを見ながら太陽の優しい心遣いヒシヒシと感じながら闘志が湧き出てくる獅子狼だった。


-6-


 学校関係者は、勝敗はもういい、とにかく試合と呼べるような体裁を保ってくれさえすればいい、とみんなが考えていた。


 思いもよらない甲子園のマウンドに立った獅子狼だったが、獅子狼は不思議と落ち着いている自分に驚いていた。


 太陽の怪我から今日まで出来うる準備はすべてやりきったとの思いでいた。


 獅子狼も『この2年半、自分がやってきたことを全部出し切ろう。


それが自分が試合で投げられないせいでチームに迷惑をかけたと思っているであろう太ちゃんの後悔を消してやることに繋がるんだ。


俺はやる、やれる』


とバランスよい精神状態に達していた。


 平常心で甲子園のマウンドに立った獅子狼は誰もが驚く脅威のピッチングを見せ、強豪校を3安打無失点に押さえ込んだのだった。


 試合後、導院学園の監督は記者から


「桂投手が投げられないということで導院ナインの間に油断があったのではないですか」


と質問した。それに対し監督は


「桂投手が怪我をして試合に出られないと聞いたときは驚き、戸惑いもありましたが甲子園大会において油断することはありえせん。


万全の準備をして、この試合に臨みました。天翔投手のピッチングがうちの打線より上を行ったということです。


敗因は天翔投手の力を見切れなかった私の失敗です。


選手に天翔投手の投球技術の高さを試合前にしっかりと浸透させるべきでしたが、私自身、それを見切ることができていなかった」


と一気に言い放った。


 「それは桂投手抜きの北翔高は対戦相手とし組易しと見ていたということでしょうか。2番手投手で押さえられるほど導院打線は甘くない、と」


と記者が質問した。


 「我々も地区予選のビデオを取り寄せて天翔投手のピッチングを分析しました。


正直、申し上げて、これと言って特徴が掴めませんでした。


球速も変化球も、これと言って飛び抜けているとは思えませんでした。


確かに地区予選は無失点に抑えていましたが、激戦区を勝ち上がり強豪校の各校のエースに打ち勝って来たうちの強力打線なら、それほど打てないような投手ではないとしか判断できなかったことが今日の敗戦の原因です」


 「天翔投手の投球技術と先ほどおっしゃいましたが具体的にどんなところを指されているのでしょうか。天翔投手を打てなかった要因とも思いますが」


と別の記者が聞いた。


 「抜群の制球力です。これは実際に対戦しないとわからないものでした。


他校とのビデオだけでは普通に投げて打者が打ち損なっているとしか見えません。


ところが実際に対戦するとうちのバッターがもっとも好きな、得意とするコースにボールが来るのです。


うちの方から見れば失投ですね。だからバッターは打ちに行く。ところが、打球は当たり損ねてゴロやフライになってしまう。


打順が一巡するくらいまでは、あんな失投を何で打ち損じているんだとベンチで叱責していたほどでした。


ところがいつまで経ってもうちの強力打線がボールの芯を捉えることができない。


それで、これは何かあるんじゃないか、と思って球筋を注視したところ天翔投手は事前に調べ上げたうちのバッターの好きなコースを少しだけ上下左右にずらして投げていたんです。


それに気付き、そのことを選手にも指示しました。凡打になっている原因がわかればうちの打線であれば微調整していずれは打ち崩せる思っていました。


それで打てそうで打てないままでどんどん回は進んでいく。


そのうちバッターにも焦りが出て来て天翔投手の術中に填まったまま試合が終わってしまったというのが正直な気持ちです。


桂投手を剛とするなら天翔投手は柔ですね。


桂投手の輝きが強すぎたために、側にいて同じレベルにある別系統の天翔投手の輝きに気付くのに遅れてしまったとうことです」


 「天翔投手のピッチングをそこまで評価されるのですか」

別の記者が聞いた。


 「天翔投手が地区予選から投げていても北翔高は確実に勝ち上がって来たでしょう。


そうであれば彼の実力を直視していたでしょうから、今日の試合も違った展開にすることができたかもしれません」


導院学園の監督はそういうと会見を打ち切り会場を後にした。


 記者たちは質問を続けるためにその後を追いかけた。


 この日を境に獅子狼の人生は大きく変化していった。


 マスコミは獅子狼を導院学園の監督も認めたシンデレラボーイと称し、獅子狼は一夜にして有名人となる。


 そんな世間の喧噪をよそに獅子狼はチームの勝利のために必死にかつ無心で投げ続けた。


 親友の無念を晴らすために投げ続ける裏のエースとして各マスコミは獅子狼を大々的に取り上げた。


そんな世間の大騒ぎに浮かれることなく獅子狼は決勝まで投げきり優勝旗を手にするのであった。


-7-


 野球界でまったくの無名選手であった獅子狼はこの夏の甲子園大会の優勝投手という栄冠を境にドラフト会議の注目選手に浮上し、プロ球界の名門チーム巨大軍にドラフト1位で指名された。


 甲子園の優勝投手とはいえプロで活躍できるのは数年後からだろうというのが大方の予想であった。


 身の程を知っている獅子狼も『まずは、プロに入ってからしっかりと身体を鍛えて数年後に1軍に上がれたら上出来』と同じ気持ちであった。


 ところが、そんな本人と周りの予想を裏切り獅子狼は1年目から開幕1軍枠に残った。


 開幕戦、8回まで終わった時点で0対6で負けていた巨大軍は、投手を何人も使ってしまったことから負け試合にこれ以上投手を使えないと9回に獅子狼をマウンドに送った。


 獅子狼は9回を無難に3人で投げきり、マウンドを降りたが、その裏に奇跡の大逆転を攻撃陣が巻き起こしサヨナラ勝ちしたことから獅子狼は開幕戦でプロ初勝利を挙げるという幸運に恵まれたのだった。


 その後は中継ぎで何度となく登板の機会があった獅子狼だったが、無失点で乗り切っていったことから夏前に先発の谷間での先発のチャンスが回って来た。


 獅子狼は、その試合で失点3点に抑えてプロ初先発を初完投勝利を挙げたのだった。


 時を同じくし先発投手の一角が怪我で抜けたこともあり獅子狼は先発陣に加わりシーズンで12勝を挙げ新人賞を獲得する大活躍をしてスターの座を駆け上がり始める。

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