第9話 太陽と美歩 事故に遭う


【太陽と美歩 1】


-1-


 明日、甲子園に向けて出発という日、軽めの練習を済ませたナインはこれから始まる最後の戦いへのそれぞれの思いを胸に学校を後にしていた。


 マネージャーの美歩は五月と甲子園に持って行く荷物の最後のチャックをして部室に鍵をかけその鍵を職員室に戻しに行った。


 職員室を出た二人は、そのまま校門に向かったが美歩は五月に「五月ちゃん、ゴメン。私寄るところがあるから」と言った。


 「了解。じゃあ、また明日ね」


五月はそういうと校門を左折して帰宅していった。


 美歩はそれを見送ると「よし」と言って反対方向に歩き出した。


-2-


 15分後、美歩の姿は繁華街の一角にある公園にあった。


 美歩は誰かと待ち合わせをしているのか腕時計で時間を確認した後、周囲に目をやった。


 美歩は待ち人の姿を見つけたのか、笑顔になり周囲を気にするように小さく左手を振った。


美歩の視線の先には変装のためか大きめのチューリップ帽子を深々と被った太陽が小走りで駆け寄って来ていた。


 「ゴメン、待った」

と太陽が言った。


 「うぅん。ちょっと前に来たばかり」と美歩は笑顔で答えた。


 「ごめんね。忙しい時に付き合わせて」


 「日本中の人が注目している高校生に比べれば、普通の女子高生は暇だと思うよ」


と美歩は笑顔で答えた。


 「それじゃ、さっと行って、ちょちょいと選ぼうか」


と太陽は言って二人歩き出した。


 「でも、五月ちゃんへの部員からの誕生日プレゼントなんて他の人に買わせればいいのに。


チームのスーパーエースが甲子園出発前日にすることじゃないと思うんだけど」


美歩は訝しげに言った。


 「みんなもそう言ったけど、美歩マネ、俺が何で北翔高に入ったか理由を知っているようね」


と太陽が言った。


 「中学校からの付き合いだもの、それは知り尽くしているわ。現在、6連敗中ってこともね」


 「しかし、普通考えて甲子園の優勝投手で今年のドラフト会議で何球団が1位指名するかって話題になっているほどの有名人が、6回交際を申し込んで6回も振られるってあり得ないんじゃない、と思わない」


と太陽は首をかしげながら美歩に言った。


 「気にしない、気にしない。世の中には摩訶不思議なこともあるのよ。


五月ちゃん以外にもこの世にはあと34億999万999人女性はいるんだから。


私ならいつでも太ちゃんのものになってあげるから」


と美歩は慰めるように戯けて言った。


 「ありがとう。美歩ちゃん。

五月ちゃんに踏ん切りがついたらよろしくお願いします」


と太陽は戯け返すのだった。


 二人は百貨店に行き、美歩のアドバイスを受けながら部員、一人から百円ずつ集めた5千円で二つ折りの財布を買い、レジでプレゼント用のラッピングをしてもらった。


 買い物も終わり、二人は軽口をたたき合いながら本通沿いの歩道を車の進行方向に逆行するように歩いていた。


 コンビニの手前にその駐車場があり歩道のガードパイプが切れている付近に差し掛かった。


太陽は後から歩いている美歩の方を向いて後ろ向きに歩きながら美歩の失敗談を思い出して茶化していた。


 「もう、昔の話を止めて……」と話していた美歩の表情を引きつり「危ない ?」と叫んだ。


その直前、耳を劈くような急ブレーキ音が当たりに響いて太陽も音の方向を振り向こうとしていた。


 三車線を走っていた普通乗用車が突然左に曲がり始めたためにかぶせられる形になった2車線と1車線の車両が危険を回避しようと急ブレーキをかけたのだった。


 3車線を走っていた乗用車は1,2車線の車の鼻先を通って太陽が歩いている歩道の方へ突っ込んできた。


 美歩は太陽が向きを変える途中であり車に反応できないと判断し太陽を突き飛ばした。


 歩道上に倒れ込んだ太陽の顔が苦痛で歪んだ。


倒れた際に反射的に利き腕の右手を道路についてしまったのだった。


 それと同時に車が衝突する激しい激突音がした。


 痛みを堪えながら何が起きたんだ、と衝突音がしたコンビニの駐車場を見ると斜めになった普通車が2台の車にぶつかっていた。


 状況が飲み込めないでいた太陽は左手で右手首を押さえながら衝突面から湯気が噴き出している事故車両を見ながら起き上がった。


 野次馬が集まってきて当たりは騒然となっていた。その時、「君、大丈夫か」

という男の声が近くから聞こえて来た。


 ハッとして太陽は今、声がしたさっきまで自分たちが立っていた当たりに目をやった。


 「美歩マネ!」と叫んで太陽は歩道上に倒れ込んだままの美歩のところに駆け寄った。


 「太ちゃん、大丈夫、怪我はない」と美歩はか細い声で言った。


 「バカ。俺のことよりお前のことだろう。美歩マネ、大丈夫か。オイ」と太陽は必死に叫んだ。


 「良かった。それだけ元気があれば大丈夫のようね」


と言うと美歩は意識を失った。

 付近には絶叫する太陽の声が響き渡った。



【桂 太陽 5】


-1-


 その日の夜から甲子園大会一番の注目選手桂太陽選手が交通事故に巻き込まれたというニュースが全国放送を駆け巡った。


 太陽は車に跳ねられることはなかったが、太陽を救おうとした同じ部のマネージャーが代わりに跳ねられて重傷で入院中であることを各局が繰り返し放送していた。


 ニュース番組では事故の原因が高齢運転者が運転中、突然意識を朦朧として3車線から左折をして歩道に突っ込んできたこと、と高齢運転者の車の運転に関する危険性について報道していた。


一方、スポーツニュースでは事故現場に居合わせて市民からの太陽が右手をずっと左手で押さえたままであった、という目撃証言を取り上げ桂選手、転倒した際に利き腕を負傷か?


と甲子園大会への影響について解説者を交えて論評していた。


-2-


 そんな世間の大騒ぎを受けて数日後、北翔高の校長と弥生は記者団を前に「桂太陽選手は負傷のために甲子園では登板しない」ということを発表した。


 その直後である。


あるネット住民が


「桂投手の怪我はマネージャーが突き飛ばしたからで、突き飛ばさなくても桂投手は事故には遭わない位置に立っていたのに」


という書き込みをしたことでネット上では美歩を非難する大炎上が巻き起こった。


 悪質で目を塞ぎたくなるような美歩を誹謗中傷するようなネットの書き込みは大きな社会問題となり入院中の美歩の耳に入ることとなってしまう。


-3-


 事故から三日後、太陽は弥生に記者会見をやらせて欲しいと申し出る。


 美歩の心情を察した弥生は校長と相談して記者会見を開いた。


 宿舎の近くの地区センターで行われた記者会見には数多くのマスコミが詰めかけた。


 その場で太陽は、右手はボールを握れる状態ではなく未練たらたらであるが甲子園大会のマウンドに立つことは諦めた。


 しかし、今、こうして記者会見を行うことができるのはマネージャーの羽瀬川美歩さんが自分の身を犠牲にして自分を助けてくれたからでる。


 もし羽瀬川マネージャーが助けてくれなかったら自分はこの世にいないかもしれない。


今年の甲子園大会で投げることは叶わなくなったけど、この先、プロ野球で投げる夢を与えてくれたのは羽瀬川マネージャーである。


 羽瀬川マネージャーは、自分を助けようとしなければ怪我をして入院することもなかった。


それなのに自らが事故に巻き込まれるという危険性を顧みず飛び込んでくれた。


本当に感謝しても感謝しきれない。


と言った。


ー4ー


 「今、巷では何も事情を知らない人々が、面白がって羽瀬川マネージャーを誹謗中傷しています。


自分は、羽瀬川マネージャーを傷つける人たちを絶対に許しません。


 面白半分にいい加減なことを書き込んでいる人たちは考えてください。


あなたたちは、自分の恩人が犯罪者扱いされたら、自身がどういう気持ちになるのかを…………」


 途中から、太陽の目からは涙が流れ出していた。


テレビカメラはそれをアップでとらえて流した。


 そこまで言うと太陽は立ち上がり


「美歩マネ、俺を助けてくれてありがとう。


君は俺の命の恩人です。

俺の受け身が下手だから怪我をするというドジを踏んでチームに迷惑をかけてしまいました。


その上、俺が怪我をしたことで美歩マネを巻き添えにしてネット上での迷惑をかけてしまいました。本当にゴメンなさい。


甲子園には出られなくなってしまったけど絶対に怪我を治してプロ野球で大活躍することを宣言します。


だから早く退院してまた一緒に学校に通いましょう」


と言った。

 そして、一つ深呼吸すると


「今、噂に踊らされてネットに書き込んでいるみなさん、俺を悪く書くことはご自由にどうぞ。


でも、マネージャーを苦しめるような書き込みは絶対にやめてください。


もし、あなたたちの妹があなたたちの娘さんが同じような目にあっていると考えてみてください。

耐えられますか。


自分や野球部の仲間たちは耐えられません。

一緒に甲子園という夢を追いかけ戦ってきた仲間が言われなき非難中傷に晒されていることは自分たちも同じ目に遭っている痛みを感じています。


軽い気持ちで書き込んでいる人はどうか止めてください!」


とカメラを見据えて言った。


 この記者会見を契機にしてネット上の誹謗中傷は激減した。


それでも悪意の書き込みをする者もいたが、そんな書き込みがあると他のユーザーがその者をたしなめる書き込みをして、次第に落ち着きを取り戻して行ったのだった。

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