生命倫理の破壊者、もしくは新世界のイヴ

寝る犬

生命倫理の破壊、もしくは新世界のイヴ

 先遣隊の最後の生き残り、カズヤ・ウルシバラは、GPH-2094-Fを愛していた。


 GPH-2094-Fは、任務に関係のない日常的な雑事や、人数的に少ない女性隊員の精神的安定に役立つものとして実験的に配備された、自己学習型汎用バイオロイドである。

 しかし、地球を遥か3.8パーセク(約12.388光年)の彼方に望む、緑豊かな惑星ティーガーデンbへの着陸に失敗し、カズヤを除く全ての先遣隊が死亡した後、カズヤの治療を行ったのはGPH-2094-Fだった。

 カズヤも、回復してからはGPH-2094-Fに初恋の人と同じ「ミコト」と名前をつけ、なんとか宇宙船の残骸から使える装置をサルベージし、人跡未踏の惑星で命をつなぐことに力を尽くしてきた。

 原始的な通信装置を復旧させ、地球へと届いているのかすら定かではない状況報告を行う。

 地球の生き物とは違う、ティーガーデンbの原生生物を狩り、食い、命をつなぐ。

 地球への帰還は絶望的だと知りながらも、家を作り、ミコトと語らい、生き延びてきた。


「ミコト」


「はい、カズヤさん」


「ぼくはもうすぐ死ぬだろう」


「全体的な生命活動の低下を認めます。しかし、現状では部品が足りないため完全とは言えませんが、部分的なサイバネティクス手術を行うことで、まだ835日、プラスマイナス66日ほどの延命は可能との計算が――」


 45年前、地球を出たときと変わらず、なめらかなミコトの膝の上に頭を載せながら、カズヤは小さく首を振る。

 その仕草に、ミコトは言葉を止めた。


「すまない、ミコト。ぼくはもう疲れてしまった」


 カズヤは浅い呼吸を繰り返し、そっと目をつむる。

 ミコトもそれ以上掛ける言葉もなく、ただ膝の上に横たわるカズヤの肩を抱き、ゆっくりと白髪頭を撫でた。


「……ぼくは充分に生きた。こうして愛する者の手の中で安らかに死ねることに幸せすら感じている。ただ、後に残るきみのことだけが心配だ」


 ティーガーデンbには哺乳類のような生き物もたくさん存在する。

 しかし、人間のように会話を交わせる知的生命体は存在していないのだ。

 もしこの星で、となりにミコトがいてくれなかったら。

 カズヤには、たとえ1年であっても、そんな生活に耐えられるとは思えない。

 もちろんミコトはバイオロイドだ。人工臓器と機械の融合した体を持つ人工物だ。人間とは違う。

 そう頭ではわかっていても、カズヤの心は不安で締め付けられるのだった。


「あぁ……ミコト……どこだ……そばにいるかい?」


 カズヤの視界は暗くかすみ、枯れ木のようになった手は、愛するものを求めて宙を彷徨う。

 ミコトのなめらかな手がその手をしっかりと掴むと、カズヤは安心したように笑顔を見せ、安らかに死んでいった。


「……生命活動の停止を確認」


 ミコトの口が動き、いつもカズヤへと状況を伝えるときと同じように言葉を発する。

 しかし、その言葉を聞いて笑ってくれる人は、もういないのだ。

 そう考えただけで、ミコトは人工心臓の鼓動が早くなり、まるで圧力を受けているような感覚を感知した。

 手足の制御系が乱れ、小さく震える。

 目頭が熱くなるような感覚を感じたが、涙腺のないミコトの目からは、涙は流れなかった。


「カズヤさん……!」


 3時間25分43秒の間、ミコトはその場を動くことができなかった。

 ただカズヤの名前を何度も呼び、すでに冷たくなり始めている体を抱きしめる。

 赤色矮星である母星ティーガーデンが地平線の彼方から最後の光を投げかける頃、ミコトはカズヤの体を抱き上げた。


 40年前、5年以上の超光速航行の末にたどり着いたこの惑星で、大怪我を負ったカズヤの体を抱き上げたときとはぜんぜん違う。

 歳を経て厳しい原始の生活にさらされた体は、どこもかしこも傷だらけでしわくちゃで……だがそれでも彼女へ向けてくれる笑顔はいつも変わらなかった。

 いまはそのシワの一つ、傷の一つでさえも、彼女の人工心臓に暖かい感覚を与えてくれる。

 ミコトは枯れ木を積み上げた台の上に、カズヤを横たえた。


「さようなら、カズヤさん」


 ゆっくりと顔を近づけ、カズヤが若かった頃のように唇を重ねる。

 はじめのうちは、ただ人間がそのような行為を行うことで、精神的に満たされるという知識だけを知っていた。

 カズヤと2人で暮らし、幾度も体を重ねるうちに、やがてミコトもその行為を待ち望み、それによって人工臓器の動作が安定することを覚えた。

 バイオロイドの体にそんな機能があるというデータはない。

 以前、疑問をカズヤに投げかけると


「それは、愛してるってことなんじゃないかな」


 という返事をもらったことがあった。

 ミコトには感情がない。

 今でもカズヤのことを考え、その遺体に触れ、姿を見るだけで起こるこの現象が、愛というものであるのか、結論は出なかった。


 最後にカズヤの唇を少しかじり、ゆっくりと体を離す。

 ミコトの唇には、カズヤの血がほんの少しついていた。

 傍らの焚き火から、松明たいまつを1本取り出す。

 カズヤの体の下に松明を差し込むと、少しずつ広がった炎はやがて勢いよく燃え上がり、ティーガーデンbの夜空へと立ち上った。

 肉眼では確認できない、遥か3.8パーセクの彼方。

 二人の故郷、地球へ向かって。


 ◇ ◇


 それから数ヶ月。

 ティーガーデンbの小さな家には、ミコトの姿があった。

 人工臓器の活動を維持するために、動物を捕らえ、調理し、人間のように食事をする。

 それが終わると、彼女はカズヤの香りの残る寝床に体を横たえ、獣のように体を丸めて眠りについた。

 ほっそりとしていたそのお腹は、神秘的な曲線を描いて大きく膨らんでいる。

 人工子宮の中には、赤ん坊がすくすくと育っていた。

 カズヤの体細胞で作り上げた、人工多能性幹細胞。

 そこから分裂を繰り返して育つ、愛するカズヤの分身。

 ミコトは自分のお腹をそっと撫でる。


「カズヤさん……」


 やがて生まれ来るおもい、そのであるカズヤへと想いを馳せる。

 こうして彼女は、ティーガーデンbに生まれた初めての人間の母となるのだった。

 別の惑星から来た、ただ一人の人間への想いだけを胸に抱いて。


――了

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