第42話 開門

 それより少し前のこと。

 東の門を守っている門番は、村の奥から聞こえてくる騒音に首を傾げた。先程から、複数が暴れる音や、怒声や悲鳴が何度も耳を震わせる。方角としては北と南で何やら大きな争い事が起きているようだった。門番の一人は、反対側の門扉を守っている相方に声をかけた。


「さっきから騒がしいな。他の群れが襲ってきたのか?

「わからない。何も連絡が無いからな。念のため、門を閉めておいた方が良いだろうか」

「だがまだ狩りから帰ってきていない群れがあるぞ。本当に戦いが起きているとしたらそいつらの戦力も必要だ。逆に敵の群れを追い出すこともある。ここは一度長の指示を仰がねば」

「そうだな。俺が確認しに行ってくるよ」


 そう言って、彼が村の中へ戻ろうとした時だった。日没の空に高らかに響く遠吠えが聞こえた。何かの合図だろうか。だが、自分達には何も知らされていない。

 遠吠えの意味を図りきれず、門番が村の様子をうかがおうと背を向けた時だ。


 風を切り裂く音が聞こえ、同時に目の前の門扉に勢いよく何かが突き刺さった。反射で振り向くと、そこにいたのは見たこともない男だった。

 風に揺れる金糸の髪。恐ろしいほどに整った美貌。髪から覗く尖った耳。


「お前……エルフか!?」


 その存在は彼も耳にしたことがある。美を愛し、医術に長けた長寿の民。しかし、なぜこの場にエルフがいるのかはわからなかった。彼は今、門から少し離れた場所から見たこともない武器を構えている。キリッと糸が張る音がして、放たれたは、門扉に瞬時に突き刺さり、ビィィィンという貸すかな音と共に震えていた。

 怯む門番達。見たこともない武器だが、当たれば間違いなく大怪我では済まされないことは見てわかった。


「なんだこれ……やばいぞ!」

「一旦門を閉めよう! 俺達も中に入るぞ!」


 門番二人が門扉に手をかけた時だった。ザッと草を掻き分ける音がして、森の奥から狼達が現れた。かつて村を追い出された、負け犬達。彼らは今、闘志に目を輝かせながら東の門を囲んでいる。その中から黒色の狼──クロエが進み出た。


「クロエ……! この裏切り者め!」


 門番の一人が激しい形相で睨み付ける。かつて同じ群れにいた同胞の裏切りに、彼は怒りを隠しきれないようだった。


「貴様はそれでも狼か! 種としての誇りを忘れやがって!」

「なんとでも言いなさい。私はもう、あなた達のことを仲間だと思っていないから」

「なんだと!?」


 門番が毛を逆立ててすごむ。だが、クロエは涼しい顔で鼻を鳴らした。


「統合を繰り返す群れに何の絆があるのかしら。私は私の目で見たものを信じるわ」

「貴様ら……! くっとりあえず門を閉めろ!!」


 門番が吠える。だが、扉に手をかけようとした瞬間、彼の体のすぐ横に矢が突き刺さった。矢の威力に怯えた門番がヒュッと息を飲む。

 そんな門番達を尻目に、フェルナンドは弓を構えた。あらんかぎりの力をこめて引く弦がキリリと音を立てる。その矢は村の奥へ向けられていた。


 ──頑張ってきなよ。君たちの村を取り戻す為に。


 万感の思いと共に矢が放たれた。と同時にクロエが駆け出した。矢は空気を切り裂きながら、両わきに放たれた門扉の門扉の間をど真ん中に貫く。その矢が開いた血路を、クロエを筆頭にして狼達が続く。地鳴りのような足音と共に、狼達は村へと雪崩れ込んだ。


※※※


 狼達が村へと突撃する後ろ姿を見て、フェルナンドは掲げていた弓をおろした。初めて目にする狼同士の戦いに、彼も何か高揚感に似たものを覚えていた。人間からは女性のような見た目だと言われることが多いが、自分もやはり雄の本能を持ち合わせていたということか。

 両側に開け放たれた門扉をぼんやりと眺めていると、誰かが自分の服の裾を引っ張る感覚がした。


「よお。お疲れさん」


 目線を落とすと、その先にはギークがいた。その手には愛用の斧。刃先に木屑がついているということは、彼も自分の役目を終えたのだろう。


「ああ。狼達は行ったよ。多分、西側ではイリスが同じことをしてくれているはずだ」

「俺達の役目はここまでだな。狼同士の戦いは狼だけで決着をつけるべきだ。後はあいつらに任せよう」

「そうだね。でも、彼らならきっとやり遂げてくれるよ。僕達はここで吉報を待とう」


 そう言って、エルフとドワーフは揃って村の中へと視線を向ける。そして心の中で静かに彼らの無事を祈った。


───


 東西の門が開いたな。とグレイルは思った。空気が変わったのを肌で感じる。先程より村の中の騒音が一層大きくなっているのだ。案の定、北門を守る門番達も、村の奥から聞こえてくる騒ぎに目を丸くしていた。


「なぜだ!? なぜ村の中にこんなにたくさんの狼が!?」

「東と西の門が破られたのか?」


 門番達が狼狽える。ここまでは筋書き通りだ。まず北門でグレイル達が騒動を起こして人を集め、その隙に南側の柵を破ってローウェンが突撃する。その場で長を仕留められれば良かったのだが、抜かりのないジルバのことだ。こちらの動きが読まれていることを想定して、東西の門を開くための布石もうっておいたのだ。

 北門に集まっていた狼達は、村の中心で戦いが始まったことを知り、援護の為にひとり、また一人と北門から離れていく。


「よし皆行くぞ! 俺に続け!」


 グレイルが吠えると同時に、レティリエが駆け寄ってきてひらりと背中に飛び乗る。彼女の重みを感じた瞬間、グレイルは村の中を目指して地面を蹴った。

 銀色の女を乗せた黒狼。仕留めるなら今が格好のチャンスのはずだが、目まぐるしく変わる戦況に門番も混乱していた。ハッと思った瞬間には、力ずくで門を突っ切る黒狼の侵入を許してしまっていた。


 村の中心まで進んだグレイルは、レティリエを背中に乗せたままぐるりと回りを見渡した。北、東、西、全ての門が開放され、ローウェン側の狼達も無事に全員村の中へと突入したらしく、あちこちで狼同士の取っ組み合いが始まっていた。たちのぼる砂塵と怒声のような悲鳴、辺りに濃い血の匂いが漂う。ローウェン達の居場所も、セヴェリオ達の居場所もわからない。耳をピンと立てて周囲の音を拾っていると、レティリエがヒラリと背中から飛び降りた。


「グレイル、私行くわ」


 頭のてっぺんで高く結わえた銀髪がふわりと揺れる。戦況を見つめる金色の目は凛々しく、背筋を伸ばして戦いに挑む彼女の姿は今まで見たことがない程に美しかった。

 戦場のど真ん中だと言うのに、彼女の姿にしばし見とれてしまった自分に気づき、グレイルは微笑んだ。その胸に込み上げてくるのは際限が無い程にいとおしい気持ち。最後に見る彼女が、今の姿であって良かったと彼は心から思った。


「レティリエ」


 自分の横に立つ彼女に声をかける。

 

「愛してるよ」


 レティリエが驚いた顔でこちらを見る。自分の意図は彼女に伝わっただろうか。レティリエは一瞬泣きそうな顔をしたが、すぐに拳を握って頷いた。


「私もよ」


 そう言って彼女は駆け出した。戦いの最中さなかだが、左右に揺れる二本の尻尾をしっかりとその目に見届ける。彼女が喧騒の中に姿を消した後、グレイルも戦禍の中に飛び込んでいった。

 あちこちで組み合う狼達を横目に、村の中を駆け抜ける。見慣れた平和な村の中が、一瞬のうちに戦場になっていた。 グレイルは走りながらも注意深く周囲を見回し、ローウェンの姿を探す。今の自分の役割は、長であるローウェンを守ることだ。グレイルの姿に気がついた敵の狼が、咆哮しながら飛び掛かってくるが、すんでの所でかわしながら前へ進む。正面から襲いかかってきた狼には、鋭い爪と牙で一撃を入れて追い払った。体力温存の為、無駄な戦闘は避けながら前へ進む。自分が合間見えるのはセヴェリオかジルバのみ。そして、彼らの居場所は必ずレティリエが見つけてくれるはずだ。言葉は交わしていないがグレイルにはそれがわかっていた。なぜなら、自分達はお互いがお互いのことを一番理解しているから──。


 先程の凛としたレティリエの姿を思いだし、グレイルは走りながらも微笑んだ。確かに身体能力だけで言えば、クロエはグレイルのパートナーとして相応しいと言えるだろう。だが、それはあくまで自分の指示通りに動けるという意味にしか過ぎなかった。確かにクロエは自分が出した指示には的確に行動してくれるが、逆に言うと、彼女は自分の指示がないと動けないのだ。

 だが、レティリエは違う。幼い頃から一緒に育ってきた彼女は、自分の思考も、癖も、考え方もすべて熟知している。何かを言わずとも、彼女は自分が望んでいる以上の最適解を出してくれるのだ。現に、戦闘が始まってから自分達はろくに言葉を交わしていないが、彼女はとうに自分の役割を理解しているようだった。

 狼になれない非力な彼女。だが、レティリエなら必ずや自らの使命を果たし、それを自分に伝えてくれるはずだ。

 そしてその時初めて、自分は全力で戦うのだ。


 例えそれが命と引き換えであったとしても。

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