六話 目を合わせ

「はい、問題解いてくださーい」


 授業はつまらない。数学の簡単な方程式を解きつつ隣をちらりと見る。どうやら同じ考えを持っているようで、健やかに眠る男の姿が確認できた。その姿を見つめる人がもう一人いることも確認した。

 あの顔は……と脳内で検索をかけるが、結果は何も出てこない。


「この問題を……じゃあそこの二人、えっと……布河と吉野、前に書きに来てください、次……」


 名前を呼ばれてもびくりともしない吉野くん。少しざわついた教室なのに。

 もしや、先程飽きるほどに語った影響で疲れているのだろうか。それだとしたら子どものようだ。

 無言で立ち上がり、黒板の元へ行く。白いチョークを取り、計算式を書こうとするが、背が足りない。

 周りに台になりそうなものはあるか。キョロキョロ見ると、私の席の近くに女の子が一人立っているのが見えた。さっき吉野くんを見つめていた子だ。

 立っている人は彼女の他にもいくらかいるので、あまり目立ってはいない。しかし、そこだけ若干甘い空気が流れているように感じた。サッと目線を素早く逸らす。

 教卓の近くに椅子があった。それを持ってきて、静かに置く。上履きを脱ぎ、計算式を書き、答えを書き、そっと席に戻る。

 黒板の式が、ノートで解いた式と同じかを今一度見比べつつ、隣の声に気を配った。


「吉野くーん、隣の子に迷惑かけてるよー」


 おーい、と囁くように話しかけている女の子。聞き覚えのある声だ。

 寸分違わず式が書けていた様子。ノートをパタンと閉じて、先の教科書をパラパラと見る。二次関数、サインコサイン、平均値……やがて最後のページにたどり着く。つまらない。


「起きときなさーい、先生に見つかるよー?」


 とんとん、と女の子は吉野くんを叩く。

 そうだ、あの声は朝よく聞いていた声だ。女子特有の高い声じゃない、聞いてて痛くない方。

 あまり気に止めていなかった。高い声はよく耳に入ってくるから。

 解決して少しスッキリした。

 どこかモヤモヤしているのは、たぶん気のせい。


「……めんどくさい」

「めんどくさいじゃないよ、ほら、先生来たから起きなさい」


 うぅ……と、隣から唸り声。女の子はその様子を見て安心したのか、自分の席へと帰っていった。

 一気に隣が見やすくなる。彼は起き上がり、つまらなさそうに頬杖をついた。


「……ぼえ以外どうでもいいのに……」


 そうぼやいた声は私に届いていたと、彼は気づいているのだろうか。


  ◇◆◇


「布河さん、さっきの授業、うちの子がごめんね?」


 休み時間、次の授業の準備中、突然女の子に謝られた。この顔は、あの吉野くんを起こそうと頑張っていた子だ。名前は知らない。

 うちの子? と疑問に持つが、おそらく吉野くんの事なのだろう。そんな仲なんだ、と発言だけで読み取れる。


「あの子、授業は全部眠いみたいでさ」


 ふふっ、とお上品に笑う。どこか黒い雰囲気を感じるのは、気のせいだろうか。

 ふわふわとした見た目の子だ。優しそうな目をしてて、身長は多分、私よりちょっと大きいくらい。女の子っぽいというのは、このことだろう。


「そう、ですか」


 返事をする。このくらいなら誰だってできる、自分もよくやってきた。


「ふふっ、そうなの」


 だからね、と急に声を潜め、私の耳元へ口を近づけてくる。

 甘ったるい匂い。なんの香水だろうか、その辺に疎いからわからないが、少なくとも好きな匂いではなかった。


「取らないでね、私の子」


 吹雪のように冷たい声。ふふっ、と笑う。悪魔のようだ、という表現がピッタリだ。


 ……だから、人と関わるのは苦手だったんだっけ。

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