第10話 脱却へ ①

 ゲイジ率いるイギリス兵は、チャールズタウンからボストン市へと逃げ込んだ。

 ボストンは要塞だった。ボストンの周りは海で囲まれ、唯一の陸路はロクスベリーネックのみ。

 なら海から攻めればいい。そう思いたいところだが、残念なことに、当時のイギリス海軍は世界一の軍事力を誇っていた。海は弱小植民地軍が用意に手出しできる領域ではなかった。

 ならば、陸から攻めるしか方法はない。植民地側は唯一の陸路、ロクスベリーネックに兵を進めることしかできなかった。無論、そこしか攻めるところがないのなら、そこしか守るところもないわけで、ロクスベリーネックにはイギリス兵がわんさかと待ち構えていた。

 地の利を得てゲイジは気持ちを盛り返し、背水の陣で植民地軍に挑んだ。

 その結果、ロクスベリーネックで戦況は二か月間膠着。

 もたもたしているうちに、イギリス側に本国から援軍と救援物資が到着してしまった。

 このまま膠着を続ければ、イギリス軍がじわりじわりとボストンから勢力を巻き返し、勢いそのままに植民地を侵食してしまう恐れがあった。

 植民地軍は、ロクスベリーネックがボストン市の南にあるのに対して、北に注目してみることにした。ボストン市から海を挟んで北にはチャールズタウンという名の半島があった。そこには小高い丘が二つある。名はバンカーヒル、ブリーズヒル。

 ボストン市とチャールズタウン半島の間の海は決して広くない。

 植民地軍は気がついた。このバンカーヒル、ブリーズヒルという丘に大砲を設置してしまえば、ボストン市に砲撃の雨を降らすことができるということを。

 敵にばれないよう、ひっそりと植民地軍はバンカーヒルとブリーズヒルを占領した。


 二人の男が廊下を早足で歩いていた。一人は怒りのあまり大声で悪態をつき、もう一人は黙って肩を震わすことで怒りを表現していた。

「意味がわからない。阿保だ。阿保」

 サミュエルは一人で喚く。

「レキシントン、コンコード、ロクスベリーネックで俺は戦闘を見た。死者も出ている。戦争はもう始まったのだ。それなのに何だ、あいつら。和平、和平、和平、和平……。もうそういう段階の問題じゃないんだ。ジョンよ、わざわざ二回目を開いたこの会議の目的はなんだ?」

 ジョンが答えないので自分で言う。

「どう戦うか決めることだ。戦うか否かを決めることではない」

 一通り悪態をつき終わり、荒くなった呼吸を戻す。

 現在、議会では主戦派と和平派が激しく争っていた。

 サミュエルが言ったように、主戦派は、戦争は完全に始まったものとして捉えていた。レキシントンでの小競り合いで、植民地軍が発砲したことは当然イギリスにも伝わっているだろう。本当はロチカが発砲したのだが、植民地軍が先に発砲したことになっている。ともかく、イギリスが黙っているわけがない。これは植民地の反乱を意味する。現にボストンでイギリス兵は集結し、ロクスベリーネックでは激戦にもつれ込んでいる。しかも、イギリスからの船には大量の兵士と物資が送られてきたようだ。イギリスは、やる気だ。戦争は最早避けることなど不可能!

 しかし、和平派はまだ和解の選択が取れると主張している。

 何週間も議論をしているが、どちらも譲らず、議会はものの見事に膠着していた。

 ジョンが奇声に近い声で急に叫んだ。

「このままじゃ、ダメだぁ!」

 サミュエルは驚いて飛び跳ね、壁に激突した。

「あんな和平派の意見なんか最初から聞かなければいいんだ。勝手だ、勝手に色々決めてやる」

「さすがに……」

「うるせぇ」

「え、俺年上……」

 ジョンは無理やりサミュエルを起こした。

「行きましょう。意地でも正規軍を作ります」

「ちょっと待って、落ち着こう」

 ジョンは、和平派を倒すためにサミュエルを引きずりながら会議室の中へと入っていった。


 一方、イギリス側。

 ゲイジは険しい顔をしていた。少しでも表情筋を緩めたら、今にでも泣いてしまいそうだ。本国から救援物資や援軍が来る度に、ゲイジのことを蔑むような目を向けてくる人々や、遠くからあえて聞こえるように悪口を言ってくる輩のせいで、精神の疲労が限界に達していた。

 ボストンに籠って早二か月。今も緊張状態が続いている。植民地ごときにてこずりやがって、と皆が思っているだろう。そういった批判の矢先は将軍に向けられて当然だ。

 だけど辛いものは辛い。

 もう失敗は許されない。これ以上批判されたくもないし、恐らくこれ以上の失敗は自分の首にもかかってくる。大国イギリスが、たかが一つの植民地に敗北することなど誰が許そうか。

 ゲイジの元に、見張りが情報を伝えにきた。

「将軍、植民地軍がバンカーヒルとブリーズヒルを占拠した模様です」

「え? どこそれ」

 ゲイジは困惑しながら地図を広げた。

「海の向こうじゃないか」

 イギリス海軍は最強である。いくら初戦を勝利で飾ったとはいえ、植民地軍が海から攻めてくることはない。だから、植民地軍が攻めてこられるのは、陸路であるロクスベリーネックのみ。もちろん、そこには軍を集結させている。

 ボストンから海を挟んだ場所を占拠する利点が全く思いつかない。

 レキシントン・コンコードの戦い以前のゲイジだったならば、この時点で豪快に笑ってこう言い放っていただろう。

「ほっとけ」

 しかし、今のゲイジにそんな自信はなかった。

 結果的に、いつもより慎重に物事を考えたことが吉と出た。

 地図とにらめっこするゲイジを見て、見張りが付け加えた。

「将軍、役に立つかはわかりませんが、このバンカーヒルとブリーズヒルは、丘になっております」

「丘?」

「はい」

 ゲイジは集中力を高めた。

 丘か……。丘の利点は他の場所より高いところに陣を取れることだ。高い場所と低い場所では確かに前者が有利だが、海を挟んでいるのだ。距離が遠すぎる。そこから銃を撃ったところでボストンまで弾丸が飛んでくるだろうか、いやこない。

 銃じゃなかったらどうだろう。剣? 矢? 馬鹿げている。

 次の瞬間ゲイジの全身に鳥肌が駆け巡った。

「た、大砲だ!」

 脳内で大砲の雨がボストン市を襲う映像が流れる。そして、その後、イギリス国王の前で泣きながら命乞いをする自分の映像も。

「すぐに、すぐに軍を向かわせろ!」

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