第9話 交錯そして追撃

 ジャックを担いだオリーは民家を飛び出した。コンコードには非戦闘員の人々が早くも町に戻ってきていた。その一人を捉まえて尋ねる。

「おい、戦闘はどうなった?」

 そこで川での植民地軍の圧勝を聞き、オリーは大きく拳を突き上げて吠える。自分が戦場にいなかったことは本当に悔しいが、まだ戦争は始まったばかりだ。次の戦で大暴れすればよい。

「そうか、勝ったのか。じゃぁ俺を病院に連れていってくれないかい? 足を撃たれているんだ」

 とジャックが冗談交じりに言うと、その人は首を振った。

「いや、まだ戦は終わっていない」

「え?」

 二人の声が重なる。

「追撃戦が始まっているんだ。森に逃げ込んだ敵を追いかけてる」

 オリーの心臓が大きな脈を打つ。ジャックの顔が引きつる。

「オリー、せめて俺を下ろしてくれないかな……」

 手遅れだ。彼の暴走はもう始まっていた。

「うぉぉぉ。行くぞぉぉ!」

 オリーの雄叫びは近くにいた町民を吹き飛ばし、空気を驚かせた。

 そして、走り出す。

 体をめぐる熱い闘志のゆくままに。


 ゲイジ将軍は本来の自分を完璧に失っていた。慌てて出す指示は支離滅裂。逃げ惑う兵士たちと一緒になって悲鳴を上げる始末だった。遠方からの威嚇射撃が精神をすり減らす。

 視界に森が見えてきた。

「あそこなら敵に見つかりにくい」

 安直な考えがまるで妙案のようにゲイジの頭に駆け巡った。

「森に入れ!」

 彼の命令は自信に満ち溢れていた。

 森に入ったイギリス兵を見て爆笑するのは植民地側、図太い男。

「ハッハッ あいつら色の区別もつかんのか」

 赤と白の色をした軍服は、森の緑と相反する。むしろ森の中の方が、イギリス兵がよく見えるのだ。

 これも図太い男の策略だ。威嚇射撃を絶やさず行ったおかげで、彼らの心理に隠れなければ、という考えを植え付けたのだ。

 続いての戦場は森の中、ゲリラ戦。

 森の中に入っていったイギリス兵は、威嚇射撃がなくなったこともあってか、調子を取り戻していた。

 ゲイジも今までの情けない姿を振り払いながら大声で叫ぶ。

「よし、鼓笛隊、味方を鼓舞しろ」

 森の中にトランペットの甲高い音が鳴り響き、太鼓の震えが木々と大地を揺らした。馴染みある音色に兵士たちは勇気を取り戻し、自信に満ちた笑みが自然に浮かんだ。

 よくよく考えれば、相手は植民地軍。天下の大英帝国が負けるはずないのだ。

 銃声。その笑顔のまま兵士は地面に突っ伏した。

 森の中から不意に銃弾が飛んできたのだ。イギリス兵たちの間に戦慄が走り、森の中をやみくもに撃つも、そこに敵はいない。

 銃声。今度は背後から音が聞こえると共に、一人の兵士が悲鳴を上げてその場にうずくまった。

 逃げ出そうとする兵士。怒鳴り声をあげながら銃を連射する兵士。隊列を組めと叫び続ける隊長。地面に突っ伏して神に救いを求める兵士。

 姿なく襲いかかる植民地の弾丸に、イギリス兵は翻弄されるしかなかった。

 無様なほど完璧な混乱。ゲイジの顔は再び真っ青になった。

 俺は馬鹿か。どうして森の中に逃げ込んだ!

「に、逃げろぉ」

 気づけばまた、この言葉が自分の口から出ていた。

 

 おいおい……とロチカはこの惨状を呆れながら見つめる。

 イギリスというのが敵対している国の名前らしいが、なんて無能な軍なんだ。赤い服を着ていながら緑色をした森に入っていって、どうして隠れることが出来ると思えようか。しかもあの楽器。うるさすぎる。隠れることが目的なのに、自らの場所を激しくさらしてどうするのだ。

 ロチカは人間界における戦争のレベルの低さに呆れ、顔を歪めた。そう思っていたが、急に考えが変わった。

 いや、待てよ。俺がイギリスの将軍になればどうだ。この調子だと簡単な魔法の一つや二つを見せれば将軍の地位くらいはくれそうだ。そして、軍を率いて植民地軍とかやらを叩き潰す。王が驚く。

「このままだと魔法使いが人間界の歴史を破壊してしまうわい」

 結果、俺は魔法界に戻される。

 ……いい、いける。イギリスの味方につこう。

 手始めに、隣で銃を構えていた植民地軍の青年に向かって魔法を発しようとした。

 その刹那。

 ロチカに凄まじい緊張が走った。自分が狩られるという恐怖を本能が知らせる。

 思考より先に体が動いた。咄嗟に身をひるがえすとと、剛腕が鞭のように唸って、一瞬前までロチカがいた場所の空気を捻じ曲げた。

 距離を取ろうとするも、拳を繰り出した男の動作に無駄はなかった。人間のようには感じられない。獣だ。

 ロチカは本来戦場において咄嗟のことに後れを取るような弱者ではない。しかし、遅れた。

 本来の自分と、魔力を奪われた今の自分との感覚的な違いに馴染めていなかったこと。近隣戦闘が苦手なこと。人間界で自分が命の危機に陥るようなことは絶対にない、という完全なる思い込み。それから、攻撃してきた男の人間とは思えない強烈な圧力、攻撃力。あらゆる要素がロチカの動きを鈍らせていた。

 そのくせ相手の男、オリーは怒りに満ちていた。

 距離を取ろうとしたロチカを許さないオリー。土を蹴り上げロチカの目をくらまし、その間にオリ―は木を踏み台にし、ロチカの背後に一瞬で回った。そして首を締め上げる。

 容赦のない締め付けだ。気を緩めれば首の骨を砕かれる。

 ロチカは苦しみながら指を鳴らし、オリーの顔面に向かって炎を噴射する。しかし、オリ―はロチカの首を絞めたまま地面に倒れこんで、炎を回避。絞める力を緩めることはなかった。

「やっと見つけたぞ、裏切者が」

 ロチカは必死にもがき、何とか首と手の間に、防御魔法である薄い青の衣をしのばせることができたが、ただの延命に過ぎない。人間ごときに首を絞められて苦しんでいる。自分に起こっている状況が信じられなかった。

 最早プライドがどうこうとも言っていられない。生死の問題だ。ロチカはもがきながらなんとか声を上げた。

「俺は……がぁ……敵じゃ、ない……」

「嘘つけ。レキシントンで発砲したのを俺は見たんだ」

 あぁ、なるほど、とロチカは納得した。この男は、あのとき謎のジェスチャーをしてきた男だ。きっと俺がイギリス兵の仲間だと思ったのだろう。まぁ間違ってはいないが。

 ……いや、ちょっと待て、俺にあの筒の使い方を教えたのはコイツではないか。

「しぶといな」

 オリ―は暴れるロチカを抑えるために全力を使いながら叫んだ。すると、その声に気がついたイギリス兵がやってくる。銃を構えて、仲たがいをしているように見える二人を奇妙な表情で見つめた。何やら一瞬考えたようだが、撃つことに決めたらしい。イギリス兵は銃を構えた。

「おい、離せ」

 ロチカは叫ぶが、オリーは応じない。

「お前を盾にしてやる。逃がさないぞ」

 何とも不格好な危機的状況だ。ロチカは必死に動こうとしたが、やはりオリーは力を弱めない。イギリス兵の銃が火を噴こうとする。ロチカは咄嗟に指を鳴らし、橙色の炎で小さな雀を創り出した。雀は銃の先っぽに向かって懸命に飛び、弾丸が発せられる前に、銃の中に入ることができた。そして、イギリス兵が引き金を引く。

 銃の中でポップコーンを作ったかのように、内部から外部にむかって銃が爆ぜた。イギリス兵は鉄でできたポップコーンを顔面に食らい、仰向けに倒れた。咄嗟の判断だったがうまくいったようだった。

「どうだ、ほら、みろ。俺はイギリス兵じゃ、ないぞ」

 オリ―は力を緩めた。ロチカはせき込みながらオリ―のたくましい腕をほどき、息を整える。

 この男、とんでもない身体能力だ。人間にこんなのがいるなんて聞いてないぞ。

 だが、甘すぎる。これだけで俺を信用してしまうなんて。

 実際、ロチカはその場しのぎでイギリス兵を殺しただけで、これだけでロチカがどちらの味方だと決めつけることはできない。誰が見てもそれはわかるだろう。

 もう二度とこんなチャンスを提供はしない。今殺すことだってできる。

 しかし、呆然と座り込んでいるオリ―を見て、ロチカは不思議な感覚を感じていた。

 様々なことが洗い流されたような気がしているのだ。獣のような身体能力を持ちながらも、赤子のように純粋に人を信じる。

 先ほど自分で決めた、イギリス側につく、という考えが頭の中で消えかかっていた。別段、他の案が浮かんでいるわけでもない。この男に、何か縁を感じたのだ。何か魅力を感じたのだ。

 不思議だった。自分自身も、この人間も。

 オリーはオリーで自分の目が信じられず、興奮に近い戸惑いを感じていた。

 強い。なんて強さだ。とてもたくましいとは言えない体で、俺の攻撃を防ぎきった。

 しかも、あれは魔法というやつなのか。指を鳴らしただけで、炎が飛び出た。かっこいい。

 レキシントンで銃を撃った。敵だと思った。敵だと思ったから、暴走して先ほどは襲ったのだ。

 しかし、今は敵だとは思えない。彼を信じられる出来事があったわけではないのに、すっかり怒りの炎は静まっている。

 感嘆していた。

 二人はしばらく黙り続けていた。

 二人の沈黙を遮ったのはうめき声だった。木にもたれかかって苦しそうに息を荒げている男がいた。オリ―は突然思い出したように飛び跳ね、自分の頭を抱えながらその男に近づいた。

「ごめん、まさか、俺……」

「あぁ、俺を乗せたまま荒い運転をしてくれたな」

 絶句するオリ―と、苦笑するジャック。二人にロチカが近づいてきた。ジャックはやや身構えたが、オリ―は警戒しなかったし、ロチカも攻撃するような素振りは見せなかった。ロチカは尋ねた。

「彼は……?」

「俺の名はト――」

「彼の名はジャックだ。さっき出会った。覚えやすい名前だろ?」

「ジャックか。確かに覚えやすい」

「おいおい」

「さてジャック……怪我をしているのか?」

 ロチカはジャックの足を見て言った。応急処置はしてあるが、白い布に血が染み出している。

「ちょっとね、敵さんに撃たれたんだよ」

 ふふん、とロチカは鼻を鳴らした。一人くらいなら大丈夫だろう。

 ロチカは黄金色に輝く環状のイヤリングに指を近づけ、何やらぼそぼそと呪文を唱えた。すると、指も黄金の輝きを放ち始める。ジャックの足に巻き付いた白い布が自然にほどけ、ロチカは患部に指を入れ込む。痛々しい光景だったが、当の本人は驚いた顔をしただけで、痛みは感じないようだった。指に吸い付けられるように弾丸が浮き出て、いとも簡単に除去作業が終了した。

 開いた口が塞がらないオリー。

 続いてロチカはコートの中からユリの葉のような細長い葉っぱを取り出し、同じく何やら呪文を唱えた。呪文を唱え終わると、葉っぱは生きているようにクネクネと動き回り、木の周りを一周した後、ジャックの患部に巻き付いた。ぼやけた緑色の光が足全体を覆っている。

「これで、あと二日くらいしたら歩けるどころか、走ることすらできるだろう」

 人間の二人は驚きの声を上げて、拍手で魔法使いをたたえた。

「凄い。これが魔法か」

「さっきは襲って申しわけなかったよ」

 成り行き任せも悪くない。ロチカの選択肢はもう一つしかなった。

「サメー・ロチカ、魔法使いだ。よろしく」

 ロチカが手を差し出してきた。一拍おいてオリーがその手を力強く握り返す。

「オリー・ブルックリン、人間だ。こちらこそよろしく」

 拳で語り合うとはこのことだろうか。二人は惹かれ合い、認め合ったのだ。

 三人が握手をしている頃、森の中でのゲリラ戦は終わりに近づき、陽の光も落ち始めていた。

 何とか森から出たイギリス兵は、チャールズダウンという場所に逃げ込むことに成功した。成功とは呼べないか。森の中で百人が死に、二百人が負傷した。

 ゲイジはしぶとく生き残った。腐っても将軍だ。一周まわって冷静さを取り戻し、生き残りをチャールズタウンに押し込んだ。

 取り乱したゲイジの最悪な指示が引き起こした大惨事だ。

 植民地ごときが抵抗してくるとは夢にも思わなかったのだ。まして、こんな敗北を犯すなど……。

 

 戦が始まった。自由を懸けた、合衆国に向けての大いなる戦が。

 そしてそこに交わる一人の魔法使い。

 彼は人間界に何を与え、また崩すのだろうか。


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