第5話 交錯そして発砲 ③

 ロチカは目を覚ました。どうやら地面に突っ伏しているらしく、口に砂がこびりついていた。

 砂を払いながら起き上がる。夜明けの心地よい風が髪を揺らした。空気が綺麗だ。

ここは……魔法界ではない……。砂が混じっていない空気など、魔法界のどこに行っても吸えるわけがない。本当に人間界に送られてしまったのだろうか。

 人間界の生物は魔法を使えない。少なからずそのことで魔法界は人間界を見下す風潮があった。まして、同じ魔法界の人々をも魔力が弱いと侮蔑するロチカはなおさらだ。弱者の集まり。ゴミの掃きだめ。強い彼にとって、人間界はそんな印象でしかなかった。

 空気の美しさでわずかに人間界の印象が良くなったものの、それに慣れてくると、ロチカはだんだんとイライラしてきた。

 何故王はこんなことをしたのだ。戦争に勝つために戦争をやる。戦争に勝つためには力がいる。相手の心をも砕くような残忍でおぞましいほどの力だ。当たり前のこと。俺は何も間違ってはいない。それなのにどうして王は俺を追放した。それもこんなところに……。

 王は勝つ気持ちがないのか。あの汚らしい容姿の生き物に魔法界を占拠させてもいいと思っているのか。

 すぐに戻らなければ。さもなければ戦争に負ける。あの王は俺が戻り方を知らないとでも思っていたのだろうか。とんだ阿保野郎だ。

 すぐさま準備に取り掛かろうと思ったそのとき、隣から声をかけられた。

「おい、そこのお前、見慣れねぇな」

 声の主は人間だった。

 ロチカは驚きのあまり飛び跳ね、そのまま腰を痛めた。ヘナヘナとその場に崩れ落ちながら、ロチカは驚愕と絶望に満ちた目で声の主を見つめた。

「何故……俺が見える」

「あ? 何言ってるんだ、お前?」

 ロチカはガタガタと震え始めた。

 人間には、強い魔力を持つ魔法界の生物を見ることができない。魔力を使って見せることはできるが、何もしなければ見えるはずがない。

 それなのに人間が俺を見て、喋りかけている。

 それが意味することは一つ。ロチカの魔力が著しく弱体化しているということだ。

「馬鹿な、そんな馬鹿な」

 ロチカは阿鼻叫喚して後ずさった。

「近寄るな、くるな」

 人間はやや傷ついたような顔をしながらも、興味を持った様子でロチカを見つめた。

 ありえない、そんなはずがない。俺は弱者に成り下がったのか。嫌だ。俺に力が無かったら、一体どうなると言うのだ。

 すると人間が突然言った。

「危ない!」

 人間が指差した方向を見ると、馬車がもの凄い勢いでこちらに向かって走ってきていた。理由は分からないが、馬は相当お怒りの様子だ。

 人間が慌てて助けに走るが間に合わない。

 ロチカは自嘲の笑みを浮かべた。

 馬よ、ひと思いに俺を殺してくれ。人間と同じにみなされるくらいなら死んだ方がましだ。戦争にも役に立たない。

 馬の乗り手が、大量の冷や汗をまき散らしながら大声でロチカに危険を伝えているのが見える。ロチカはヨロヨロと立ち上がり、馬に身を任せた。

 激しい衝撃と共にロチカは空に投げ出された。地面に激しく打ちつけられる。あばらが真っ二つに折れ、折れたあばら骨が心臓に突き刺さってしまえ。

 現場を目撃した人々にとっては、さぞかしむごたらしい事故に見えただろう。間違いなくロチカは死んだ。誰もがそう思った。

 無論、違う。

 ロチカは起き上がった。起き上がって舌打ちをする。体中が痛いことは痛いが、何処にも怪我が見つからない。体だけは丈夫なままのようだった。

 ロチカは怒りと喪失感で我を失った。空に向かって逃げ出そうとする。魔法界では常套手段だ。しかし、最初の数秒は華麗に宙を飛んだものの、その後急に落下。

 嘘だろ、嘘だと言ってくれ。地面に落ちながら、ロチカは嘆いた。彼にとってこれは最大の絶望だった。強者であることが、強い魔力を持っていることこそが、彼の全てだったのだ。

 ぞろぞろと集まってくる人間に対して、ロチカは恐怖を感じざるを得なかった。

 するとそのとき、先ほど馬車に乗っていた男がなんとか馬を鎮め、大声で叫んだ。

「皆、聞いてくれ。イギリス兵がきているんだ!」

「何!」

 人々のロチカへの興味は急になくなった。四方に散って、何やらせわしく動き始める。

 ロチカは悪夢を振り払うかのように首を左右に振り、深いため息をついた。

 魔力を失った。だが、簡単には死ねない。どうすればいい? 王は何を望んでいやがる。絶望に打ちひしがれた俺を見て、嘲笑うことが目的か。

 ロチカは指をパチンと鳴らした。指の先から青い炎で形作られたシカがロチカの周りを駆けまわる。

 それを見ていると、少し冷静になれた。

 俺は完全に魔力を失ったわけではない。炎も出せるし、さっきは数秒間だが空だって飛べた。人間は空なんて飛べないだろう。王は俺に、力を残した。

 どうしたら魔法界に戻れるか。自分で戻れない以上、王の力に頼るしか方法はない。まさか、王も無策ではないだろう。俺に少しだけ力を残したことも、この場所に俺を送ったのも、俺を人間界に送ったこと自体でさえも、何か考えがあるのだ。そう思おう。そう思うしかない。

 何をするべきか、それは全く分からない。それでも何かアクションを起こさなければ。俺は魔法界に戻り、あの忌々しい獣どもを駆逐しなければならない。

 ロチカの覚悟が決まるのを待っていたかのように、一人の人間の男が近づいてきた。

「君、さっきは大丈夫だったかい?」

「あぁ、問題ない」

「凄いな、あんな激しく吹き飛ばされたのに無傷だなんて。そういうわけで……だ」              

 何か言いたげな男に対して、ロチカは首をかしげて先を促した。

「君はイギリス兵じゃないよな?」

 何のことかわからないのでとりあえず肯定した。男はそれを聞いて安心して言った。

「戦争は得意か?」

「……よくやる」

「それはよかった。共に戦おう」

 男はロチカに銃を与えた。「何だ、これは」と尋ねる間もなく、男は力強く頷き走り去ってしまった。

 渡された変な長い棒を邪魔だな、と思いつつも、ロチカの顔は野望に満ち溢れていた。

 ひとまずロチカは男が去っていった方向に行くことにした。走ってみると体がいつもより軽いことがわかる。やはり人間界は魔法界よりも易しい世界のようだ。ロチカは段々自信と調子を取り戻してきた。何だか懐かしい気持ちだ。新しい世界、悪くない。

 それにしてもこの筒の用途は一体何だ。

 そう思いながら走っていると、不意に視界に入ってきたのは、筒を持って向かい合う二つのグループだった。

 直観でわかる。これは戦の空気だ。

 だが、そんなことより筒への興味が勝ってしまう。人間たちは銃を構え、生死が関わる瞬間を過ごしていたのだが、ロチカの目にはどうしてもその姿が滑稽でならなかった。

 人間は筒を向け合って戦うのか……。ロチカは何だか楽しくなってきた。

 よくよく見ると、一方のグループの服装も非常に馬鹿げている。

 色合いはサンタクロースそのものだ。真っ赤な上着に白いズボン。あとは髭さえつければ、プレゼントを運ぶ優しいおじいちゃんが完成する。そんな彼らが真剣な眼差しで筒を構えている。

 面白くないわけがない。

 にんまりしながら少し目をやると、向かいの通りで一人の男がこちらを見ていることに気がついた。

 長い黒髪の男で、簡素な服を着ていたが、それ故にあふれ出る筋肉が中々に力強い印象を与えた。そして、目。大きな淀みのない目は希望の光で輝いており、力を宿していることがよくわかった。すぐに惹かれた。他の人間からは感じない魅力を感じる。

 そんなことを思っていると、男がおかしな動きを始めた。顔を様々に変化させながら、何かを体で表現しようとしている。必死さは伝わってくるが、それ以上に気持ち悪さが強い。その気持ち悪さに思わず笑ってしまった。

 すると男は、大慌てで口に手を当てて何かを訴え始めた。

 やはり、わからない。この男は何がしたいのだ。

 とりあえず頷いておいた。

 しかし、筒の使い方は依然気になる。殴るためなら筒である必要はない。もしかしたら、吸うためのものか。敵に向けて何かを言うと、筒に吸い込まれたりするのかも。

 とりあえずやってみよう。

 ロチカは笑顔で筒の先を男に向けた。

 男は青ざめた。必死に新しい動きを始める。

 やはり面白い動きだ。最初のうちは理解できなかったが、男がしつこく同じ動作を繰り返すので、少しずつわかり始める。男はどうやら筒の取っ手についている、でっぱりを表しているようだ。確かに、指をかけ、動かせそうなでっぱりがある。

 わかった、この筒は飛び道具だ。人間は面白いものを作るな。ロチカは筒の使い方がわかり、興奮。男がやっていた禁止の動作など目に入っていなかった。

 ロチカは感謝の旨を表そうと男に向かって頷いた。

 よし、試しに撃ってみようか。目の前が一触即発の雰囲気であることなど、とうの昔に忘れていた。

 ロチカの銃が火を噴いた。


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