第40話 世界

 「ねえ、こんなのとかいいんじゃない?」


 「ハロウィン近いし、いいんじゃない?」


 「私もそれにしよーかなー」


 放課後にも関わらず、来たる大きなイベントに賑わう教室。自分たちのスマホでイ

ンターネットからおすすめのコスプレを検索する。


 各々のグループが、共鳴するように盛り上がる中、私だけが、一人だった。


 何をするわけでもなく、ただ一人、衣装を選ぶ、フリをして、集団の中に紛れ込ん

でいた。誰一人として、家に帰っていないのが、怖かった。部活動せいでもない私

が、そそくさと家に帰るわけにはいかなかった。


 私に対する無関心が、不快に変わってしまうのが、たまらなく怖かった。


 かといって、周りの人間たちが群れを作ってはしゃいでいるのも見苦しくて、心底

この場所から抜け出したい思いだった。


 そんな中、私に一つの光が差した。


 閉まったドアを開けたのは、一人の女子だった。


 それは、クラスという狭い枠組みをとびぬけた、学年中、いや学校中の有名人、人

気者。


女子の中では少し背が高くて、整った顔立ちをした女子、千夏ちゃんだった。


屈託のない笑顔で、教室に入ってきた。


周りをきょろきょろと見渡すと、私の方を見るなり、「おーい」と声高に、手を振っ

て来る。


私は、笑顔を作って、彼女の呼びかけに応じる。


そうだ。私には、千夏ちゃんたちがいるじゃないか。


 太陽のように明るくて、誰からも憧れる彼女と、普段から一緒に帰ったり、休みの

日には一緒に買い物に行ったり、白木くんの件だって一緒になって解決したし。


 地味な教室のあなたたちは、私のことを見下してるかもしれないけど、こんなに派

手な人たちと繋がりがある、あなたたちには見えない世界を持ってるんだから、別に

私は、一人なんかじゃない。


 むしろ、あなたたちなんかより。


 「千夏ちゃ…」


 「もーチナツ~、遅いって!」


 後ろから、声が聞こえた。


 「ごーめんごめん! にしても助かったわ! 体育で暴れすぎたから暑くて暑く

て。やっぱ汗拭きシート様様よなぁ~!」


 「あんた男子もいるんだから音量下げなってっ」


 「あはは、やっべ!」


 千夏ちゃんが楽しそうに笑っているのを、私は、勘違いしてしまった恥に、心臓を

握りつぶされるような思いで、見ていた。


 そうだよね…。


 彼女だって、彼女の方こそ、私には見えない世界を、たくさん持っていることに気

付かされた。





 辺りが暗くなる前に、私は一人で学校を後にした。先ほどまで周りの目を気にして

いた私は、それがどうでもよくなるくらいに、自分の狭すぎる世界に打ちのめされて

いた。


 白木くんと歩く上り坂は、今日はいつにも増して勾配が急に感じた。


 眩しく輝く夕焼けの陽光でさえも目障りだった。


 「なんで…」


 こうもうまくいかないかな。


 思えば、ずっと前から、私はずっと地味な人間だった。仲間だと思っていた人が、

実は私なんかに興味など微塵もなくて、ただの暇つぶしのような存在だった。


 千夏ちゃんや蓮井君のように学校中の人気者もいれば、白木くんのように知り合い

は少ないものの仲間になった人とは深くまで関係を築ける人もいる。


 そんな人たちの中で、私は自分のことを勝手に特別な存在だと勘違いしていた。魅

力のある彼らと一緒にいることで、愚かにもそんな気になっていた。


 取るに足らない、つまらない人間のくせに。


 私は、目立ちたかった。


 三姉妹の次女として生まれた私は、責任感を持った決断を養うことなく、親に甘や

かされながらわがままを言うこともなく、自分を封じ込めていた。


 家族でいる時も、親せきで集まった時も、私じゃなくて、私の姉と妹ばかりが注目

されて、それが詰まらなかった。


 学校のテストも、姉と妹はよく満点を取って帰って来ていたのに対して、私は中途

半端な80点台ばかり持って帰った。


 どうせ、上に立てないのなら、と親と姉妹に牙を向けるように、わざと落ちこぼれ

になってみせた。


 どうしたのかと、心配してくれると思っていたのに、母は激昂し、父はため息を吐

いた。


 姉を見習え。


 妹の手本になれ。


 親はそればかりだった。


 姉と妹はそれぞれの友達の家に行ったり、友達を家に招待するだけでなく、学年の

範囲を超えて私のクラスの人間たちとも仲良くなっていた。私になんか一切の興味な

んかなかった彼女たちが、姉や妹と一緒に遊んでいるところに遭遇した日は、内側か

ら浸透するような劣等感が私の希望や肯定感といったたぐいの感情を腐らせた。


 みんなが流行りの芸能人や恋愛の話に興じる中、私は一人、小説の世界に没頭して

いた。


 フィクションの世界はいい。誰にも邪魔が入らないし、自分の親や教師なんかより

もはるかに頭のいい人たちの価値観が、この一冊の紙の束に収束されていて、登場人

物と世界が綿密に構築されていることに気付いた瞬間には、涙がほろほろと落ちた。


 この意地悪な世界から、救いのある世界へと連れて行ってくれるようで、私は、時

間が許す限り、活字の大海に常々飛び込んだ。


 姉が期末テストで学年3位になった日も、妹がピアノコンクールで銀賞を獲った日

も、私は自分の部屋の中で小説を読み続けた。


 ファンタジー小説が好きだった。私の肉体が存在する世界とは全く異なる文化やル

ールに面白いくらいに引き込まれる。特に、現実世界と架空の世界の二つがあって、

架空の世界に住む少年が、現実世界に退屈する少女を自分の世界に引き込むところ

に、他のどの作品よりも魅力を感じ、少年に連れて行かれた少女に嫉妬すら覚えた。

作者が作り出した妄想に、腹を立てて眠れない日もあった。


 自己投影。


 その辺の頭の悪い男子たちが、少年漫画の主人公に憧れ、語彙や態度、口調や考え

方を真似するように、私もまた、ここではないどこかへ連れて行かれた彼女の真似を

した。


しかし、実現を祈るように投影したものの、私を助けてくれるような男子は、私の周

りにはいなかった。


品のない言葉をまき散らし、自分たちだけが愉快な思いをする男子。


 弱い者に正当性のない理屈を押し付け、不必要に暴力を振るう男子。


 そんなやつらばっかりだった。


 だから、男子も嫌いだった。小説の主人公に憧れてからは、より気持ちの悪い思い

で同じ教室を過ごした。


 私を相手にしない女子にも、姉と妹ばかり贔屓する家族にも、存在しているだけで

私にストレスを与える男子たちにも絶望し、こんな現実とは早くお別れしたかった。


 転機が訪れたのは、意外な場所からだった。


 大胆な行動に出ることもできない私が、私なりに仕掛けた家族や社会への『小さな

抵抗』。それが私に小さな希望を与え、ここまで生きることになった。


 ただしそれは、呪いに変わった。


 『彼』とのつながりが消えてからは、ずっと、苦しんだ。


 どうせなら、全く知らないままで良かった。


 『彼』にまた出会えるかも知らないと、無駄な人生を生き続ける必要がなかったか

ら。


 誰にも認めてもらえないような世の中から、簡単に離脱できたのに。

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