第36話 勇み足

 目を覚ます。


 どうやら、眠っていたようだ。体育座りし、壁に背中を付けたまま、壁に掛けた時

計の針の位置を見て、二時間弱といったところか。


 昔の夢を見るのは、久しぶりだった。


 桃井さんたちに出会ってからは、楽しい日々が続いたせいか、昔の罪の記憶が次第

に消えていくようだった。


 僕が殺した彼女のことを置き去りにして、僕だけが楽しい日々を送っていた。


 人殺しのくせに。


 誰かを傷つけることしか出来ないくせに。


 楽になろうとしてた。


 幸せになんか、なったらダメなんだ。


 机の上に置かれた鍵に触れる。


 いつも、彼女の魂のように持ち歩いていた『鍵』。


 その鍵で、中に入っているものが、無くなっていないかを確認する。数ある机の引

き出しの中から、鍵の掛けられた一つを、開ける。


 ゆっくり引くと、そこにあるものを視認して、安心する。


 遺書。


 彼女が死んだ日。彼女のリュックの中にあったノートを僕は拾った。


 妹には、とても見せられないような内容で、それを見られてしまっては、僕は、本

当に最低な人間になってしまう。もう下限の最底辺にまで至っているが、そんな次元

を優に超えてしまう。


 死守しなければ。


 せめてもの…。


 鳴り響いたチャイムに、思わず身をすくめた。


 二階の窓から、そっと様子を覗くと、今日で何回目かになるか分からない、『彼

ら』の姿があった。


 一階に一人分の足音。母が玄関へと向かうのが分かる。


 僕は、歯を食いしばり、膝の上まで沼にはまったような重い足取りで階段を降り

る。


 玄関で、対応する母。彼らの来訪を申し訳なさそうに断るのは何度目だろうかと考

えると、本当に申し訳なくなる。迷惑をかけている。


 だから、僕は今日こそ、覚悟を決める。


 今の、この現状から抜け出す覚悟を。


 「ごめんね、今日もまた来てくれて…えっ、圭?」


 「白木っ!」


 「圭坊!」


 「…白木くん」


 「久しぶり」


 顔を見ると、彼らを失うことへの恐怖が心を覆うため、僕は努めて、下を向き続け

た。


 「ほぼ毎日来てくれて、あれなんだけど」


 歯を食いしばる。涙が眼球から滲み出ないように。


 「話があるんだ」


 彼らとお別れをする覚悟を胸に、僕は彼らに、自分の過去の過ちを、全て打ち明け

てしまおうと、彼らを外へと促した。






 白木の家を訪ねるのは今日で何回目だろうか。


 俺と、チナツと桃井は、きっと俺たちの指紋がべったりと付いていることだろう玄

関前のチャイムを鳴らす。


 いつもの、優しそうな白木のお母さんが来て、子供の俺たちの来訪を心から感謝

し、本当に申し訳なさそうな顔をして謝る。


 また、あいつは来てくれないのかな。


 同級生のことで、こんなに寂しい気持ちになるのは初めてだった。何日も頻繁に顔

を合わせてきた野球部の連中以上に、俺はあいつのことを仲間だと思っている。


 …そう思うのは俺だけであって、あいつにとっては違うのだろうか。俺なんか、何

人もいる同級生たちのほんの一部なんだろうか。


 たとえそうだとしても、俺は絶対に引かなかった。まだ知り合ったばかりの白木

を、失いたくなかった。


 いつも一緒にいる桃井ですら、あいつの知らない部分がたくさんあるという。


 しかし、停滞していた状況は、何度目かの訪問により、動き始めた。


 好転、とは言い切れない表情で、白木が俺たちを呼び出したのは、学校の屋上。


 立ち入り禁止のテープをくぐり抜け、鍵の壊れたドアを開き、初めて足を踏み入れ

た場所は、場違いにも鮮やかに光り輝くオレンジが俺の目に突き刺さるほど眩しかっ

た。


 「僕は、人を殺したんだ」


 心地よい光と風が包み込む開放された空間に、どす黒い闇を差し込む白木。


 「…」


 「…」


 「…」


 俺たちは、黙り込んだ。


 驚いたから、ではなかった。


 事前に知っていたからこそ、彼が話し終わるまで最後まで話を聞こうと、俺たちは

黙ってうなずくだけだった。


 フェンスのない屋上の端に立つ白木に、ただひたすらに、耳を傾ける。





 白木に再会する数分前。


 俺たちの前に、桃井と同じくらいの小柄の女の子が見えて、俺たちは、そのまます

れ違おうとしたが、すれ違いざまに、聞き覚えのない声が、耳を突いた。


 天使のようにかわいらしい声音とは真逆の語彙が、俺たちの足を止めた。


 「人殺しの友達さんたちじゃん」


 注視すると、そこには濃い睫毛に覆われた大きな双眸の女の子が、不敵な笑みで俺

たちを見据えた。


 「あんた、クラスマッチの時の…」


 「チナツちゃんの知り合い?」


 「いや、そういう訳じゃ、ないんだけど…」


 桃井の問いに、少しバツが悪そうな顔をして俺の方をチラと一瞥し、下を向く。


 いや、そんなことは今は関係ない。


 重要なのは、先ほど放たれた第一声。


 「なあ、人殺しって、どういう意味だよ?」


 単刀直入に、聞いてやった。


 「え~、知らないんですかぁ~」


 俺たちを低い視線から見下したような態度で見ながら、彼女は不敵な笑みを崩し

た。


 「あいつが『チカラ』を使って、私の姉を殺したこと、まだ言ってなかったんだ」


 一瞬、何を言われているのか、分からなくなった。


 「白木が…」


 「人を殺した…?」


 「そんなこと、信じられな…」


 「殺したんですよ、本当に」


 少女は、要領を得ない俺たちに苛立って、もう一度事実を述べた。


 「あいつはね、人殺しなんですよ。私の姉を殺して。…桃井さんが出会った青島さ

んって人も、現にあいつのせいで二重の苦しみを負ったわけですし。役に立たないん

ですよ。あの人の『チカラ』は」


 「それは…そうだけど」


 夏休みに出かけたときの話だろう。あれが理由で白木が家に閉じこもってしまった

と桃井から言われてるけど、あれは単なるきっかけに過ぎなかったのだろうか。大き

な過ちを再び悔いるための。


 「でも、私たちは…」


 桃井が口を開くと、言葉を遮るように、本性むき出しといった様子で語気を荒げ、

皮肉めいた顔で笑った。


 「あんなのちっぽけなもんでしょ! 贖罪のつもりかよ! 馬鹿馬鹿しい。死ぬこ

とでしか罪を埋め合わせることが出来ないことに気付けよ、愚図が。さっさと無価値

な命捨てろっての」


 吐き捨てるように毒を吐いた被害者。


 俺は、桃井をフォローすることも、姉を失った目の前の少女に反論することもでき

ずに、口を噤んだままだった。


 なんて言葉を放てば正解なんだ。


 そもそも、俺たちがどうこう言ったところで、この子には何も響かないのでは?


 それに、白木が人を殺したって、仮にそうだとしても、俺たちは…。少なくとも、

俺たちが知っているあいつは…。


 男らしさの欠片もない苦悩が頭の中を駆けまわる中、外界から、溌溂とした救いが

はじけるように現れた。


 「無価値なんかじゃない!」


 勇み足で、目の前の少女に一歩近づいたのは、チナツだった。


 「はあ?」


 身長差にも怯えることなく睨み返す小柄の少女は、しごく不愉快そうな表情でチナ

ツの発言の意味を問う。


 「何言ってんの? あなた正気なの? なんで人殺しのあいつなんかに。あいつの

『チカラ』のおかげって言いたいの? あんたが結ばれたのは」


 「そうだよ」


 依然、堂々と振舞うチナツ。


 「確かに、あいつの『チカラ』には、迷惑かけられたかもしれない。でもね、あい

つの『チカラ』の解除条件、自分にとって最も大事なもの、または大事な人を見たら

思い出す。それにも救われたし、なにより…」


 通り過ぎる九月の風を嗅ぐように、一拍おいたチナツは一息吸って、小さな彼女に

真っすぐ伝えた。


 「単純に、シンプルに、『チカラ』なんてものがなくても、あいつは良いやつだか

ら」


 「…なにそれ…」


 キッと、刃物を思わせるような視線で睨まれながらも、チナツは続けた。


 「確かに、昔のあいつが、あなたの言う通り『人殺し』だったとしても、私は、あ

なたと一緒になってあいつを責めるんじゃなくて、あいつと一緒に、罪の償い方を考

える。お姉さんを亡くしたあなたには失礼極まりないと思うけど、私は私のやりたい

ようにやる。ごめんなさい」


 言葉、いや、想いを述べたチナツは、小さな年下の彼女に深く頭を下げ、そのまま

踵を返して白木の家の方向へ歩いて行った。


 かっこいい、と思ってしまうとともに、少しだけ男として悔しいという気持ちもあ

ったが、今のチナツの言葉が、否定しかけた白木への想いを守ってくれたことへの感

謝の方が圧倒的に大きかった。


 オロオロと慌てるようについて行く桃井を横目に、わざとに見えてしまうくらい身

体を大きく震わせる少女が、彼女こそ人を殺してしまいそうな形相で拳を握り締めた

まま、後ろを全く振り向かないチナツを睨みつけた。


 「わりい」と言いかけた口を咄嗟に閉じた。

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