第13話 靴

 去年の秋。


 夏の賑やかな青とは違う、どこか寂し気で静かな感じのある空。


 俺は、日曜日にバスへと乗り込んだ。


 遠出をする。


 胸が躍っていた。


 しかし、決して遊びに行くわけではない。それは、緊張から来る高揚感。バスに乗

る段階からこの気持ちの高ぶりは抑えたいものだった。


 県大会当日。


 試合前に、このちょうどいい緊張感は保っていたいものだが、どうしても、早く試

合がしたくてたまらなくなる。


 「まーた蓮井が貧乏ゆすりしてら」


 「出た! 名物、蓮井信隆の貧乏ゆすり」


 「こいつのこれが無意識に出た日は、試合に絶対勝てるからな」


 クスクスと、自分と同じ坊主頭の先輩たちが笑う。


 「茶化さないで下さいよ」と、俺も苦笑する。


 「これで負けたら洒落にならないっすよ?」


 「いやいや。何を言うかゴールデンルーキー!」


 お調子者の茶坂先輩が、俺の肩に腕を回して、快活に笑う。


 「将来は貧乏になりそうだな」


 「いやいや、それは関係ないだろ?」


 「結構に良いらしいぞ? 貧乏ゆすり。こないだテレビで見た」


 周りの先輩たちも、自由気ままに俺の貧乏ゆすりの話で盛り上がる。


 緊張がほぐれた。


 「補欠ながらに応援してるぜ!」


 一年生にレギュラーを取られてきっと悔しいだろうに、一点の曇りもない笑顔で、

試合前に緊張する俺を、市内の予選の時も、こうして和ませてくれた。


 優しい先輩たちだった。


 レギュラーの枠を一つ奪っているという後ろめたさはない。ただ、俺の力で、この

先輩たちを全国大会に連れて行きたいと、いつでも思っていた。


 その思いは、結果につながらなかった。


 そんなことも知らないで、ベンチ入りしている選手だけが乗るバスの中、一年生と

して唯一その選ばれたメンバーのバスに乗っている俺は、その時は知る由もなかっ

た。






 「のぶくん!」


 バスに乗り、試合前のノックが終わり、本番まで二十分ほどになったところで、野

球部のマネージャーであり、クラスメートであり、そしてずっと前から知っている幼

馴染でもあるチナツが、控室付近に立っていた。


 「よお、チナツ。どうした?」


 二年生のマネージャーがいるので、二階のスタンドで応援しているはずの彼女が、

試合の直前にも関わらず、俺と同じ階にいた。


 「いや、あのね…」


 急に首を左右に動かしながら、辺りを確認すると、


 「はい、これ」


 と、手の平には簡単に収まるほど小さな何かを差し出した。


 「これ…」


 藍色の生地に、金色の刺繍が入ったお守り。手作りであることがなんとなく分かる

が、完成度は、もう少しだけ上手だったら売り物と並べられても分からないほどに、

作りこまれているようだった。


 「のぶくんに、まだ、上げてなかったから」


 「そこまで…、ありがとう。チナツはやっぱ良いやつだな!」


 「そ、そうかなっ!?」


 分かりやすく照れるところも、相変わらず、自分本位の計算がないようで、そこも

また、良いやつだ。


 こんなに丁寧なものを、ベンチメンバー全員に作ってるんだろうな。本当に、良い

やつだ。こういうのは例年、上級生ののマネージャーが作っているんだけど、率先し

て自分も作るところが、相変わらず頑張り屋さんで、そこもまた、やっぱり良いやつ

だ。


 ベンチ外の選手たちにも気を遣って、ここまで来てくれてるし、本当に気が利く。


 「あっ、もうこんな時間。俺、ストレッチするから、もう行くわ! ありがと

な!」


 壁に掛けられた時計を見て、小走りにグラウンドへと出て行く。


 「のぶくん!」


 「ん?」


 俺は振り向いた。多分、「がんばってね」などと、優しい彼女らしくエールをくれ

るんだろうな、と、半ば微笑みながら彼女の方を再び見やる。


 「靴」


 「くつ? …あっ」


 「ふふっ」


 試合で使うスパイクではなく、ウォーミングアップ用のランニングシューズを履い

ていたことを指摘されて小恥ずかしい気持ちになった俺は、苦笑交じりに控室に戻っ

た。


 「がんばってね」


 「ああ…」


 相当、緊張しているな。


 もう少し、身体ほぐしとくか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る