第12話 災難

 「あっ…。の…のぶくん…」


 「ぶふっ! …あっ、ごめんなさい」


 だから僕は、吹き出してしてしまった。


 堂々としていて大らかな彼女の第一印象が、いざ幼馴染の、この男子を目の前にす

ると、面白いくらいに恐縮してしまっているギャップに、笑いを抑えることが出来な

かった。


 河原で、ばったり。


 彼女の、記憶を取り戻す『引き金』となる人物。


 日焼けした肌の、どこか元気がなさそうな男子。髪は伸びている。


 「ああ、チナツ! 今日も差し入れくれるの? なんてね。で、隣の人は…」


 あまりにも態度が違いすぎる彼女に、またしても吹き出しそうになった僕は、しか

し自分に話を振られて、次は僕が緊張した。


 「あ、僕は、ええっと…」


 言葉を用意できていなかった。


 「この人は、なんか、のぶくんがやってる草野球チームに興味があるみたいよ? 

見学して検討したいらしいから、連れてきた」


 彼女が、自然なタイミングでフォローを入れてくれた。


 「ふうん。同じ学校の制服ね…」


 僕を値踏みするようにジロジロと全体像を見やる男子。


 「彼氏?」


 僕の存在を、やはり必要以上に気になる様子で見続ける彼は、怪訝そうな面持ちで

彼女に尋ねると、彼女は、全力で否定した。


 「いやいやいやいやいやいや!! そんなんじゃないってば!!」


 「今日、会ったばっかりだもんな」


 僕は、先ほどのお返しに、フォローを入れてあげる。


 「そうそう! 第一、こんなひょろくて引きこもりみたいに真っ白でひ弱でダサい

男子なんか、好きになるもんですか! 私が好きになるのは、こう、スポーツに真剣

で、かっこいい感じの…。とにかく、こんなひょろいもやし男、全然恋愛対象じゃな

いから。男として見れない! 以上!」


 「おい! それはちょっと傷つく!」


 人のことなんて全く考えられないほどに彼女は混乱しているようだ。


 「そう、なんだ…」


 彼は、心なしか、安堵しているようにも見えた。


 ようやく誤解を解くことが出来たか、と僕も安堵したのも束の間、


 「でも、一緒に授業を抜けがけするような仲なんだよな?」


 と、やはり問い詰める。


 「そ、それは…」


 ここから数分にかけて、彼を想う気持ちが重くなり過ぎないよう、彼女が彼のこと

を心配しているから、その相談だとか、適当に誤魔化した。


 まあ、好きな人の前で、授業がだるいから学校抜け出してゲーセンに行ったとか、

言えたもんじゃないし、そもそも一時的に彼女の記憶を奪った僕の責任でもあるし、

ここは余計な口は挟まないようにしよう。


 そんなこんなで、僕とチナツの関係の潔白の後、チナツを仲介して僕たちの自己紹

介を、お互いに名前や何組のクラスにいるとか、そんな当たり障りのない紹介をし

て、解散した。







 「しっ、白木君!」


 隣のクラスの転校生が、またしても、昼休みの、三組の教室へと、入り込んでき

た。


 「ちょっ、桃井さん、まずいって」


 小声で、三組の教室に入り込むよそ者を、僕は慌てて制する。


 僕みたいなやつと仲良くしたら、彼女の評判が悪くなる。翔の時みたいに、内容の

聞こえない声が、無数から降り注ぐ。


 僕は慌てて、教室を出た。


 二人、廊下を歩きながら、


 「昨日、白木君が学校から抜け出したって聞いたから、心配になって!」


 「そのことは、ごめん…」


 しばらく歩いたところで、立ち止まる。


 窓から、中庭の見える渡り廊下。


 眩しい七月の陽光が、窓を貫通して差し込む。


 「心配してくれて、ありがとう」


 「うん…」


 彼女は、少しだけ嬉しそうな顔をしていた。


 だから僕も、少しだけ笑みがこぼれた。


 声に出して、心配だと言われたのは、いつ以来だろうか、親にだってそんなことは

言われたことない。


 「昨日、白木君ともう一人、誰かが怒られた、っていう噂があったんだけど…」


 彼女が気になっているところが分かった。


 「ああ、それなんだけど」


 「その人が、私が言ってた人、ですか?」


 「いや、そうじゃないんだ…」


 「ん?」


 突然の沈黙に、彼女は疑念を抱く。


 僕は、事情を説明できなかった。信用されないからだろうか。いや、それよりもも

っと別の方向の感情で…。


 今、こうして黙っていても、どこかで彼女が真実を耳にするのは時間の問題だ。そ

れでも僕は、自分の口から打ち明けることが出来なかった。


 「何か事情があるなら、無理して話さなくてもいいよ?」


 控えめに微笑む彼女は、どこか納得いかない様子だったが、僕のことを察して、触

れないようにした。


 「ありがとう。…じゃあ、話せる範囲で話すね」


 「うん」


 「うんうん!」


 「じゃあ、話すよ…、ってあれ?」


 「白木君?」


 「圭坊?」


 小柄の桃井さんの真後ろに、いつから来たのか、避けたかった話題の張本人が、

「よっ」と言わんばかりに平手の側面を掲げて僕に軽々しい挨拶をした。


 「ちょっ、お前、何でいるんだよ?」


 「よっ」


 「よっ、じゃなくて!」


 「まあまあいいじゃないの! 一緒に抜け駆けした仲なんだしさっ!」


 「おい! ちょっ…!」


 急に現れて、隠していたことを急に明け透けにした彼女。僕は、昨日と同じくマイ

ペースなこの女子の被害に遭うのだった。


 「そう、なんだ。その人が…」


 急すぎる急展開に付いていけないのか、彼女は、思考を停止したように呆然と、元

気溌剌な黒髪女子を凝視していた。


 



 「で、そうなったわけ」


 どうにかこうにか、桃井さんには納得してもらえた。どこか釈然としないような感

じもしたけど、優しい彼女は、口を挟まなかった。


 体育倉庫での、あのアクシデントは言わなかった。だから、『チカラ』をチナツに

使ったことは黙っている。どうして使ったのかを問われれば、絶対に誤魔化せないか

ら。


 「終わり? 私、喋っていい?」


 桃井さんとは裏腹に、事あるごとに僕の力説に口を挟んできた彼女だったが、何と

か口調と語気で制してみせた。


 「ああ、いいよ。喋り過ぎちゃった」


 「無口そうなあんたのくせによく頑張りました」


 「うるせ」


 「じゃあ、私の番ね。昨日、あんたに言おうかなって思ったけど、アクシデント…

いやいや、ちゃんと相方さんもいる時に言おうかなって」


 チナツは顔を綻ばせて、自分より一回り小さい桃井さんを目配せして、とうとう、

語り始めた。


 あの野球部員、蓮井信隆に起こった災難を。


 それをきっかけに、彼から信じられないほど、笑顔と抑揚、そして部員たちの信頼

が完全に消えてしまったことを。

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