第9話 大丈夫

 僕の拙い説明で、事情を察してくれた彼女は、日焼けしている男子で、お調子者の用だけど、最近、妙に元気がなさそうな男子について、よく知っていた。


 小学校からの仲で、家も隣同士である。


 何も得られないだろうと、引き返そうとした僕は、意外なことに一人の女子に事情

を打ち明けただけで大きな成果を得ることが出来た。


 そして今、どういう経緯があってか、僕は彼女と二人っきりで体育倉庫の中にいる

のである。


 「あの…、どうして僕はここに…?」


 「いいから、もうちょっと黙ってて」


 僕の質問を受け流す彼女は、薄暗く狭い空間に微かな光が差す窓枠の外に顔を半分

だけ晒し、注意深く外の様子をうかがっていた。


 彼女は今、かごに山積みになったバスケットボールの上に立って、高い場所にある

窓から、窮屈そうに外を見る。


 四隅にキャスターがついたそのかごは、動かないようにそれぞれにロックを掛けて

いるとはいえ、マットに尻を付けて傍から見上げている僕は、少し不安だった。


 見てはいけないものが見えそうな彼女の足元に目が行ってしまうのをどうにかこら

えながら、僕は、彼女が言う人物の登場を待った。


 「来た」


 待つこと数分、その人物は姿を現したようだ。


 「ほら、あんたもこっちに来なさいよ」


 かごの上に乗るように促す彼女に、しかし僕は抵抗を感じていた。


 「二人で乗るの?」


 降りる気配のない彼女に、僕は問うが、全くと言って微動だにしない。


 むしろ首をかしげるような態度だ。


 「見たいんでしょ? ほら、別の人間が来たら、あんた、勘違いするんじゃないか

なって。今どき日焼けしてる男子多いし。そんでもって、全く別の日焼けした男子が

落ち込んでる様子だったら、間違って覚えちゃうでしょ?」


 「ああ、そっか…」


 それなら、彼女の親切に甘えて、渋々と、内心ドキドキと胸の鼓動を早くしなが

ら、彼女が乗っているボールの山々に、僕も乗った。


 窓が小さいことを恨めしく思う。かび臭い体育倉庫の臭いに混じって、彼女のシャ

ンプーのような、あるいは制汗剤のような、とにかく甘い匂いが鼻腔を突くように匂

ってきた。


 それがまた、申し訳なく思うのだが、そんな浮ついた感情はすぐに捨てて、窓枠に

目をやった。


 大きなネットの先に、砂漠のように砂地の広がるグラウンドが広がっていた。その

端に設置されたアウトドア競技用の倉庫から、一人の生徒が現れた。


 「あいつ」と、彼女が指を指した先には、こんがりと日焼けした褐色の肌に、黒い

髪の毛の先が耳にかかるくらいに伸びた男子。


 「サッカー部? いや、テニス部かな?」


 翔のようにキリとした鋭い目つきの男子。ルックスがいいと、男子の僕ですら思う

ほどの整った顔立ち。隣にいる幼馴染の彼女と並んだら、きっとお似合いなんだろう

なと、場違いなことを思い浮かべる。


 「いや、野球部よ」


 「えっ?」


 うちの中学校の野球部員は、確か、全員丸刈りにしてるか、極端に短髪にしている

はずだ。誰が決めたという訳でもなく、そういう伝統のようなものが、ずっと前の代

から続いているらしい。だからか、大会があればいつでも県大会に出場し、準優勝や

ベスト4の成績を残し続けるほどの実力がある。らしい。クラスの野球部員が自慢げ

に言っているのを耳にしたことがあるから、あくまでも、らしい、と言っておく。


 「でも、坊主じゃないよ?」


 「野球部だけど、もう野球部じゃ、ないのよね」


 「はあ?」


 僕は訳が分からず首をかしげていると、彼女もまた訳が分からないという表情で僕

を見た。


 「あんた、事情を知ってるから、何かしてあげよう、って思ってたんじゃない

の?」


 「いや、そういう訳じゃなくて…、いや、そういう訳なんだけど」


 僕は、言い淀む。できれば『チカラ』のことは説明したくない。こんな日常から外

れた異能を、彼女のような、見るからに目の前の現実を満喫している彼女には信じて

もらえないし、むしろ、「からかってんの?」と怒られかねない。


 「よくわかんないんだけど。ハッキリしなさいよ。どうしてこう、黙ってる人間が

多いかな、あんたも信隆も」


 「信隆?」


 「さっきの、あいつの名前よ。ホントもう…」


 溜息をつきながら自分の髪の毛を、くしゃくしゃと掻き、真後ろのかごの縁に両手

を彼女。


 突然、カタン、と間の抜けた効果音が、なった。


 気付いた時には、遅かった。


 「あっ…」


 「ん…?」


 四隅のうちの一つのロックが外れたかごは、僕の真後ろがふわっと浮いて…。


 「「おわっ!?」」


 落ちた。


 僕は咄嗟に、背中から落ちる彼女の背中に、手をやるようにして、地面の衝撃を緩

和しようと試みた。




 「いってて…」


 脇腹から落ちたらしい。身体の側面に走る痛みがそれを重々と伝えてくる。


 「だ、だいじょ…」


 大丈夫、という言葉が、出てこなかった。


 吐息が、顔にぶつかった。


 キシリトールのような匂いが混じった、女の子の、吐息。


 ちょうど、僕の右腕が、彼女の頭に来ていて、彼女は何とか無事だった。


 「ごめんなさい!」


 僕は、慌てて離れる。自分がやってしまったことに、強い自責を覚えながら。


 運悪く、昼休みが終わるチャイムが鳴った。


 「ああ…、本当にすいません」


 僕は、再び謝罪する。


 状況を飲み込めていない彼女は、何が何だか分からないと言った様子で首をかしげ

る。


 そして、第一声を放った。


 「ここどこ? てか、あんた誰? …まだ夢の中かな」


 条件反射的に、『チカラ』を発動してしまった。落ちた拍子にあんなことになって

しまった、今日のこの日を、完全に、きれいさっぱり消してしまった、という訳だ。


 「まあいいや」


 と、寝そべったままの彼女は、目を閉じて、眠ろうとした。


 「いや、ちょっと! 起きて! 早く、鏡を見ないと!」


 『チカラ』を解除するために、彼女の肩を力強く揺すった。




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