第3話 桃井春流

 「白木くん、…ですよね? 確か、三組の」


 本屋の隣のカフェの椅子に腰かけ、向かい合う彼女が、まず口を開いた。


 「ええっと、…ああ、そうだよ。そういう君は…」


 「桃井春流(ももい はる)です。二年二組です、転校生の」


 転校生と言われて、そうだった、と気づく。確か、始業式のころに、隣のクラスに

転校生がやって来たことを新しく担任になる教師が言ってたっけか。それで男子たち

が隣のクラスを見に行ったり、体育の時は四組と一緒になるから接点がないことを嘆

いていたり、忙しくしていたっけか。


 「あ、そうだったね。僕は、転校生とか、その辺の興味は特になかったから」


 僕が正直に打ち明けると、彼女は、クスッと笑った。


 「そんな人、いるんですね。転校生に興味ないって」


 次は本当におかしいことを聞いたように、ククク、と身体を前のめりにして笑っ

た。


 「そ、そんなに笑うことかな」


 僕は、自分の発言がこんなにもウケるとは思わなかったので、嬉しくて、照れてし

まった。


 「だって、中学生の男子って、少なからず、女の子には興味あるでしょ? それ

も、『転校生』って響きが、漫画や映画のヒロインみたいで、どんな見た目かってく

らいは確認したくなるものなのかなって。自分を主人公のような存在に当てはめて、

私のことを見に来てたはず」


 「そ、そこまで…」


 「まあでも、こんなチビのチンチクリンだったから、みんなガッカリしたかも。興

味なんてものは、すっかり飽きに変わって」


 自嘲しながら謙遜を添える彼女は、しかし卑屈になっているようにも見えた。


 声の小さな彼女に、僕は沸々と、言葉にできないような思いが緩やかにこみ上げ

る。


 「そんなことないよ」


 「えっ」


 「そんなことは、絶対にない」


 「なんで…?」


 驚きよりも、答えを求める気持ちの方が強く見える彼女。僕に問う。


 僕は、答える。


 「何となく。そんな気がしたんだ。だって僕は…」


 馬鹿な選択だ。


 それなのに、僕の心は、どこかいい方向へと向かっているような解放感を、なぜだ

か感じていた。


 「『チカラ』が使えるんだ」


 自ら、自分が彼女に犯してきた過ちを吐露した。


 「力?」


 頭に疑問符を浮かべながら首を横に傾ける彼女が、まるで漫画や映画のヒロインみ

たいだ、なんて場違いなことを頭の隅に浮かべながら、それでも確かに、語気を弱め

ることなく、真っすぐに彼女を見据えて、言った。


 綺麗な女の子を見抜く『チカラ』さ、などと適当な冗談を言ってしまうタイミング

を、完全に失った。


 「特別な『チカラ』が使えるんだ。僕以外の人が出来ないことが、僕にはできるん

だ」


 「えっ?」


 戸惑う、というよりは、単純にどんなものか興味すら覚えているような表情だっ

た。


 僕は、そのままの勢いで続けた。


 「今の会話の流れからして、相手の器量を判断したり、女の子の魅力を測定できる

ような『チカラ』があると思われてるけど、それは全く関係なくて…。そういう、特

別な『チカラ』があるから、そういう『勘』みたいなものが働くんだよって、気休め

を言っただけで…。とにかく、僕には、『チカラ』があるんだ」


 「嘘みたいだけど」、と力のない言葉を絞り出して、僕は彼女の返事を待った。


 彼女は、僕の目を、真っすぐ見ていた。


 きっと、この後の展開は…。


 パターン1。バカみたい。


 パターン2。(頭)大丈夫ですか?


 その二択。


 現実身のまったくない話を、中学生が信じるだろうか。それも男子なんかよりもず

っと大人びた女子という生き物が、信じてくれるだろうか。


 しかし…。


 「本当ですか? それ…」


 掠れたようにか細い声が、僕の言葉を確認する。


 「ああ…。嘘みたいで、バカみたいだけど…」


 室温に溶かされたアイスコーヒーの氷たちが、カランと音を立てて互いの空白を埋

めるように沈み込む。


 その音だけが、二人の沈黙の、ほんの一瞬だけに割り込む。


 そして、また沈黙。


 「やっぱり!!」


 突然のことだった。


 彼女は、まるで世紀の大発見をしたかのように、木製の椅子から飛び上がる勢いで

大きく反応し、晴れ晴れとした表情を浮かべた。


 「だって、おかしかったもん! 毎日、その…、本を読みに行くと、まだ読んだこ

とのないはずなのに、頭の中で、一気にその本の世界が構築されていくの!」


 すっかり興奮しきった様子の桃井さんに、呆気にとられながら、それでも僕は、楽

しい気持ちでいっぱいで、嬉しい気持ちでいっぱいだった。


 「それってやっぱり、白木君の『チカラ』だったんだよね!」


 「あ、うん。まあ…」


 僕は、なんとなく照れてしまう。でも、なんでだろう。どうして彼女は、僕の仕業

だと気付いたんだろうか。


 「何となく、そうなのかなーって。私が、いつも頭の中でその本の世界が構築され

る、っていう感覚は…」


 彼女は何かを言いかけてから、少し照れたように目を伏せて黙り込んだ。


 「…記憶を消す、『チカラ』なんだ」


 だから僕は、バトンを受け取るような形で、『チカラ』の説明を彼女にした。


 ただ、こういうものだということだけを、簡単に、簡潔に。


最悪な過去は伏せて。






 一日分の記憶と、一番大切なものや人を忘れてしまう。


 思い出すには、その一番大切なものや人を目にすること。


 それを彼女に話すと、「やっぱり!」と、再び合点がついたように閃き、笑顔を浮

かべた。


 そんなお気楽に構えてもいいのだろうか、僕はそれを、万引きするために使ったん

だよ、とその場で言いたかった。


 『つまらない話でもどうですか?』


 そう言われて、二人で過ごしたあのカフェを後にした日の夜。彼女に会ったことを

ベッドに横たわりながら反芻してみた。


 『だって、おかしかったもん! 毎日、その…、本を読みに行くと、まだ読んだこ

とのないはずなのに、頭の中で、一気にその本の世界が構築されていくの!』


 僕に『チカラ』があることを信じ切った彼女の、あの顔と声が、忘れられなかっ

た。


 僕の『チカラ』によって、あんなに幸せそうな顔をしてくれる人が、初めてだった

から。


 つまらない話、なんかじゃなかった。


 少なくとも僕には、とても楽しい話で、それはこれから先の長い人生においても、

しごく貴重な時間だった。


 そう断言してやりたい。

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