第2話 ビッグバード

 


 立花ホノカは、ひと際目立った。

 168cmの長身に、細長い手足、腰の位置は高く、顔自体は小さいが、控え目で小さな鼻を除いて他のパーツは大きく、丁寧に焼かれた陶磁器のように白く滑らかな肌を持っていた。


 短く揃えられたヘアースタイルは、さらに彼女の小顔を強調させた。アーモンド形の瞳は、魔力を孕んだ宝石のように人々を虜にした。


 10代の女子の一生に一度訪れる、新緑のような、ひと時のきらめきの域を凌駕した、まさに咲きこぼれるままの美しさを放っていた。


 すれ違う人々は誰もが振り返り、男は恋に落ち、女は嫉妬した。


 殺風景で平凡なこの教室では、その存在はひと際目立ち、教職員を含め、男子たちを混乱さえさせた。


 小学3年生の夏、ホノカはある事件に巻き込まれた。


 両親が共働きに出ていた放課後、アブラゼミの鳴く蒸し暑い道を、ホノカはガードレールを小枝で突っ突きながら、セサミストリートのビッグバードはなんで大きいのに黄色いんだろう?

 そんなことを考えながら一人歩いていた。


 人通りの疎らな商店の並びを抜け、細い路地に進入したところで、ひんやりとしたものが首元を伝った。


 振り返ると何か真っ黒なものが...そう思った時にホノカはその場に倒れこんだ。

 そしてそのまま意識を失った。


 仕事から帰宅した母親が、娘が帰っていないのを不審に思い、方々に電話をかけたが、学校も友達の家にも手掛かりはなかった。


 誘拐の二文字が頭をよぎった。


 半狂乱になった母親は交番に駆け込んだ。


「娘が帰って来ないんです!」


 対応にあたった若い巡査は、暑に要請をし、ホノカの母親を励まし続けた。

 母親は最悪の事態を想像しては泣き続けた。


 捜索開始から7時間、未だに手掛かりは掴めなかった。


 その頃、ホノカは、暗くじめじめとしたアパートの二回に監禁されていた。


 目が覚めた時、目に入ったいつもと違う天井に、一瞬ここが長野の祖父の家だと思った。


 カーテンの色が違うことに気づき、畳の感触が違うことに気づいた。


 祖父の家で昼寝をしているときには、いつも掛けられているタオルケットも無い。

 だんだんと感じ取れた違和感は、恐怖へと変わっていった。


 どこか知らないところに連れて来られたのかも知れない!


 恐怖で動けなくなってしまったホノカは、記憶を辿っていくことにした。


「今日はプールの時間があって、みきちゃんと息止め競争をして。ビニール袋に、濡れた水着をちゃんと入れて口を結んだ。ランドセルのなかに入れて、帰りのホームルームで先生が(ふしんしゃ)に注意して帰りなさいって。(ふしんしゃ)って何だろう?...まいっか。」


「先生さよーなら。皆さんさよーなら。」


「ガードレール、かんかんかんって。それから細い道に曲がって...それから、冷たいのが。」


 そして振り返ったホノカは、その一瞬に自分が一体何を見たのか、思い出せなかった。


 記憶を辿れば辿るほどに、この小さな体を恐怖が支配してゆくのだった。


 カーテン越しに、外が光った気がした、ぼやけた光の柱が右から左に大きく移動し、車の走行音が後を追った。

 窓ガラスは小刻みに震え、音を立てた。


「おうちに帰りたい。」


 ホノカは勇気を出して立ち上がると、じりじりと窓ガラスに近づき、埃と黒カビの積もったサッシのロックを下げようとした。


 しかし、長年閉ざされていたのだろう、少女の力ではロックを解除することは容易にはいかなかった。


 しばらく力を込めたが、この古い建物にそぐわない迄の屈強で無機質なロックよりも、ホノカの両手が先に悲鳴を上げてしまった。


 赤くなった指先を見て、とうとう涙が溢れてきた。


 紛れもなく少女は監禁されていた。


 このような事が起きて良いのだろうか。


 初めて味わう非日常に、不条理に打ちのめされたホノカは、ただ泣いて助けを待つことしかできなかった。



 しばらく静かに泣いた後、ランドセルの中の水筒のお茶を飲んだ。すでに氷は溶けぬるくなった麦茶は更に悲しい気持ちにさせた。


 そんな矢先、下の階から物音が聞こえた。


「ゴトっ....」


 息を潜めたホノカは、この部屋が二階にあるのだとその時初めて気づく。


 何か大きなものが静かに倒れた。そんな音を耳にした。


「.....かい....?」この部屋の一つしかない入り口の扉を隔てて声が聞こえた。


「え....?」ホノカは咄嗟に答えた。


「泣いているのかい?」今度ははっきりと聞こえた。


「おうちに帰りたい...」ホノカがそう言うと、扉の先から優しい声が帰ってきた。


「もう大丈夫だよ。君はお家に帰れる。今すぐにでもね。」


「あなたが、ホノカを閉じ込めたの?」


「いいや違うよ。まさかそんなことしない。君を泣かせることなんかしないさ。」


「悪い人が居るの?ふしんしゃ?」


「そうだね。この世界にもあの世界にも、悪い人はたくさん居るんだ。君はそれを知っていなくちゃいけないよ。」


 あの世界?


「君は特別なんだ。いや、みんな特別なんだよ。でも君はみんなとは違う。ある一つのきっかけと成り得る存在と言える。そう、あの世界とこの世界にとって。」


「よく分かんないよ...」


「とにかく大丈夫、今日は帰ってママとパパと一緒に寝るんだよ。ゆっくりね。学校はお休みするといいさ。君にはそれが必要だよ。」


「ねえ、あなた誰?ドアを開けてよ」


「名前はまだ無いんだよ。そうだな、ビッグバードにしよう。いい名前だと思わないかい?なんだか楽しい気持ちになってきただろう。」


 その時、大きな音ととも、下の階からホノカを呼ぶ声が響いた。


「ホノカちゃん!居たら返事をしてください!」


 二階の窓の外は、赤いライトが素早く何度も走り、部屋の中を照らした。






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