第20節 -接触-

 応接室でイベリスの到着を待つラーニーは机上のモニターを眺めていた。そこにはシャーロットの案内で待合室に通された玲那斗の姿が映し出されている。

 代表執務室や応接室といった部屋に設置されている代表たる当主のみが閲覧権限を持つ特殊な監視モニターは、来客対応に使われる全ての部屋の監視カメラにアクセスすることが可能となっている。

 半分は興味本位。もう半分は自分でも理由はよくわかっていない。ラーニーはただ “なんとなく” 監視カメラの映像を呼び出し彼の姿を眺めていた。

 玲那斗は入室して椅子に腰かけてからしばらくは壁を眺めていたが、今は長机の中央にある花瓶を見つめたままぼうっとしている。

 映像にコンマ数秒にも満たない間、ほんの僅かなノイズが走る。カメラの調子が少し悪くなっているのだろうか。

 映し出される玲那斗の様子は相変わらずじっとテーブル中央の花を見つめたままだ。


 姫埜玲那斗。機構のマークתに所属する人物で階級は中尉。2035年に世界を賑わせたリナリアの怪異を解決したチームの中心的存在だという。

 国連が総力を持って実施した調査の失敗からバトンを引き継いだ機構が、見事に怪現象を解決したというニュースは当時自分も見ていた。今から2年程前の出来事だ。

 大西洋方面司令に所属する4人組の調査チーム。

 あの頃は、そんな彼らとまさかこのような形で関わることになろうとは夢にも思っていなかった。事実は小説より何とやらだ。

 そういえばニュースで見た限り、そんな機構のエース小隊のメンバーの中に当時はイベリスという少女は含まれていなかったはず。確かもう1人ドイツ人の青年が所属していたと思ったが。

 それはともかく、どういう経緯を辿って精鋭メンバーの中に彼女が配属されたのかについても気になる所ではある。


 モニターへ映し出される玲那斗の姿を見ながら色々なことをラーニーが考えていた時、部屋の扉をノックする音が響いた。

 音で思考が現実に引き戻されたラーニーが応える。

「どうぞ。」

 間もなくドアが開き、2人の女性が室内に入った。シャーロットとイベリスだ。

「イグレシアス様をお連れ致しました。」シャーロットが言う。

「案内ご苦労様。ありがとう、後は引き受けるから下がって良いよ。」

「承知いたしました。失礼いたします。」

 ラーニーの言葉を聞いたシャーロットは深々と2人に礼をすると部屋から退室し、静かにドアを閉めた。


「ようこそ。お忙しい所、足を運んでいただいて恐縮です。どうぞ、こちらへ。」

 ラーニーは丁寧にイベリスを出迎えるとソファへ座るように促した。イベリスは一礼をすると促されるままソファへと向かい腰を下ろす。

 初めて支部を訪れた時の彼女と少し様子が違うことに気付いたラーニーは言った。

「どうやら緊張されているようだ。お一人で会合に臨まれるのは慣れていらっしゃらないと見ました。」

「えぇ、いつもは他のみんなが一緒ですから。私一人だけで話し合いに臨むのは実の所初めてです。」イベリスは苦笑しながら言う。

「初めてというのはそういうものです。誰だって最初から自信を持って堂々と振舞うのは難しい。特に、改まった話し合いであれば尚更に。」

 ラーニーは上品な模様の描かれた曲線の美しいティーセットを用意し、イベリスと自分の前に並べた。

 そしてニコニコしながら言う。

「実は緊張されているのではないかと思って、とっておきのおもてなしの品を用意したのです。ここはお茶の国ですからね。」

 そう言ってラーニーはロールケーキのようなお菓子をイベリスへ差し出した。

「ご存知かもしれませんが、メレンゲルーラードです。中にトッピングするものによってはスイスロールとも呼びますが。」

 イベリスに差し出されたのはイギリスでよく食べられている人気のお菓子だ。表面をサクサクに焼いたメレンゲに生クリームやフルーツを並べてロールケーキのように巻いたものである。

「わぁ、とっても美味しそう。」目を輝かせながらイベリスは言った。

「喜んで頂けて良かった。お話は後にして、まずは遠慮せずお召し上がりください。この程度のもてなしであれば、貴方がたの “規則” に抵触することも無いでしょうから。」

 さらにラーニーは微笑みながらこう付け加えた。「それと、もちろん紅茶もセットで。」


 室内に優雅なベルガモットの香りが漂う。緊張の糸を解くような心地よい香りだ。

 イベリスは角砂糖をひとつカップに入れ静かに溶かしながらその香りを堪能する。

 スプーンを受け皿へ置き、ゆっくりと紅茶を口に含んで一口ほど飲む。

「気に入って頂けましたか?」ラーニーが言う。

「えぇ、とっても。」

 イベリスの返事にラーニーは満足した様子を浮かべ、自身も手に持った紅茶を一口飲んだ。

 彼を見やりながらイベリスはずっと気になっていたことをストレートに問い掛けた。

「ひとつお伺いします。本日の会合について、どうしてブライアンではなく私がここへ呼ばれたのでしょうか?」

 その質問をラーニーは予め想定していたかのように言った。

「実の所、僕は機構の隊員としての貴女ではなく、1人の人としての貴女とお話してみたかった。初めてお会いした時からずっと。ある意味では調査の途中経過を確認したいという話は建前でしかありません。突き詰めて言えば途中経過などの報告はデータのやり取りだけで済む話ですから。しかし、誰かの人となりを知る為に話し合う場合は別です。こうして直接向き合ってお話する必要があります。正直に申し上げると、僕は貴女に可能性を感じています。」

「私の人となり?可能性、ですか?」言葉の意味が分からずイベリスは聞き返した。

「はい。可能性と期待です。余談ですが、機構におけるマークתの皆さんの活躍はリナリア島の調査以降から全世界中に知れ渡ることとなりました。興味を持って2年前のニュースを見ていた者であれば知らないものはいないと言えるほどに。しかし、当時のマークתのメンバーの中に貴女は含まれていなかったはずです。ブライアン大尉、姫埜中尉、アメルハウザー准尉、ヘンネフェルト隊員。彼ら4人のチームだったはず。そのエース小隊とも言うべきチームに突如として加わっているのですから、何か特別な理由があるのではないかと考えました。それが何か優れた知識によるものなのか、技術によるものなのか…きっと貴女にしか持ち得ない “才” があるはずだと。」

「そのことで私に興味を持たれた、と?」

「失礼を承知で申し上げれば最初はそんなところです。ですが、実際にお会いしてみて少し考えが変わりました。どうしてそう感じたのかは分かりませんが、イベリスさんはそのチームに所属していることが当たり前なお方なのだと。」

「おっしゃっている言葉が私にはよく呑み込めません。」

「えぇ、そうでしょうとも。何せ僕にすらよく理解できていません。」

 ラーニーは笑いながら言った。

「言い換えましょう。貴女には特別な知識や技術という内面で測るもの以前に、そういったものを超える特別な魅力や人を惹きつける力が備わっている。人々はその特徴を指してこう言います。〈カリスマ性がある〉と。かく言う僕もその魅力に惹き付けられてしまった1人です。」

 微笑みながら言うラーニーを見て、イベリスはふと脳裏に先程のシャーロットの言葉が浮かんだ。


《私にはなぜラーニー様が貴女様を “特別” だとおっしゃるのか分からない。》


 公国の未来。国民の光。

 リナリア公国がまだこの世界に存在した頃はそう言われていた。多くの人々が自分にかしずき、人々の先頭に立って導く役割を担うことを求めた。

 レナトのすぐ傍に立ち、いわゆる “象徴” としての責務を果たすことを。

 しかし、自分自身にはそのようなことが出来るのか不安で仕方なかったというのが当時の本音である。

 そう、あの時は王妃という地位に立つことが訪れないまま人生を終えたことで、心のどこかではほっとしていたのだ。

 自分が求めたのはレナトと紡ぐ未来だけだった。大衆が求めたように、このちっぽけな双肩で国家を背負って立つなどということが果たして出来得たのだろうか。

 今でも時折考えてしまう。そんな素質は自分にはないのだと。しかし、今目の前に座る男性は自分にその才が “ある” と言う。

 心の奥底では自身にその気概がなかったと言うのに、百年、千年の時を経て同じことを言われるというは何とも度し難い。


 ラーニーは言葉を続ける。

「貴女はおそらく誰かの下について汗水垂らして働いて輝くようなタイプではない。多数の人々の先頭に立ってその道行きを示す道標となるようなお方なのだと思います。そう思うからこそ可能性と期待を感じてしまう。」

 イベリスは言った。「セルフェイスさん、貴方のおっしゃる “可能性” とはどのようなことを指すのでしょう。私には分かりません。」

 その質問を受けてラーニーは答える。「人の意識の変革。語弊を恐れずにいえばそのようなものです。大衆は常にリーダーを求めています。この人についていけば安心だと思えるような存在を。或いは、人々の心の拠り所にすらなれるかもしれない。」

「買いかぶりというものです。今の時代、そのような立場になられる方にはふさわしい方が、もっと他にいらっしゃるでしょう。」イベリスは声のトーンを落としながら答えた。

「僕はこの数日考えました。もし、貴女のような方がセルフェイス財団で自然保護・環境保全・環境再生などを訴えかけたなら、今よりもずっと多くの人々の心を動かしたのだろうと。きっと、環境保全はもっと進んでいたはずです。僕のような者が訴えかけるよりよほどね。」

 ラーニーの言葉は半分ほどイベリスの耳には届いていなかった。しかし、次の言葉で自身の昔の記憶の回想と現実の狭間での葛藤から目の前の会話に意識が引き戻されることになる。

「イベリスさん、セルフェイス財団へ来ませんか?」

 言葉の意味が理解出来ずに聞き返す。

「どういう意味でしょうか?」

「言葉通りですよ。私は機構から貴女を引き抜きたいと申し上げています。」


 唐突な申し出にイベリスは困惑して硬直した。

「何もすぐに返事をいただきたいというわけではありません。一度じっくりと…」

 ラーニーがそこまで口にした時、イベリスは言葉を遮って言った。

「どんな形であってもそのような意思は私にはありません。謹んで辞退させて頂きます」

「そうおっしゃると思っていました。しかし、僕の決意は固い。貴女の気が変わるまでお待ちします。」

 イベリスの毅然とした返事をものともせずにラーニーはニコニコとした穏やかな表情を崩さずに言う。

「私はこの場に、調査報告の任を受けて参りました。それ以外のお話はご遠慮ください。」

 語気を強めながら言うイベリスにさすがにラーニーも表情を改めて言う。

「失敬。少し個人的感情が過ぎたようです。お詫びします。」それでも爽やかさを感じさせる余裕は微塵も失われていない。

 為すべきことを為すために、イベリスは乱れかけた心を落ち着けて言うべきことだけを発言するように努めた。


 ラーニーは手元の紅茶を一口ほど飲み、ゆっくりとカップを置くとホログラムモニターを起動してとある映像を再生した。

「調査報告のデータは後程受領するとして、僕がお伺いしたいことは他にもいくつかあります。まずはこちらの映像をご確認いただきたい。」

 その映像にはダンジネス国立自然保護区が映し出され、やや遠くに1人の少女らしき人物の姿が映し出されていた。

 やがて映像が近付き、明確に彼女の姿を捉える。独特の画面の揺れ方からして、超小型の撮影用ドローンで収集した映像だろう。

 イベリスには彼女の姿に見覚えがあった。間違いなく彼女だ。

 アルビジア。アルビジア・エリアス・ヴァルヴェルデ。彼女の姿が映し出されている。

「これは2日前、マークתの皆さんと初めての会合を終えた後に我々の統括する管理区域の管制塔から送られてきたデータです。丁度ダストデビルの影響を受けた直前から直後のものとなります。次にこちらをご覧いただきたい。」

 そう言うとラーニーはその日より過去の日付のデータを再生した。今度は定点監視カメラの映像らしい。

 映像には〈リド=オン=シー - ダンジネス国立自然保護区〉と記録されている。

「リド=オン=シーの街から自然保護区へ通じる道、ダンジネスロードに設置された監視カメラが捉えた映像です。我々財団の管理するものではありませんが、 “例の事象” について財団側が独自調査する上で入手したものとなります。日付は復活祭の翌日です。この日もダストデビルによる被害が管理区域に発生しました。そして次はこちらを。」

 さらに次の映像にもやはり彼女の姿が映し出されている。同じ定点カメラが捉えた映像であり、日付は昨夜の午後9時半頃だ。

「この後、昨夜午後10時頃に我々の管理区域は謎の崩壊を遂げることになります。ここまでお見せすれば僕が何を伝えたいかはご理解いただけるかと思いますが…一緒にこちらもご確認いただきたい。」

 ラーニーがあまり気乗りしない表情で再生した映像には昨日の正午過ぎに国立自然保護区で撮影されたものが映し出された。そこに映っていたのはアルビジアとイベリス自身の姿であった。

「我々は管理区域の度重なるダストデビル被害の原因を突き止めるために、監視範囲を国立自然保護区全域に広げていました。超小型ドローンを用いた空撮です。隠し撮りしたようなものをご本人にお見せするのは無礼だと承知でこちらはご確認いただきました。」

 ラーニーは映像の再生を停止して言った。

「映像に再三映り込む彼女の名はアルビジアというそうで、リド=オン=シーで暮らす住人です。イベリスさん、貴女は彼女とお知合いですか?」

 これは昨夜マークתの3人と夕食前に話し合った内容そのものだ。財団が彼女について尋ねてくる可能性。イベリスは打ち合わせ通りに “事実以外は何も答えない” ようにする。

「一昨日、自然保護区の簡易調査の後にマーケットへ買い出しにでかけた際、駐車場で少し。大きな荷物を抱えて歩く彼女とアメルハウザー准尉と少しぶつかってしまったので、その時に謝罪の言葉を交わしたに過ぎません。ただ、その翌日の調査で偶然彼女の姿を見かけたので私から声を掛けました。」

「そうですか。何か特別なお話は?」

「いいえ、特に。挨拶と世間話を交わした程度です。」

「わかりました。ありがとうございます。」

 ラーニーは納得したように頷いて言った。イベリスは今の会話から何か悟られたのではないかと思いかけたが、自分の考え過ぎだろうと思うことにした。

「偶然貴女と彼女が一緒にいる姿が撮影されたものですから。もし、何かご存知であればお伺いしてみたいと思っただけのことです。」

 やはり彼女のことを疑っているのだろうか。イベリスは内心で考えたが、表情には出さないようにする。

「例のダストデビルの現象が起きる時に、あまりにも都合よく彼女の姿が捉えられるものですから。1人の少女が自然現象に関与するかもしれないなどと考えること自体、我々の限界を示しているようでお恥ずかしい話でもあります。」

 そう言ってラーニーはホログラムモニターを閉じた。

 彼の言葉は紛れもなくアルビジアに疑念を持っている言葉だとイベリスは感じた。しかし、今この場でそのことに触れるわけにはいかない。平静を保ったまま聞き流す。

「さて、それでは調査報告に参りましょう。先程は建前と言ってしまい申し訳ありません。しかし、貴方がた機構の調査は心から信頼しています。例の異常再生現象が解明できれば、世界中で失われた新緑の再生が叶うかもしれない。薬品など使わなくても良い、新たな環境取り組みへのヒントを得るきっかけになるかもしれません。失われた財団の管理区域を復興次第、そのヒントを元に新しい試験も可能となるでしょう。」

「分かりました。では、ブライアン大尉より預かった資料で報告します。」

 先程までの余裕を湛えた表情ではない真剣な眼差しで言うラーニーに、公人としての側面を感じたイベリスは先程の私情は忘れ、機構のイベリスとして調査内容の報告を始めた。


                 * * *


 どうして自分はあのようなことを口走ってしまったのか。

 言いつけられていたことを疎かにし、あろうことか嫉妬による敵意すら向けてしまっている本人の目の前で私情を晒すなどという醜態を演じたのは最悪であった。

「私、バカだ。」

 シャーロットは休憩室で壁にもたれかかりながら溜め息をついた。

 分かっている。このことに関してイベリスには何一つ非があるわけではない。彼女はただ調査依頼を受けてこの地へ訪れ、命令通りにこの場所へ来て彼と会った。

 今日だってそうだ。財団側からの要請に応じて彼女は当主であるラーニーへ会いに来ただけのこと。そう、呼びつけたのは他でもない、自分達財団側なのだ。

 だから今自分が抱いている感情も彼女にぶつけてしまった感情も何もかもが “筋違い” なのだ。

「本当、最低ね。」首を振りながら言う。

 先程、イベリスは《何も聞かなかったことにする》と言ってくれたが、その優しさですら余裕を見せつけられているようで癪に障ってしまう。

 自らの行いを悔いながら、次の自分の職務が訪れるタイミングをモニターで観察する。

 休憩室に設置されたモニターのひとつには真剣な表情でラーニーと対話するイベリスの姿があり、もうひとつには彼女の送迎役として訪れた玲那斗の姿があった。

 玲那斗は1人でぼうっとしながらテーブル中央の花瓶を眺めて静かに待機している。


 姫埜玲那斗。シャーロットはモニターに映る彼の姿を見ながら考えた。

 大西洋方面司令の精鋭小隊、マークתに所属する中尉。年齢はラーニーよりも少し年下…自分と同じか少し上といったところだろうか。彼の周囲への気の回し方の上手さは少し観察しただけで見て取れた。

 今思い返すと最初に支部を訪れた時から彼だけは常にイベリスのことを気にかけて行動しているようにも見えた。気のせいだろうか。

 おそらくは自分が彼女に向ける視線についてもいの一番に気付いていたのではないか。いや、それは考えすぎかもしれない。

 そんなことを思いながらじっとモニターを凝視する。今ここで彼について考えることに特に深い意味はない。ただなんとなく視線の置きどころに困っただけだ。

 ラーニーとイベリスの会合はもうしばらく続くだろう。会合終わりにイベリスを待合室まで連れて行くという役目が回ってくるまで時間がある。

 そういえば彼にはお茶すら提供していない。本人に必要無いと言われたとはいえ、声掛けすらしないのは失礼ではないか。イベリスとのやり取りと自身の感情のもつれによってやるべきことをまたしても疎かにしてしまっている。

 しかし、今から彼にお茶を準備して出しても後の祭りだろう。出し終わって彼が手に持つ頃には会合はほぼ終わっているはずだ。

 加えてなぜだか “あの部屋に近付いてはならない” という予感がする。目に見えない何かがそう訴えかけているような不思議な感覚。

 それに、今は少しだけこの色々な感情が入り乱れた頭を整理する時間も必要だ。

 シャーロットはゆっくりと目を閉じ、深く深呼吸をすると再度目を開き、次の仕事が訪れるまで静かに待機を続けた。


                 * * *


 時計の針が午前10時半を回った頃、リド=オン=シーのジェイソンの自宅には珍しい来客が訪れていた。

 セルフェイス財団の当主直属の執事、サミュエル・ウォーレンである。

 予想していなかったかといえばそんなこともない。かといって予想していたかと言われるとこれも異なる。

 ただ、いずれ財団側から例のダストデビルの件で何か働きかけがあるのではないかとジェイソンは思っていた。

 しかし、それがまさか自宅へ直接訪れての会話になろうとは。

 ジェイソンは唐突にこの家を訪れた老紳士に視線を配る。財団当主付き執事のサミュエルという男は格式のある黒スーツとベストを着用した身なりでやってきた。とても穏やかな顔付きと目から彼が普段とても温厚な人柄であることを感じさせるが、今は少しばかり困惑と緊張が入り混じったような複雑な表情を浮かべている。


 リビングのテーブルでジェイソンとサミュエルは向き合い座る。つい先程この家に訪れた彼をここまで通し、今しがた互いに挨拶を交わし終えたところだ。

 一切の無駄を省いたかのような所作で挨拶をしたサミュエルにジェイソンは感心していた。さすが長年セルフェイス財団に仕えている執事というだけのことはあると。

 とても静かな空間の中でジェイソンから会話を切り出す。

「ウォーレンさん、私にお話があるとのことですが具体的にどういったことでしょう?」

 至極真っ当な疑問を呈する。間髪入れずにサミュエルは言う。

「最近のニュースはご覧になっていらっしゃいますか?そう、例えば今日の朝に流れていたニュースなどは。」

「財団が国立自然保護区で管理していた区域が謎の崩壊を遂げたというニュースは見ました。」

「はい、その通りにございます。この数か月、我々財団が管轄する特別管理区域ではダストデビルによる自然災害とも言うべき事象が多発しておりました。その極めつけが昨日の事件です。全力で調査を進めておりますが自然現象によるものなのか、恣意的なものなのかの判別もつきませぬ。」

「酷く荒れ果てている姿に衝撃は受けました。しかしニュースではどなたにも怪我はなかったとのことで、それは不幸中の幸いと申しましょうか。」ジェイソンが言う。

「大切な職員に怪我などが無かったのはおっしゃる通り、不幸中の幸いと言えましょう。ただ、管理区域を失ったという事実は変わりません。我々財団が失ったものは大きい。話を少し戻しますが、わたくしは多発するダストデビルのことについて自然保護区からほど近いこの付近にお住いの方々へ色々聞き込みをしておりまして、何か変わったことなどを目撃されたりしていれば教えて頂けると助かります。」

 ジェイソンはサミュエルの物言いを聞き、それが嘘だとすぐに分かった。

 彼は付近の住民への聞き取りは行う予定もなく、さらにその目的は変わったことがなかったかの確認でもない。

 聞き取りを行うのは自分にだけであって、変わったことというのはアルビジアについて感じることはないかという意味だ。悟った上で煙に巻く。

「いえ、特別変わったことがあったとは思いません。この数か月も例年と同じように過ごしましたから。そういえば、今年は珍しく晴れの日が多い気がしますな。」

 話の腰を少し捻じ曲げるように天気の話へと持っていく。

「左様ですか。確かに良い日和の日が多いように思います。今日は生憎の空模様ですが、昨日などはとても良い晴れの空でございました。」

「ダストデビルの起きる条件の一つは地表の温度が上がることだと聞いたことがあります。この季節にしては珍しいほど気温も上がりましたし、何か関係があるのでは?」

 ジェイソンはあくまでダストデビルについても気象状況によるものだろうというスタンスで話を続ける。

「可能性はございます。しかしながら、建物を倒壊させるほどの規模の現象は起こりえないとの情報を既に入手しておりますゆえ。ところで、つかぬことをお伺いします。モラレス様とご一緒に生活なさっているヴァルヴェルデ様は今どちらに?」

 なるほど、既に財団は彼女の名前を知っているらしい。

「今日は海を眺めに行ってくると言って家を出ました。近場で何か買い物をしているかもしれません。」ジェイソンは内心で警戒を強めつつ言った。

「彼女はどのようなお方なのでしょうか?」

 やはり。一番気になるのは自分のことではなくアルビジアのことらしい。

「物静かでとても優しい子です。」ジェイソンは言う。

「左様ですか。」

「あの子がどうかしましたか?」

「いえ、管理区域の件で調査をする中、ヴァルヴェルデ様が国立自然保護区に頻繁に足を運ばれている様子が付近の映像にあったものですから。もはやいつどこで巨大なダストデビルが起きるかも定かではありません。ここ最近は特に危険かと存じますので、そのことを彼女へ直接お伝え頂ければと思います。」

「保護区へ足繁く通っているのは私も知っています。自然を愛している子ですから。湖や野鳥、大地や海といった自然の景色と触れ合うのが好きなのでしょう。しかしウォーレンさんのおっしゃることも理解できます。承知しました。私から伝えておきましょう。」

「ありがとうございます。わたくしからの話は以上です。突然の訪問に対応頂きありがとうございました。」

 そう言うとサミュエルは静かに席を立った。

「いえ、私で役に立てることがあれば良いのですが。」ジェイソンは社交辞令を言う。

「我々は独自に調査を進める予定です。確認したい内容が今後出来た際にお力添え頂ければ幸いにございます。では失礼いたします。」

 サミュエルは礼儀正しく深々と頭を下げると1人で玄関へと向かい、ジェイソンの自宅をあとにした。

 彼を見送ったジェイソンはその後ろ姿を眺めながら、財団がいよいよ本格的にアルビジアに目を付けて動き始めていることを悟る。


 “確認したい内容” はすぐにでも出てくるだろう。


 ジェイソンはある可能性を鑑み、すぐに自室へ足を運ぶと今の時代では珍しくなったレター用紙とペンを用意して手紙を書き始めた。

 もしものことがあった時、彼女が頼るべき人々へ向けて。



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