第32話 「奈落」への誘い

「闇」や「影」は、光あふるる世界にはどこにでも介在すると言います。

物体の陰影は言うに及ばず、人の心に巣食うと言う「闇」……。

後ろめたい―――後ろ暗い―――そうした感情の裏側に潜んでいるとされる「ココロの闇」。

嫉妬や羨望、強欲や傲慢等そうした間隙を衝いて「闇」からの勧誘が開始はじまる……。


慾を貪り慾に溺れる者ほどそうした勧誘いざないには容易く乗って来るのだと言う。

そうした者達の充たされぬ欲求を満たしてやる一方で、世界全体を憎しむ女は、更なる侵蝕を加速させる―――……そしてその「手」はやがて、ラプラスの「中枢」にも這い寄り…



あの―――私を買ってくれませんか……



場末の酒場でよく見かける、自分の「春」を売る女娼婦―――いま一人の娼婦が、ラプラスに於いては彼の『勇者』の次に重要な役割を担っている『聖騎士』に声をかけてきました。

くだんの「神」の名の下に於いて祝福され、邪悪の一斉を退ける、「神」に寵愛された騎士……『聖騎士』。

そんな、ラプラスの中でも英雄の一人に祀り上げられている者に、その娼婦は這い寄って来る……。


その―――地にまで着くような烏の濡れ羽色をした長い髪、鳩の血色の様な、鮮やけながらも妖しき光を湛えた眸、蝋の様に白くくすんだ肌の色をしながらも、その口唇の色は妖艶な「紅」。

なによりその美貌は神の美しさにも匹敵していた―――そうした娼婦が、艶やかにして淫らな己の媚肉を『聖騎士』に当てつけ、肉体接触の関係性を迫って来る……。


その辺にいる一般人や一般の兵士、冒険者程度ならその娼婦の魅了の前に屈した事でしょう。 けれどその騎士こそは、神に祝福されまた寵愛されてきた者―――その当初は冷たく突き放し、あしらったものでしたが、娼婦は手を変え品を変え『聖騎士』に言い寄ってきたのです。

しかし関係性を迫って来るのを数度断った時点で、その娼婦からのつきまといはなくなりました。 が……“ホッ”としたのも束の間、ある日『賢者』に呼び出された『聖騎士』は。


         * * * * * * * * * *

「実はそなたにやってもらい事があります。」

「どうなされましたか。」


「うむ、実はここの処、この『グリザイヤ』にて自分の“春”を売り、多くの将兵をたぶらかしている下衆な娼婦がいるそうなのだ。」


自分と、自分が信奉する「神」の為に己の肉体純潔をも捧げた『賢者』が言う。 『己の“春”を売り、他人を誑かしている娼婦がいる自分と同じような事をしている存在がいる』―――と。


その事を聞き、なかば呆れもする『聖騎士』でしたが、どうにもその娼婦の特徴を聞くに及び、真っ先に頭に浮かんだ……その印象を頼りに最近同じ様な特徴を持つ娼婦が出没すると言う街の区画に足を運ばせてみると―――…


「お前―――は……」

「あら……誰かと思いましたが、このわたくしを幾度もフッたあなたではありませんか。 それにしてもどうしたのです?わたくしがお誘いした時には冷たく突き放したものでしたのに、今ではあなたの方からわたくしを追うかのように……あら、ウフフフフ―――これは失礼、誉れ高く栄誉ある『聖騎士』のあなたが、こんな場末の酒場で男をあさっているわたくしを……だなんて。 単なる偶然なのですよねぇ?『聖騎士』サ・マ。」


知らず……知らずの間に、「光」に纏わりつき侵蝕していく「闇」―――エニグマにしてみれば、その当初に囚えようが逃げられようが、そんなには関係がなかった。

「好意」や「恋」は障害が大きければ大きいほど、熱く―――熱く燃え上がる。

その当初から自分の手に堕ちるならば、それで「善し」―――断り、逃げるようならば外堀から崩して埋めるだけ。


エニグマがここ数日ラプラスの本拠でもあり都でもある『グリザイヤ』で活動に勤しんでいたのは、『聖騎士』の彼をまんまと釣り出す為。

そして今まで以上に甘やかなる言葉や仕草でたらし込むのみ……


けれど―――


「貴様ッッ―――何者だ……!只者ではないな?!」


自分に向けて伸ばされた手を強めに振り払い、強い拒絶の意思表示をする『聖騎士』。

強めに自分の手を叩かれた娼婦は、少しばかり“ムッ”とはしたものの、ならば……と次の段階へと移行させる。


そう……エニグマが『しなければならない』と、使命感にも似たようなものに捉われていたのは、愛するシェラザードをけがしてくれた者達に、相応の報いを受けさせるため。

だとて―――現在の実力では『勇者』や『賢者』には匹敵できないものとし、ならば彼の者達の次点から無力化させることにした―――その最初の標的に見定めたのが、『聖騎士』だったのです。


「フッ―――ククク……気付きおったか、さすがだな。 で?お前はこれからどうすべきだと思う?」

「知れたこと!邪悪は滅するまで―――!」


「威勢が良いな……では手籠てごめにしてくれよう。」


その女の―――紅の眸が妖しく輝いた時、世界は―――変じた。

先程まではこの街にある場末の酒場だった処が、今は何故か前後不覚になるまでの不明な場所だった―――しかし、その場所こそは、その女……『エニグマ』なる者が鳴りを潜ませていると言う空間、『次元のよどみ』。


ここには―――誰もいない……そう、自分と相手以外は。


しかし『聖騎士』は『勇者』にも匹敵し得るだけの強さがあっただけに、眼前の女の姿を摸した妖物の類など自分一人で対処できるものだと思ってしまっていた。


「覚悟せよ―――我らが「神」に仇なす害敵よ!!」

「フッ―――愚か者が……!   ≪終極無限インファナル・アフェア≫」



な……に?≪終極無限インファナル・アフェア≫―――!!?

その御業……私の「主神」であったニュクス様の!!?



奇しくも、狂い捻じれた因果律の果てに、望まぬ対峙が始められてしまいました。

そう……彼の『聖騎士』こそは、その身元をただせばニュクスの眷属の一人だったのです。

しかし、彼の持つ能力が『勇者』に匹敵し得ると『賢者』に知られてしまった時点で執拗な青田刈りに遭い、そして鞍替えをしてしまった―――思えばその時から、「神」を僭称する者「神」を騙る者の「熱狂的征服戦争レコンキスタ」は始まってしまい、やがてニュクスは多くの衆目の下に地べたへと這いつくばらされ、そして「神」を僭称する者「神」を騙る者の裁量により、即日の下『魔界への侵略』を下知され、やがて彼の地へと出征した従属の眷属もろとも存在を終えさせた―――そう聞いていたのに。



熱狂的征服戦争レコンキスタの時、私が「主神」ニュクス様のもととにいたらば……



しかし今は、「たら」「れば」を論ずるべき時ではない。

かつて「主神」と仰いでいた方の御業は、例え“”を変えようが眷属如きでは敵うはずもなかった。

けれども今、彼に影響をしているのは「神」を僭称する者「神」を騙る者……だから、こそ―――


「(ぬ?)ほう……耐えおったか、中々楽しませてくれる。」

「ニュクス様……生きておられたのですか!」


「『ニュクス』……だと?何をおかしなことを―――」

「違うのですか、ですがしかしその御業≪終極無限インファナル・アフェア≫こそはニュクス様ならではの御業!」


「『ニュクス』など……もうおらぬ、どこにも―――魔界にも、この幻界にも! お前が知るその者の御業をわたくしが扱えるのは、わたくしがその者をも喰ろうたからだ!!」



私も……あの女の手に堕ちてからと言うものは、もうなにもかもに絶望していた―――けれど、ふとあの女の本質が判ってしまった時、あの女の同意と共に「わたくし」“達”は『エニグマ』と成った。



エニグマは、クシナダではありながらもクシナダではない―――、ニュクスでありながらもニュクスではない―――、その『どちらでもない者』。

『誰でもない者』だからこそ、“謎”と言う不確定要素を多く含む『エニグマ』と“”乗る事にしたのです。


しかも、「彼女クシナダ」と「彼女ニュクス」の共通項―――ラプラスを激しく憎しむ。

だからこそ、かつてその庇護の下にあった裏切りの眷属の声など、届か―――ない……


「(ぐ……)う!! そ……そんな―――ッ、バカなあぁぁ……」

「(クス)これでわたくしが愛する人の脅威の芽が、一つ摘み取られる。   ≪封獄阿鼻滅堕叫喚【奈落堕】スアラ・ナラカ


その呪怨は、彼のニュクスの御業をも凌駕したものでした。

『聖騎士』にあらかじめ付与されていた様々な「能力付与」は形骸され、その四肢は言うに及ばずその身も脳内も闇で満たされ、「ゲシュタルトの崩壊」を余儀なくさせられる。

憐れ、『聖騎士』は、その“”と共に闇の果てに誘い込まれ、滅却させられてしまったのです。


             ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


そして―――


「皆様にお知らせがあります。 我が主たるエニグマ様が、この世界に於いては『勇者』に次ぐ脅威の一人、『聖騎士』を滅却したとの事です。」

「『勇者』……この私の故国をたった一人で潰し、この私自身を奴隷にさせた者の一人。 そんなヤツの他にも厄介になりそうなのがいたなんてね。」

「しかし、流石はクシナダさんです。 もうすでにそうした脅威の芽を摘み取られたのですから。」


(ムヒ~!)「私だってさあ―――こんなんなってなけりゃ檻に入れられてなけりゃ、ラプラス共の一人や二人~~」

「(いや、収監されてるのは自業自得と言うものだろうに)ふむ、それにヴァーミリオン達の行動も功を奏しているようだし、ここは一つ次の段階へと進むべきなのでは?」


「(……)いえ、まだです。」

「ササラ、慎重なのは判るけれど、機をて変に応じると言う事も大切なのよ?」


「ええ、ですから機をているのです。 お忘れですか、4番目の軍勢はまさに今、実績を積み上げている処なのですよ。」(ムヒ♪)


『幻界』の各所にて為されている作戦行動の一つ一つが功を結び、それはやがて燎原を焼き尽くす焔と成れる……それまでは局所的ながらも、こうしたものを積み上げていくに従い、「大局」と言うものは成っていくのです。



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