【少女の正義】

【少女の正義】①

 日付は七月十七日。自称「嘘つき」……京谷要が御門興行事務所でおこなった賭けの日から一か月ほどが経った。そのあと始末しまつあわただしかった捜査室もとっくに普段通りの落ち着きを取り戻し、変わらない日常が過ぎている。

「……じゃあ東條さんが復活ふっかつ次第しだいってことすかね」

「そうだなあ。もうちょっと他に協力者がいればいいんだが」

 会議室の扉が開き、室長の泉小路照良が長身の男と話しながら出てきた。その後ろから、ぞろぞろとスーツを着た男たちが五人ばかり続く。会議室から出てきた男たちは全員が危険な現場に出ている捜査官である。全部でわずか四十名ほどだが、それでも全員が普段から銃を持ち歩いているベテランたちだ。

「とりあえずアカリは説教しときます。あいつ、また勝手に商売してたみたいなんで。この前のペットボトル爆弾を作ってた件もついでに説教しておきます」

「おう。よろしくなあ」

 照良が自分の席に座りながらのんびりと返事をする。

「頼みますよ本当に。居住棟の人たちからも文句がきてますから」

「頼みますよ、双子担当」

「特にアカリ君の言葉遣いとか、態度とか。職員からもどうにかしてくれと」

「……すみません。殴っておきます」

 他の捜査官たちが言い、長身の男は額に手を当ててため息をついた。

 彼らの会話を聞きながら、普段は書類整理などの事務作業を任されている捜査官、泉小路小夜は自分の椅子に座って、黙々もくもくとパソコンに文字を打ち込んでいた。

 完全に防音ぼうおん対策をされた会議室でどんな話をしていたのかは、小夜には分からない。パソコンのキーボードを打ちながら聞こえてくる話をなんとなく聞き流して一つだけ分かったのは、「アカリ」という人物は説教されるような事を起こしたということと、文句がくるほど態度や言葉遣いが悪い人物だということだけだった。

 会話の一区切りがついたところを見計みはからって、小夜はデスクにいる照良に声をかける。

「室長。来月の面談日程表の仮作成かりさくせいデータを送りました。確認をお願いします」

「おう。ご苦労くろうさん」

 照良はマウスを動かしてパソコンの画面を見つめる。送ったデータは彼らが会議をしていた間に作成した日程表だ。

 組合に住む能力者たちは居住棟と隔離棟関係なく、全員月に一度捜査官一名と職員一名を挟んだ面談を行う決まりになっている。暮らしている間に困ったことや改善してほしいこと、最近の調子を聞くらしい。

 現場に出る捜査官ではない小夜は、当然ながら秘匿情報が飛び交う会議には出られない。とはいえやることは山のようにある。こうした日程表の作成も小夜の仕事の一つだ。

「うん。いいね。じゃ、この日程で会長に送っといて。印刷もよろしく」

「分かりました」

 小夜はパソコンの画面に向き直り、印刷処理の手順を踏んでいく。室長と組合にいる職員の分も合わせて部数を60ほどにし、『印刷』をクリックする。多めにしておくと何かあった時に役立つからだ。

 コーヒーメーカーを置いてある棚の横にあるコピー機が静かに音を立てて稼働かどうを始める。小夜はその間にメールボックスを開き、『異能力者登録組合会長 風見透』の名前をクリックして挨拶文と本題を打ち込む。最後に添付ファイルを貼り付けて誤字や脱字がないことを確認すると、会長にメールを送信した。

「室長。ちょっと組合に行ってきますね。面会入ってるんで、夕方には戻ります」

「俺も外回り行ってきます」

「外出の付き添い行ってきます。夜までなので、今日はそのまま帰ります」

 男たちは照良に言いながら荷物を準備する。一息ついたと思ったらすぐに捜査室を出て行く彼らも忙しいが、書類整理や事務処理を一人でこなす小夜も忙しい。結んだポニーテールを揺らしながら、コピー機から印刷し終えた紙を自分の机まで運んでいく。

 印刷部数も多いと机へ運ぶまでの回数も多くなる。これが終わったら人数分に仕分しわけてホッチキスでめる作業が待っている。こういうところこそ電子化でんしかすれば効率がよくなるのだが、なんでも組合の中にはデータを書き換える能力者がいるらしく、そういうことができないらしい。そのため捜査室と職員がやりとりをするデータのほとんどはかみ媒体ばいたいなのだという。

 と、パソコンのメールボックスにチェックが入っている。開いてみると組合の会長からだった。相変わらずこの人は返信が早い、と小夜は心の中で思う。まだ会ったことはないが、メールを送ると必ず三時間以内には返信が返ってくる。なかなか捜査室にいない室長に確認を取ることもあるため、送ったメールの返信が早いことは大変助かる。

「あ、そうそう」

 と、捜査室を出ようとしている男たちに照良が声をかけた。彼らは足を止めて振り返る。

「最近『収集家しゅうしゅうか』の目撃情報がちらほら入ってる。とりあえず見つけ次第しだい、死なない程度に腕とか足を吹っ飛ばして捕獲ほかくな。尋問じんもんするから間違っても殺さないよーに」

 さらりと言ったその恐ろしい一言に小夜だけが顔に動揺を浮かばせ、固まっていた。

「分かりました。室長もお気をつけて」

「了解です。話せる状態だったらいいんですよね」

「頭に当てないよう努力してみます。期待はしないでくださいね」

 照良の言葉に、スーツを着た男たちは当たり前のようにそう返した。そして部屋を出て行く。

「……」

 小夜はそんな彼らを見て言いようのない感情を覚える。上司の言葉に、男たちがなぜ全員すぐに「了解です」と頷いたのか、小夜には理解できなかった。

「おい」

 と、コピー機のほうから声が聞こえた。小夜はそちらに顔を向ける。

「これ、印刷終わってるけど」

 見ると、長身の男がコピー機を指さしていた。

「あ、すみません! すぐ取ります!」

 小夜は慌てて席を立ち、コピー機に向かう。印刷していた残りが出てきたのだろう。三十枚ほどの紙をかかえる。

「……」

 そこに覆いかぶさる影。小夜は自分の左側に顔を向けた。声をかけてきた男が壁のように立ちふさがっていた。まるでリスかそのあたりの小動物を見るかのような目で自分を見下ろしている。

「あ、あの……何か?」

 小夜はおずおずと聞いてみる。男は小夜を見下ろして言った。

邪魔じゃま

「……あ、すいません……」

 小夜は一歩横にける。男は小夜の足元にあったごみ箱に、スティックシュガーのごみを六つと空っぽになったミルクの入れ物を四つ放り込んだ。

「……お前、また勝手なことする気じゃねえだろうな」

 と、男は冷徹れいてつさを凝縮ぎょうしゅくさせたような目で机に戻った小夜を見ながら言った。

「そ、そんなわけないじゃないですか」

 小夜は慌てて言い返す。男は湯気の立つコップを傾けながら言う。

「この前もそう言ってやらかしたよな? あの後始末あとしまつ、俺がやったんだぞ。全部」

「そ、それは本当に……すみませんでした」

 こう謝るのは何度目だろう。小夜は心の中で思う。もちろん言葉にすることなどできない。

「あのさあ、お互い大人おとなだろ? 喧嘩けんかすんなってえ」

 二人を見かねた照良が口を挟む。すると長身の男は小夜の顔を指さして、

「だって室長。こいつ現場で漏らしてたんですよ」

 と、あっさり言い放った。

「そ、それも謝ったじゃないですか!」

 顔を真っ赤にさせた小夜が言い返す。照良は二十はたちを超えた自分の娘が漏らしたという報告に、顔を引きつらせている。

鑑識かんしきの人たちに『これも報告したほうがいいですよね?』って気まずそうに聞かれた時の俺の気持ちも考えてみろ。まったく、お前のせいではじかいたわ」

 そう言って男はコップを傾けた。

 この男の名を流鏑馬やぶさめもも太郎たろうという。二十五歳と現場に出る捜査官の中では一番若いが、小夜にとっては三年も先輩にあたる捜査官である。ここへ来る前は普通の会社員をしていたらしく、その時に室長である照良が直々じきじきにスカウトをして捜査室に来た一人だという。そう話しているのを以前聞いたことがある。

 百九十センチ近い身長と、学生の頃に鍛えたという引き締められた体格はそうたいする人間にいやでも威圧感いあつかんを与えるだろう。それととも狩人かりうどのようなするどさを持つ切れ長の目は、まるでくさかげからものねら肉食にくしょく動物どうぶつを思わせる。そんな彼の目に見下ろされると、どんな人間でもおびえてちぢこまってしまうかもしれない。

 そんなところに加えて、小夜は彼とは三十センチ以上の大きな身長差があるため、話す時はおのずと小夜が見上げる形になってしまう。見上げるのは首が痛いので、小夜はひそかにこの人とはあまり話したくないと思っている。それに会うたび何かと嫌味いやみを言われるので、できることならばあまり顔も合わせたくないとも思っている。

 しかし先月の御門みかど興行事務所の後始末はこの捜査官が担当したのだ。一か月前の事が終わってから今まで、顔を合わせるたびに小夜はそのことをねちねちと言われ続けている。

「で、ですからそれも謝ったじゃないですか……。迷惑をかけてすみませんでした……」

 小夜は何度目か分からない謝罪をする。反論したいが、それをすると三倍になって返ってくる。台風が過ぎ去るまで、頭を下げて謝るしかない。

「そもそも、一人で隔離棟の能力者の付き添いとか何考えてんだよ馬鹿が。それで一般人を殺しでもしたら、お前どう責任取るつもりだったんだよ。お前が死ぬのはどうでもいいが、それで大ごとになるとな、現場に出る俺たちがお前の尻拭しりぬぐいしなくちゃいけなくなるんだよ。分かってんのか?」

 桃太郎が小夜を睨む。これを言われるのはもう軽く三十回は超えている。謝っても解放されないが、小夜には謝るしか選択肢がない。

「す、すみませんでした……」

「だから、謝ってどうするんだよ。謝るだけなら誰だってできるんだよ。その時はどう責任取るつもりだったんだ、って聞いてんだ。そういうのもちゃんと考えてたのか?」

「……考えてませんでした。以後、気をつけます」

「気をつけます? その前に、そういうことをするんじゃねえよ、馬鹿野郎」

 桃太郎が冷たい目で小夜を見つめる。正論せいろんなのは分かるが、嫌味の混ざった言い方は小夜の心にぐさぐさと刺さっていく。

 どうして怒られているのか、その理由は分かる。しかし、こう何度も同じことを説教される理由はないはずだと小夜は思う。笑顔のまま拳を鳴らす上司とは別の意味でつらい。桃太郎が何か言うたび、小夜の心はガリガリと削られていく。

「あのな、口だけの奴が余計なことするんじゃねえ。それで何人死ぬと思ってんだ。いいからお前はもう、二度と余計なことはするな」

「余計なことって……」

 その言葉には、小夜は素直に頷けなかった。

「先月の件は確かに私が悪かったです。けれど、隔離棟の能力者を一人にさせなかった私の判断は正しかったはずです。そこまで言われる理由はないはずです」

「……あぁ?」

 小夜の反論に、桃太郎の目がさらに冷たさをびたのが分かった。二人のやり取りを照良は自分のデスクで、黙って聞いている。

「銃を持ってるだけの奴がえらそうに言うんじゃねえ。そういう中途半端な奴が現場をかき回すだけでな、誰かが死にかけるんだ。この前のは、たまたま運が良かっただけだ。良かったな、死ななくて。

 まぁ、お前が死ななくても、他の誰かが死んでたかもしれねえけどな」

 あからさまな嫌味には、さすがの小夜も怒りを覚える。怒りを抑えつつ、小夜はさらに反論する。ここで退いては、自分の中にある正義もくだかれたままのような気がした。

「ですが……その時の私の判断は正しかったはずです。あの時、要君を一人にしていたら、彼は絶対脱走していました。確かに命令もなしに一人で彼に付き添った私も悪いですが、何よりも能力者を優先させる捜査官として、私は間違ったことなどしていないはずです」

「はずです……ねぇ。そういうところだよ、馬鹿が。それが『正義』だとでも思ってんのか?」

「……私は、それが自分の信じる正義だと思っています」

 はん、と桃太郎が笑った。あからさまなあざけりだった。

「馬鹿が。俺たちがやってんのは正義じゃねえ。そんなもんでがねが引けるかよ」

「……どういう意味ですか?」

 小夜は聞き返した。小夜には、桃太郎の言葉の意味が分からない。

「先輩に偉そうなことを言えるんだったら、自分で考えてみたらどうだ?」

「……」

 小夜は思わず黙り込む。いくら考えても、桃太郎が言った言葉の意味は分からなかった。

「いいか。これ以上余計なことをして現場をまわすなよ。そういう奴が仲間の足を引っ張るんだ。そういう奴が他の仲間を殺すんだよ」

「私は誰も殺していません」

「まだ、だろ? その適当な『正義』ってやつで、これから大勢殺すんだよ。できもしねえのに、俺たちのことに首突っ込むんじゃねえ」

「……」

 小夜は反論する言葉が出ない。黙っていると、桃太郎は飲み終わったコップを流しに置くと、

「室長。俺もちょっと組合に行ってきます。何かあれば無線でお願いします」

 リュックをかついで部屋から出て行った。

 部屋には、照良と小夜だけが残される。照良は立ち上がってコーヒーメーカーのスイッチを入れている。小夜は椅子に座ったままだ。

 余計なことはするな。桃太郎に言われたその一言が、小夜の心に重くのしかかっていた。

 先月の件は確かに勝手な行動をした自分が悪い。だが、何よりも能力者を優先させる捜査官として、あの時の自分の行動は間違っていなかったはずだ。その選択は正しかったはずだ。なのにそれも否定されたような気がして、それがショックだった。

「コーヒー、いる?」

 照良が聞いてくる。

「……」

 小夜は下を向いたまま無意識に、

「……お父さん」

 と、その単語を口にした。コップを持つ照良が、その単語にぴくりと反応する。

「私……間違ってなかったよね? 先月のこと、捜査官として正しい判断をしたよね?」

 小夜は続けて、呟くようにそう問いかける。照良は持っていたコップをひとまず置き、椅子に座っている小夜のほうへ歩み寄る。そしてこう言った。

「そう聞くってことは、自分の中でもう答えは出てんだろ?」

「……」

 どうなのだろうか。小夜は、返す言葉が出ない。

「正しいか正しくないか、合ってるか間違ってないか。考えるのはそういう理屈りくつなんかじゃねえんだよ。その時に引き金を引けるか、その判断ができるか、その覚悟があるかだ。いちいちそうやって考えてちゃ、何もできねえぞ」

「……」

 そう言われたものの、小夜にはいまいちよく分からなかった。捜査官として正しい行動は何か。その時に取る行動が、一番最適で合理的なもののはずなのに。

 父が言う「その時」に、自分は即座にその判断ができるのだろうか。銃を構え、相手にまっすぐ銃口を向けられるのだろうか。訓練用のマネキンではなく、生きた人間に。いくら考えても、その場面は想像できなかった。

「あと、今は仕事の時間だ。家じゃねえ。ここで『お父さん』って呼ぶんじゃねえ」

 ぺし、と照良が小夜の頭を軽く叩く。

「室長、だ。分かったか?」

「ごめ……すみませんでした」

「うん。次『お父さん』って言ったらクビな」

 と言って照良は小夜に背を向けると、抽出されたコーヒーをコップにそそぐ。

「……はい。すみません、室長」

 そう返事をするが、小夜の顔は暗いままだ。それを見た照良はコーヒーを一口飲み、仕方ないとでも言う風に、小夜にこう問いかけた。

「なぁ小夜ちゃん、なんで捜査官ってのは全員銃を携帯してんだと思う?」

「……まんいちそなえ、危険だと判断した能力者を無力化むりょくかさせるためです」

「部下」の顔に戻った小夜は、先輩の桃太郎から教えられた通りのまま答えた。

「うん。そうだ。そういう意味もあって、小夜ちゃんも銃を持ってるよなあ」

「はい」

「射撃訓練もしてるよなあ。成績もいい感じだ。じゃあ、俺たちで言う『無力化』ってのはどういう意味だ?」

 暗い顔のまま、小夜は答える。

「……危険だと判断した能力者を殺すことです。一般人に危害を加える前に、その生命活動を終わらせることです」

「うん。そうだなあ」

 と、照良は相変わらずのんきな声で言った。「殺す」という単語を言うことでさえも表情を暗くする小夜と違って、照良の顔色はまるで日常の会話の一つのように普段のままだ。

「じゃあ問題だ。

 お前の手には一発の弾丸が入った銃がある。そして目の前には死にかけた俺と、そんな俺を殺そうとしている奴がいる。救急車も他の仲間も間に合わなくて、俺はどうやっても助からねえ。さ、お前はどうする? 助からねえ俺か、俺を見捨ててもう一人を殺すか」

「……そんなの選べません。両方とも助けられる方法が必ずあるはずです」

 暗い顔で小夜は答えた。

「そういうとこだよ。あいつが怒ったのは」

「え?」

 小夜は顔を上げる。コップを持って自分のデスクに戻った照良は、取り出した煙草に火をつけている。

「あのなあ小夜ちゃん。俺たちがやってんのは、結局のところひとごろしと変わらねえんだよ。俺たちは正義せいぎかかげて人助ひとだすけするヒーローじゃねえ。それよりもっときたなくて、血生臭ちなまぐさい奴らの集まりだ。

 くさったなまにくをかけたみたいな死体の臭いも、百はくだらねえ見渡す限りの死体も、お前はまだ知らねえだろう?」

「……」

「お前にとっちゃあ想像がつかねえだろう? だがな、俺たちはそんな光景を今まで見てきたんだ。そんな俺たちの前に、ろくに銃を使ったこともねえ奴が勝手に一人で行動した挙句あげく、『私は捜査官として正しい行動をしたはずです』なんても言われてみろ。そりゃ、あいつも怒る。そういうことだ」

「……」

 上司の言い方は簡潔かんけつで分かりやすい。だが、分かりやすいからこそ、小夜の心に突き刺さってくる。

「あのな、銃を持ってるってことはな、たった一発の弾丸で相手を殺せるってことだ。訓練用のマネキンじゃねえ、自分と同じ心臓が動いてる人間を、たった数グラムの弾で殺せることができるってことだ。それがどういうことか分かるか?」

「……分かりません。相手に銃を向ける前に、お互いが話し合えばいいと思います」

「うん。それはいい考えだけどなあ、そのままだとお前のその考えで、ここの全員死んじまうなあ」

 照良の顔には笑みが浮かんでいた。純粋な笑顔ではない。予想外の返答を聞いたような、呆れを含んだ声と笑みだった。

「なんでか分かるか?」

「……分かりません」

「分からねえなら、話し合いで済ませるとか言うんじゃねえ。

 お前まさか、それが正義とでも思ってねえよなあ? 話し合いなんて言う前に自分の装備品そうびひん見てみろよ。そのホルスターの中には、何が入ってんだよ。なあ」

「……」

「答えろよ。お前が持ってるのはなんだ?」

「……捜査官の装備品である銃です」

「そうだ。人殺しの道具だ。それで誰を助けるんだ? 誰を守るんだ? 言ってみろ」

「……」

 小夜は答えられない。上司の言う通り、自分が装備しているホルスターの中には重い銃が入っている。弾の入った、黒光りする人殺しの道具が。

「言っておくが、そんな正義はクソの役にも立たねえぞ。ま、分かってたらそんなアホなこと言わないわな。全員助けるなんて、どこぞの神でもできねえんだから」

 照良は煙草を口に持っていき、煙を吐く。

「辞めたいならいつでも言えよ。組合のほう、紹介してやるからなあ」

 照良はそれで話を打ち切った。言われずともこれ以上聞いてはいけない空気を小夜はさっする。心の中のもやもやした感情は軽くなるどころか、さらに重さを増していた。なぜ重さを増したのか、その理由は、小夜には分からなかった。

「あ、さっきの問題はただのたとえ話な。俺が死ぬ時は、この人生に満足した時だよ。安心しなあ」

 と、笑いながら照良は言う。普段の、のんびりしていながらも本心が見えない声と口調に戻っていた。

「じゃ、仕事に戻る前に顔洗ってこい。そんな暗い顔じゃ見てるこっちの気が滅入めいる」

「……はい」

 小夜は自分の鞄からハンカチやポケットティッシュが入ったポーチを取り出し、それを持って部屋を出た。

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