【魔女の世界――本当の覚悟】②

 日は傾き始めている。夕方が終わり、夜になる。

 この夜は、何度目だろう。椅子に座っている咲子は窓の外を眺めながら、そんなことを考える。

 咲子はあのアパートから引き返したあと、喫茶店の中に戻ってきていた。テーブル席の一つに腰かけ、コーヒーの二杯目を飲み終わるというところであった。

 窓から見える藍色の空には、ぽつりぽつりと星が輝き始めている。星たちが空をおおう時がくるのは、すぐだろう。

 外から視線を外した咲子はカップを持ち上げ、軽く回して中身をまぜる。

 あの人が死ぬまで、あと三時間ほど。あの人が死ぬと、自分も死んで次の世界に行く。そして生きているあの人を見て、六月十五日であの人が死んで、また自分も死ぬ。いつもと同じだ。

 これまでも、これからもやることは変わらない。過ぎていく毎日も変わらない。この過去の世界で、ぐるぐると死を繰り返し続けるだけ。それだけのこと。

 咲子はカップに残った最後の一口を飲み干し、席を立つ。カウンターの流しで飲み終わったカップを洗う。

「……たまには、うちに帰ろうかしら」

 そんな独り言を呟き、かつての自宅を頭に浮かべる。帰ったところで、あの部屋には何もない。だがたまには、あの家に帰ってもいいかもしれない。最近は包丁を取るためだけにしか寄らなかった、彼との思い出の場所。

 カップを洗い終えた咲子はひっくり返してかごに干し、そのままレジ台の後ろを通ってカウンターから出る。表の出入り口へ向かい、扉を開けて店を出た。

 咲子が出て行ってすぐ。入れ違いになるようにして、裏口の扉から要が入ってきた。

「……いない。めずらしいな……」

 咲子がいないことを確認した要はほっとしたような表情で一つ息を吐くと、開けた裏口の扉を静かに閉めた。カウンターの中に入り、干されているコップを一つ取ってそこに水をそそぐ。すぐに、いれた水をぐい、と飲み干した。

「……」

 息を吐く。水を飲むと、少しだけ楽になった。あれだけ騒がしかった脳も、今は比較的落ち着いている。

 もう一杯水を入れると、それを持ってカウンターから出た。そのまま近くのテーブルに向かい、散弾銃を肩から外して椅子に立てかける。要はその向かいの席に腰を下ろした。

 椅子に座った途端、疲労が一気に押し寄せてきた。要はコップについだ二杯目の水を半分ほどまで飲み、椅子の背もたれに体重を預けた。目の上に右腕を乗せ、細い息を吐く。

「……」

 要は腕の隙間から窓の外を眺めた。もうすでに空は暗くなり始めている。この「今日」であの賭けを終わらせられるタイムリミットは、あと数時間というところだろう。一時間経って何も動きがなかったら、今度こそ自分があの賭けを終わらせようと、要は考える。

 要の頭の中にはすでに、アパートに置いてきた小夜のことなどほとんどない。彼女には賭けを終わらせることは無理だと、要はそう思っていたからだ。そのため要は『知りすぎてしまう』対価を広げて、小夜の様子を探ることもやめていた。

 腕の隙間から外を眺めながら、ぼんやりと先程の出来事を思い返す。脳を動かすことで、思考を停止させないようにつとめる。考えることをやめた瞬間、さっきのように周囲の情報が一気に頭の中へ流れ込んできて動けなくなってしまう。

 要は、303号室でのことを思い返す。あの時、彼女の頭の中を覗いて確信した。彼女には人を撃つどころか、銃を人に向けることさえできない。「殺させない」と本気で思っていながら、彼女の中には大きな迷いがあった。それならば、彼女がわざわざ射撃訓練場から盗んできた一発の弾丸も、彼女がここで使う時は永遠に来ないだろう。

 よくやるよ、と要は心の中で小夜に言った。すでに要は、小夜がここへ来るまでにどんな行動をしてきたのか、大まかにだが対価で読み取っている。

 要は目の上から腕をどけ、体を起こした。コップに残っていた水を飲み干す。

 要もまた、小夜のことをどうでもいいと思い始めていた。脅威きょういでもなく、敵にもならない。放っておいても警戒すべき対象ではない。そんな存在だと。

 ならばあとは、同じ死人しにんであるあの『魔女』のみ。あの人だけならなんとかなると要は自負じふしていた。賭けと言われる前に、今回の「今日」で言われている賭けを終わらせればいい話だ。要はそう考える。

 ゆえに要は知らない。自分があのアパートから立ち去ったあと、何が起こったのか。

 すでに賭けが終わっていることも。誰が賭けを終わらせたのかも。当然、対価でその場所を探るのをやめた要は何一つとして知らない。

 要は何も知らないまま、星が増え始めた夜空を眺めていた。

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