2.カウントダウン

「あと一〇分、そうなんだな」

「はい。〈リュウジン〉ロケットのモバイル管制は糸居紘太のPCと連動した状態にあり、そちらでモニターが可能です。しかし信号は一方的なもので、こちらからアクセスすることは事実上不可能なようです」

 鯨岡はグキグキと首を鳴らす。たぶんわかってないんだろうなぁ、とツカサは思った。かくいうツカサもまったく意味がわからない。

「要するに、あのロケットはROMで動いてんだよ。完璧にシミュレートされたプログラムで、最初から最後まで自分で飛べるような――要するにゲームのカセットみたいなもんが仕込まれてる」

「なるほど、そいつを外せばいいと」

 いつの間にかクサナギはすっかりチームの一員と化していた。機械音痴の鯨岡を間に挟むより、クサナギが白蛇と話した方がずっと速い。

 紘太は白蛇が処置したあと、鯨岡たちのヘリに載せて病院へと運ばれていった。AEDによって心臓が再び動き出したのは間違いなかった。しかしその後意識が戻るかどうかは誰にもわからない。

 紘太自身がこの計画を止めることは事実上不可能だった。

「糸居紘太の作業プランはとっくにオレが解析済みだ。ロケットのどこにそのROMが仕込まれてるのかもわかる」

 クサナギは強気に宣言した。

「心強いですね。ではすぐにまいりましょう」

「ああ。誰か登って取ってこいよ。それがくっついてるのはロケットのフェアリングベイだ。よーするにいちばんてっぺんだよ」

 ツカサはあんぐりと口を開けた。

「て、てっぺんて、どれくらいあるのあれ?」

「土台入れたら三五メートルかな」

 コンテナのある場所からはロケット発射場の様子がよく見えた。そこは広大な円形の広場となっており、草木の刈り取られただだっ広いグラウンドのような場所だった。その端っこにあったロケットが、今は広場の中心部へとレールを通って移動し終わっていた。誰がどう見ても、発射のための準備は順調に進行している。

 〈リュウジン〉と呼ばれるそのロケットは、がっしりした発射台に護られながら、青い空にまっすぐそそり立っていた。テレビの中継なんかで見るより、それはずっと大きく感じられ、しかもびくともしない力強さを備えている。ツカサから見た感じ、戦車かなんかで突撃しなければ倒れることもなさそうだった。

「おいスケート靴」

 慇懃いんぎんな態度で鯨岡が命じる。

「おまえのプランとやらを言ってみろ」

「ああいいぜ、〝バカジラ〟野郎。そのより低く土下座したら教えてやる」

 ほとんど時間がないのにめんどくさい。ツカサが一喝したあと、ついにその計画が幕を開けることとなった。



 ロケットの発射位置までは、放射状に伸びたいくつかの道路があった。電動カートのような乗り物でも走れるように、よく整備されていてスピードが出そうな道だ。その道路のうち、最も長い直線の一端にマクレアンの運転するオフロードカーがあり、その荷台にツカサが掴まり、〝そのとき〟を待っていた。車自体は最初から島のどこかに停めてあったものだ。

 〈リュウジン〉はJAXAのイプシロンロケットをベースに開発されており、極めて簡素化された管制システムで一〇人に満たない職員でも人工衛生を宇宙に運ぶことができる。

 それは〝モバイル管制〟とも呼ばれ、ロケットには不測の事態に対応するための自己診断AIも積まれていた。だが、紘太の作り上げたシステムはそのAIをジャックしてロケット自体に特定の場所へ落下する命令を組み込むようになっていた。

 宇宙に上がり、人工衛星を放出するような複雑なプロセスを経ないため、完全にロケットに任せきりのシステムとなり、逆に外部からの停止命令を一切受け付けない。〈リュウジン〉は、皮肉にもミサイルに改造するにはうってつけの仕組みを持った最先端ロケットだったのである。

 ロケットの先端部にはAIに命令を送り込む基板が接続されており、それを外すことがロケットを止める唯一の方法だった。同じく先端部にはプルトニウムが積まれているが、臨界に達しない限りそこから出る放射線は完全にブロックされて人体に害はない。このロケットがミサイルとなり、どこかに落ちるとプルトニウムの入った複数の容器が壊れ、物質が混ざり合うことで臨界量に達し、爆発的な核分裂が促進される。核爆発ほどではないにしろ、周囲何キロにもわたって健康被害を及ぼす悪魔の爆弾になりうるのだ。

 ツカサはそういった難しい内訳のすべてを理解したわけではなかった。しかしやるべきことはシンプルで、その難しさとともに理解することができた。

 すなわち、車に掴まって時速三〇キロを突破し、〈リニミュー〉によって高速化した状態でジャンプしてロケットに取り憑く。クサナギが限界までスケートのウィールを回すことで、分子と分子がくっつく力を増大させ、ツカサもろともロケットにぴたりと吸着させる。

「要するに駆け上がるんだよ。ロケットの表面を垂直にな」

 計画が実行される前の説明で、クサナギはいとも簡単そうにそう言った。

「手すりを滑り降りるのと、反対のことをするってことだね」

 科学や理科の常識がよくわからないツカサもまた、簡単そうにそう納得した。

 三〇メートルという高さを登れるだけのハシゴはないし、不測の事態に対処するための高所作業者は、ご丁寧にテロリストが破壊していた。手で登ろうにもロケットはつるつるの一枚板で引っかかりすら見当たらない。一〇分では絶対に無理だ。

「あのロケットの表面は、空気抵抗を減らすために異常なまでに磨き上げられている。まさにそれが、分子吸着の最大の好条件なのさ。ただし、成功する確率は一〇〇%じゃない。実際には……」

「あー、言わないで。聞くといやになっちゃうから。九九%成功すると思ってるからあたしは」

 自分でも脳天気だとツカサは思う。

「おまえが行くのか!」

 当然ながら鯨岡は反対した。まずはクサナギだけが登ればいいだろうという話になったがクサナギだけでは〈リニミュー〉が使えないし、ロケットに吸い付くためにもある程度の質量による〝押しつけ〟、要するに重しが必要なのだという。しかもそこにも条件があった。

「誰かこの中で、着衣時の体重が六五キロ以下のヤツはいるか」

 クサナギは全然期待せずに訊いた。まずそれが〈リニミュー〉発動の制限だった。筋肉の鎧を身にまとった屈強な傭兵たちが、お互いを見回して女の子のようにしょぼくれていた。最もスリムな白蛇でさえ、身長があるので体重はオーバーしてしまう。「全裸になりましょうか」と彼が言ったが、よくこんな状況でジョークが出るものだとツカサは呆れた。

 適正のあるものはツカサのみ。そして、ツカサがいるからこそクサナギは提案したのだ。

 ツカサはこの作戦に必要不可欠なパーツだった。そしてツカサ自身もまた、この無謀な計画を前にして引き下がるわけにはいかなかったのだ。

「5!」

 カウントダウン。あれよあれよという間に準備が終わった。ロケット発射の前にそこに辿り着くには即断即決しかなかった。

「4!」

 ツカサの決断はシンプルだった。自分がこの世界で生きている意味。親もなく、戸籍も国籍もなく生きている自分の存在意義。

「3!」

 誰かの役に立たなければ生きていけない。それもある。だけど――。

「2!」

 紘太に見せたかった。彼はいまここにいないけれど、それでも証明したかった。

「1!」

 世の中に対してどれだけ絶望した状態でも、人は前向きに生きられるって。それしかないんだって。

「それにしてもさ」

 ほんの数分前にクサナギが言った。

「国籍不明も含めてよぉ、ここにちゃんとした日本人ってひとりもいねーじゃねぇか」

 そういえばそうだとツカサは思った。

「どうせ自分の国じゃねーんだし、逃げちまえばいいんじゃねぇのか? ミサイルが落ちるのは遠く離れたどっかだし、逆にここでじっとしてるのがいちばん安全かもな!」


「ゼロ!」


 アクセルが踏み込まれ、4WDが急発進する。ツカサと、彼女の履いたインラインスケートがみるみる前へと進んでいく。

 ――国を守るとかそういうんじゃない。

 ツカサは歯を食いしばって前を見据えた。

 ――たぶんオジラもこんな気持ちで紛争と戦ってきたんだ。

 よくわからないし説明も出来ないけど、〝前に進む〟って、こういうことなんだ。

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