2・コストカッター

 鯨岡と白蛇は、ロケットの発射管制室のある中央指令棟の裏手に駆け寄った。名前は立派だが、まるでプレハブにも見えるほど簡素な作りの三階建てのビルだった。この島に民間の発射場が誘致されてから、いかにドタバタと施設が建設されたかがわかる。

 ヘリの着陸した南の広場の方からは、軽快な銃撃戦の音が聞こえていた。そのほとんどはテロリストたちが持った自動小銃の発射音だった。鯨岡たちはここに来るまでに目視で六人ほどを確認していたが、その全員が南に向かっていた。ヘンリーとマクレアンの陽動はうまくいっているらしい。

「ここまで来たら、派手にやっちゃってもいいでしょ、隊長?」

「かまわん」

 指令棟の裏口は、厳重なセキュリティを思わせる電子錠のドアだった。しかし警備会社のシールも今はむなしく威厳を誇っているだけだ。システムはすべて死んでいると見ていいだろう。

 白蛇はドアに手際よく爆薬を仕掛け、錠の部分を爆破した。ドアを開けるとさっそくこのビルのホスト――アーミールックに身を固めた外国人の兵士が、慌てた様子で駆けつけてきた。

 人数はふたり。どこも人手不足は深刻だ。

 鯨岡は前に出てきたひとりの額に、正確にラテックス弾を当て昏倒させた。鯨岡の背後から、風のように白蛇が躍り出て、残るひとりの腹部に手刀を当てる。鳩尾みぞおちに喰らい込む死ぬほど苦しい一撃だ。

「職員が人質として捕まっているはずだ。そっちは頼む」

「ではこの御仁に居場所を聞くとしましょう」

 そう言って蛇のごとく彼が嗤う。

 鯨岡は、このグループの戦闘練度があまり高くないことを見抜いていた。まだ駆け出しの新米集団ということだろう。もしかするとデビュー戦なのかもしれない、と思いながら、まだ若い兵士が白蛇のむごい拷問で口を割られるのかと思うと多少は気の毒な気持ちにもなった。

「せめて男としての尊厳は残しといてやれよ」

「……ふふふ、御意」

 鯨岡は壁にかかった施設内の見取り図を一瞥し、まっすぐに管制室に向かった。妨害する兵士はいない。ガラス張りの管制室の入り口に向かい、中腰になって進む。

 あっけなく開いた自動ドアを潜り、グロックカスタムを構えながら中に入ると、ひとりの初老の男が銃を片手にこちらを睨んでいた。もう片方の腕には、口をガムテープで塞がれた女性の職員が捕まっていた。

 男が持ったベレッタの銃口は彼女のこめかみに向けられている。可哀想な人質は、目を剥いて死の恐怖に怯え、ガタガタと震えていた。

「やはりおまえだったか、〈コストカッター〉」

 鯨岡の呼びかけに、赤ら顔をした初老の男はニヤリと微笑んだ。

 男の名はアレクセイ=カーロコス。国籍はウクライナと言われているが定かではない。特定のイデオロギーに属さないフリーのテロリストで、常に小規模の傭兵を率いている。

 アレクセイのテロの特徴は、あらゆる資材を現地調達し、どんな複雑なミッションも臨機応変に組み立てる機転の高さにある。そして少人数低価格で大きな成果を上げることから、〈コストカッター〉の異名がついた。しかしコスパ抜群と言われる〝自爆テロ〟には決して手を出さない。メンバーの欠損を嫌うあたりは傭兵団の長らしい性格だった。

「こんな島国でなにをしてる。日本を攻撃してもせいぜい……」

 そこまで言って鯨岡はハッとした。アレクセイはゆっくりと頷く。

「……そうか貴様……。これはデモンストレーションだな……。新人だらけのチームに攻撃を経験させ、名を売るつもりか」

「その通りだ、〈ホエール・ヴォイス〉。いま俺たちはまさに売り出し中でね。この国には攻撃によってもたらされる恩恵はないが、〝可能性〟が満ちている。そのひとつが、民間のロケット強奪による中距離ミサイル化だ。しかも核汚染つきならさぞかし大きな話題になるだろう。特に日本人は死の灰が大嫌いだからな」

 鯨岡は歯噛みした。〈ケーキ屋〉が東日本から名古屋に移動したのは、そいつが売ったプルトニウムの出所をさもフクシマかのように喧伝するのが目的だったようだ。もちろん、本当にあの発電所から持ち出されたブツだという可能性もある。

 その〝自前〟の核をもって〝自前〟のロケットを用い、自国都市が攻撃される。そんなおめでたい話はないし、それを実行したグループは間違いなく闇の世界で名を馳せるだろう。この国は政治的宗教的イデオロギーを主張するには冷めすぎているが、ビジネスに関していえば常に懐が広い。

「おまえのチームにひとり日本人がいるだろ。しかもまだガキだ。そいつも現地調達か」

「ああ、コウタのことだな。実をいえば、コウタの存在があったおかげでこのミッションを思いついたようなものだ。今や作戦の中心人物だよ、彼は」

「間違いを犯す前に解放しろ。おまえたちはもう終わりだ」

 アレクセイは銃口を人質に当てたまま、肩をすくめるような動きをした。

「なにを気にしてる、ケイシー。俺もおまえも餓鬼の頃からこういう仕事をしてたじゃないか。コウタは優秀なプログラマーだ。協力的でかつ執念深く、大きなミッションを成し遂げることに極めて貪欲だ。俺の仲間に相応しい」

「まさか……ロケットの操作はそいつが管理してるのか」

「そうだ。おまえがここにおびき出されてる間にな」

 そういうことか。鯨岡は司令棟の警備が手薄な理由を理解した。ここではロケットの軌道は支配できないのだ。ご大層な機器はすべて見せかけで、管制室には人質以外の職員は誰もいない。この島のここではないどこかで、糸居紘太が発射までのプロセスを管理している。

「おっとあまり動くなよ。俺の手が滑って、大事な人質の頭に穴を開けちまうからな」

 鯨岡の決断は早かった。もはやここには用はない。

 鯨岡は瞬間的に照準を人質に向け、グロックの引き金を引いた。

 発射された特殊ラテックス弾は女性職員の頭部に当たり、すぐさま彼女は気を失う。筋肉の力を失った人間は、恐ろしいほど重くかさばる肉の塊だ。片腕でそれを支えていたアレクセイは、崩れ落ちる女に引っ張られるように体勢を崩した。

「ちっ!」

 鯨岡は短い間隔で二度引き金を引いた。しかし歴戦の猛者であるアレクセイはすぐにこの弾丸の性質を理解し、銃を持った手で頭部をかばった。

 ビシビシと鈍い音を立てて、二発の弾がアレクセイの革のグローブに当たる。

「うぐっ」

 アレクセイは発生した衝撃波で銃を落とした。すぐさま鯨岡が彼に近づき、その頭部を別の角度から狙おうとした。すると、管制室の長机の下に身を潜めていた伏兵がぬっと起きあがり、ナイフで鯨岡に襲いかかった。鯨岡は自分の衰えを実感した。死角だったとはいえ、こんなシンプルな手に引っかかるとは。

 とそのとき――。

 ガラスを破り、派手に飛び込んできたひとつの影が、ナイフを持った兵士の手を蹴り上げ、手刀、肘、膝を目にも止まらぬスピードで相手の正中線にたたき込んだ。いくらか骨の砕ける音がして、ナイフの兵士はぐったりと床に倒れ込んだ。

すまないトゥイプーチ白蛇パイシエ

どういたしましてプカーチィ

 スキンヘッドの頼れる副長が攻撃の残滓ざんしを湛えたまま応えた。しかしこの隙にアレクセイは再びベレッタを持ち直し、今にも鯨岡の急所に照準を合わせようとしていた。

 鯨岡は神速で銃の引き金を引いた。まるで雷の落ちるような音が、密閉性の高い室内に響き渡る。

 鯨岡が撃ったのはデザートイーグルだった。五〇口径の銃身から発射されたマグナム弾がアレクセイの左膝を貫通し、骨ごと破壊した。

「ずるいなぁ。隊長だけ実銃なんて」

「俺はうまいからいいんだ」

 激痛にうめくアレクセイに近づき、鯨岡は銃の照準を相手の額に合わせた。その隙に白蛇が人質女性の保護にあたる。アレクセイは気を失いそうな痛みの中でも自分の銃をとり落とさなかった。さすがは歴戦の猛者――と脳内で褒めつつ、鯨岡は敵のベレッタを蹴り飛ばした。

「麻酔を打ってやる」

 そう言って鯨岡は、デザートイーグルの銃口を相手の額に押しつける。

「やめてくださいよ、隊長。後片付けは私の仕事なんです」

「ここをケチャップパーティーにしたくなければ答えろ。糸居紘太はどこにいる」

 アレクセイは青白くなった顔でほほ笑む。

「それを教えたところでお前たちには計画を止められん。このミッションはすでにフィニッシュしている。止めたければロケットを対戦車ライフルで吹っ飛ばせ。この島をまるごと核汚染してお前たちの勝ちだ」

 アレクセイの顔は自信に満ちていた。それをハッタリではないと信じられるかどうかは顔に出る。鯨岡は本当に撃ってやろうかと思ったが、この島にはすでにツカサが来ているはずだ。里親が娘のいる場所で殺しをするのは教育上よくない。

「我らの信念はいかなる妨害にも屈しない! 陽の昇らぬ日はなくとも、いつか人類は――」

 うっせーな、と言わんばかりに鯨岡は発砲した。仕方なくグロックの方をである。至近距離から放たれた衝撃弾の威力は膝の痛みを上回り、アレクセイはあっけなく気絶した。

 白蛇が手際よく老兵の手首と足首をまとめ、粘着バンドを巻いていった。こちらも危機管理室の扱う〝商品〟で、特殊な薬液に浸さなければ決して解けず、ハサミやノコギリ、チェーンソーの刃さえも無効化するという逸品だった。

 間もなく白蛇に無線が入った。交信後に彼は意味ありげな笑顔で鯨岡に目配せした。

「わかった。下に降りるぞ。人質はしばらくここに残しておく。を見られるわけにはいかないからな」

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