第8章 アンプランド奪還計画

1.チーム

 静岡県御殿場市の郊外に位置する、とあるガレージハウス。天候に関わらず富士山の眺望を味わえるこの場所に、一台の4WDが到着する。そこにはすでに二台の車が停められていた。うち一台は黒塗りのアウディ。もう一台はどこのスーパーにも停まっているようなボックスタイプの軽ワゴンだ。

 4WDから降りた男は、やや頭髪の薄くなった中年の白人男性だった。小柄だが筋肉質の体型で、Tシャツから伸びた二の腕にはポリネシア伝統文様のタトゥーがあった。

 男は中古ディーラーの整備場を思わせる大型のガレージへと、シャッターの隙間を潜って入っていった。

「よう、まだおまえだけか?」

「久しぶりだな、マクレアン……」

 先に待っていたのはブロンドに染めた長髪を後頭部でローポニーに結わえた長身の男だった。彼もまた白人で典型的なアングロサクソンの風貌だった。マクレアンと呼ばれた頭髪の薄い男が、辺りをぐるりと見回しながらポニーテールのとなりに並んだ。

「ヘンリー、おまえ子供産まれたんだってな!」

 ポニーテールの男――ヘンリーが、バツの悪そうな顔ではにかんだ。

「なんだよその顔」

 マクレアンの言葉に、鼻の下をさすってごまかすヘンリー。

「それがさ、そのせいでってわけでもないんだけど……ヘマしちまって」

「ああ、なんとなく聞いてるよ。子供産んだばっかりのカミさんの横で、ボスのカミナリ食らったんだってな」

 マクレアンのからかいに対しても、ヘンリーは乗ってこなかった。相当に凹んでいるのが見て取れる。

「コフォーズは来ないんだってな。まだミッションの途中なんだと」

「それよりマック……これがなんの用事か聞いてるか?」

 マクレアンは肩をすくめる。

「ゴテンバに集合のときはだいたい訓練だろ。最近やってなかったからな。いつものサバゲか……マウント・フジでの高地行軍か――」

 するとガレージ奥のドアが開いて、迷彩服一式に身を包んだ色白の中国人――白蛇が現れた。

「ほらな。副長のお出ましだ。まぁ、抜き打ちの射撃訓練だろ。ベビーボケだって言われないようにしろよ」

「……それならいいんだけどさ……」

 白蛇はふたりの前を通りすぎて、彼らの斜め前方に立った。そして〝休め〟の姿勢で体を開き、奥のドアと彼らの間に見えない道を作る。

 マクレアンとヘンリーは、その瞬間にすべてを悟った。

「アテンション」

 中国人の静かな声に、ふたりは体幹に串を通されたかのような〝気をつけ〟をする。

「ボスがお見えだ」

 そして白蛇が潜ったのと同じドアから、迷彩服に身を包んだ鯨岡が姿を現した。

 完全な戦闘態勢。腰にぶら下げているのは紛れもなくデザートイーグル。対してヘンリーもマクレアンも、これからバーベキューにでも行くような軽装だった。武装した上官を前にしてまるで無防備な兵士ふたり。それはあり得ない状況と言える。

 いつしか両者の額から、玉粒のような汗が噴き出していた。

「急な事態だ。楽にしろ」

 ふたりは命じられるまま、手を後ろに組んで足を開く。しかし決してそれは休むための姿勢ではない。

「状況を説明する」

 白蛇が普段らしからぬ口調で言った。

「我々の監視対象である〝リトルフィッシュ〟が行方不明となり、二十四時間後に確保するも危険なインラインスケートを履いて逃走した。彼女は今、元同級生が参加するテログループの計画を阻止するため、和歌山方面へ南下中だ。我々の最優先事項は〝リトルフィッシュ〟の再確保、そしてテログループの作戦阻止である」

 ヘンリーたちはぽかんと口を開け、ミッションの再確認を要求しようか迷っていた。

 〝リトルフィッシュ〟は考えるまでもなく〝鯖城ツカサ〟を意味する暗号コードである。彼女が危険なインラインスケートで逃走? ツカサが大のスケート好きであることは、この場の誰にとっても常識なのだが……。

 テログループの存在がはっきりと語られたのも意外だった。とはいえコフォーズの現任務が、テロリストと接触する可能性のある密売人――通称〈ケーキ屋〉の追跡であったことを考えると、それらが意味を持ってつながってくる。

 マクレアンは、ツカサを見失ったというヘンリーがなにか事情を知っているか聞きたかったが、ボスである鯨岡を前にして視線をずらすことはできなかった。

「ヘンリー、こうなったのはおまえの責任だ」

 鯨岡がいつもの電子音声で追いつめる。

「イ、イエスサー!!」

「答えろ。ツカサとおまえの赤ん坊と、どちらが大事だ」

「ひえぇ……?」

 ヘンリーは引きつった声を出した。昨日、生まれて初めて我が子を抱いた父親にとって、それがどんなに残酷な質問かはいやというほどわかる。しかし迷っている時間そのものが鯨岡に対しての不敬だった。目の前の上官の、瞬きひとつしない視線が、まるで電気メスのようにヘンリーの瞳孔を焼いた。

「りょ、両方同じくらい大切であります!!」

 さすがのマクレアンも、これには驚いてヘンリーの方を向いた。正直すぎだろ、という眼差しである。

 鯨岡は一度横を向いて眼を伏せ、そして再び両者の方を向いた。

 ヘンリーは、自分の汗で溺れそうになっていた。

「それでいい。ヘンリー、おまえの子供が危機に陥ったとき、我々は命がけでそれを救うと約束する。だから今回はツカサのために命を張ってくれ。頼む」

 ヘンリーとマクレアンは今までの何よりも驚いた。いまだかつて鯨岡が「頼む」などと言ったことがあるだろうか。〈悪魔のデモニッシュホエール・ヴォイス〉の異名を持つ、伝説の紛争コーディネイターが――。

「これから敵の最終目的地に向かうことになる。おまえたちには悪いが、我々は私兵部隊ゆえにこの国の法律に極力則って行動することになる」

 白蛇がワゴンに乗せた銃器を運んできた。そこには三丁のグロックカスタムが並べて置いてある。いつも訓練と称したサバイバルゲームに使うエアガンだ。玩具の銃でテロリストと戦えと言われれば、やらなければならないのが兵卒の辛いところである。

「ただし弾丸は特別製を使用する。WOPの治安商品研究所アンチ・ライアット・ラボが開発した、六ミリ特殊ラテックス弾だ。外観はBB弾と変わらないが、命中すると内部の液状ゴムが振動して強力な衝撃波を発生させる。頭部に命中すると敵の脳を揺らし、昏倒させることが可能だ。その隙に捕縛しろ」

 白蛇は大型のガラス瓶に入った大量のBB弾をワゴンの上に置いた。ヘンリーとマクレアンが顔を見合わせる。

「どちらかで実験しますか?」

 白蛇の提案に、ふたりはぶんぶんと首を振った。

「コフォーズも同装備で現地合流する。ただしヤツは狙撃用の得物だがな」

 ヘンリーとマクレアンが戦闘用の装備に着替えていると、鯨岡が近寄ってきてヘンリーに尋ねた。

「性別はどっちだったんだ?」

 ヘンリーはその質問の意味をすぐに察した。手を止めずに顔を上げ、

「あ、はい、女の子です! おかげさまで母子ともに健康です」

 すると鯨岡は深いため息をつきつつ、ひとこと残して白蛇の元に戻っていった。

「……手がかかるぞ」

 ヘンリーは苦笑することしかできなかった。



 この一時間ほど前のことだ。

 鯨岡はヘンリーとマクレアンに招集をかけつつ、御殿場の訓練施設に急行する途中だった。

 すぐにツカサを追わなければならないのは当然だが、そのためにはテロリストの行動について確信的な情報が必要だった。しかもツカサはGPSつきのスマホを車内に置いていってしまったのだ。闇雲に探すより、拠点で情報を整理しなければ。

 焦る鯨岡の元に電話がかかってきたのはそんなときだった。

 二つ折りの携帯電話に流れるふざけたメロディ。登録した覚えのない曲に、液晶表示された電話番号は「177」。この国では公営の天気予報に割り当てられている短縮番号だ。

 当たり前のことだが、天気予報が向こうから電話をかけてくることはない。

 鯨岡の直感が、これには出るべきだと告げていた。多くの諜報活動で、似たような悪戯いたずらまがいの情報リークを経験したことがあるからだ。

「誰だ」

 鯨岡の人工声帯は、時間と共にその機能を取り戻していた。いつも通りのしわがれ声。対する相手は澄んだ声をした女性のアナウンサーだった。

 アナウンサーは、ある地域のピンポイントな天気情報を繰り返し報告した。日付は今日。それは普通の天気予報サービスの一部を切り抜いただけの内容だった。しばらく耳を当てていたが、それ以上の変化はない。

「誰からです?」

 白蛇の声を聞いて、鯨岡は電話を切った。鯨岡は頭をフル回転させてこの電話の意味を捉えようとした。強固なセキュリティのかかった自分の携帯電話に、ジャックした番号通知で電話をかけてきた奴がいるのは間違いない。ちなみに天気の内容は「快晴」で、北西の風、風速二メートル。

「鯨岡さん、音楽の趣味変わりました?」

 白蛇は先ほど奏でられた聞き慣れない着信音のことを言っているのだろう。鯨岡が説明しようとすると、彼は先に言った。

「エルトン=ジョンですよね。実はわたしも好きなんです」

 鯨岡は目を丸くする。そして歯を強く食いしばった。

 ――ふざけるなよ。こんなことをするのはヤツしかいない。

「車輌課に連絡してヘリの予約を取ってくれ。なるべく足の速い機体を」

 鯨岡は白蛇に指示すると、腕を組んで革のシートに体重を預けた。

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