第6章 ドメスティック危機管理

1.追手

 スーザは自分のデスクで仕事をこなしながら、何度か深くため息をついた。

 我ながらあくどい。いたいけな未成年を騙すようなことを自分はしている。

 スーザの机の上には、自分が普段使っているメインのスマホが置いてあった。実はそのスマホは、ツカサに渡した会社用のスマートフォンと同期処理が施されている。ツカサがどこに行き、それでどこに連絡し、なにを検索したのかなどの情報は、逐一スーザの端末にも記録されるのだ。

 その目的は、間接的にではあるが〝クサナギ〟を監視することにあった。あの小さな知性体が持つポテンシャルは知的好奇心を刺激するに余りあるものだし、逆にどんな危険性があるのかということにも興味があった。それとコンビを組むことでツカサがどこまでやれるのか、純粋に応援したい気持ちもあった。もちろん危険な状態になったとき、すぐに助け船を出せるというメリットもある。

 はっきり言って、〈クシナダ〉を失った今、その後釜であるAIに執着してしまっている自分は否めない。

 スーザはクサナギが充電している間に細部をスキャンした記録を反芻はんすうしているところだった。あのときスーザに語りかけた〝疑似クシナダ〟は、そのスキャニング作業を妨害することはなかった。甘い考えだが、それはまるでクシナダが自分の子供を見せにきたようにも思えて、スーザはどことなく嬉しかった。チビ助の口がとんでもなく悪いのも許す気になるというものだ。

 クサナギの走行機能には目を見張るものがある。あの車輪には最初から金属ベアリングが仕込んであるのだが、それがなんと超電導性を備えた微小コイルと化していた。言うまでもなく超電導には極低温が必要だ。しかしツカサの足にはしもやけすらない。あのなんでもないインラインスケートは、常温による超電導化に成功しているということだ。

 リニアモーターカーは通常、電磁石による磁力の吸引と反発を利用して高速走行するものだが、クサナギの場合、どういうからくりかはわからないが、超電導による無尽蔵の電流を分子間引力――つまりはファンデルワールス力に転換して地面との吸着、反発を可能としている。もっと端的に言えば、車輪が地面をこする摩擦の力を自在にコントロールし、地面に吸い付く、滑るように引き剥がす、という一連の作用を超高速で繰り返すことによって、とんでもないスピードでの移動を可能としているのだ。

 しかしその運動のためにはそれなりの制限もある。最適な摩擦力を生み出すためのウエイト限界――つまりツカサの体重にあたるものが六五キロを超えてはならないのだ。果たしてこの機能は、少女が操るスケートだったからこそ発現したのか、それとも〈リニミュー〉のための制約に、たまたまツカサが合致していたのか。なんとなく運命的なものをスーザは考えずにいられなかった。

 スーザは自販機で買ったドリップコーヒーを飲みながら、次の項目に目を移した。

 だがこちらはさらに謎が深い。それは、クサナギがアクセスしているネット情報への自在さ――まるで鍵も鍵穴も不要だと思わせる〝覗き見〟の能力に関してだった。

「ここにいたのか先生」

 背筋の凍るような声でそう言ったのは、先ほどここに到着した鯨岡大だった。その背後には、お付きの不気味な中国人も一緒である。いや、人格と国籍を結びつけるのは日本人の悪いクセだ。お付きの不気味なスキンヘッド野郎も一緒だと、スーザは心の中で言い直した。

「ツカサちゃんの手がかりはありませんね」

 こちらもオカマのような気持ち悪い声だとスーザは思った。確か白蛇とかいう名前の男だ。絶対本名じゃないと思うけど。

「本当に知らない間に出て行ったのか?」

 鯨岡が近づいてくる。ただ歩くだけで威圧感を垂れ流しにしているような男だった。もしかしたらツカサちゃんはこの男からひどいことを――そんな想像をさせてしまうほどに凶悪なつらをしている。

「それより聞きたいんだけど」

 スーザも負けじと威圧感を出す。しかし鷹と雀ほどに頼りなさが引き立った。

「あなた、本当にツカサちゃんの保護者なの?」

「……そうだが」

 鯨岡は不機嫌そうな顔をした。

「でもあの子、あなたのことを児童指導員だって言ってたわよ。いつの間に部署替えしたのかしら、〝極東方面危機管理室長〟さん?」

 ねっとりいやみったらしく言ってやったが、鯨岡はまるで動じない。本当に日本語が通じているのかと思うこともあるが、この男はいつもこんな感じなのだ。

「掛け持ちしてるだけだ。気にするな」

「児童指導員って、普通は地方公務員でしょ。公務員は副業禁止なんだけど」

「民間の指導員だ。WOPがそう名乗らせてるだけで法的な資格はない」

 スーザは苦笑いした。手慣れた言い訳にしか聞こえなかったからだ。

「あんたはまだ〈クシナダ〉の件を逆恨みしているのか? あれは本部の決定であって俺はなにも関与していないと言ったはずだぞ」

「でもここに出入りしてチクったのはあんたでしょ」

「報告の義務があることを報告しただけだ。〈クシナダ〉の危険性について最初に話したのはあなたの方だぞ、ドクター」

 そう言われるとスーザにも悔しさがにじむ。確かにスーザは〈クシナダ〉の成長における問題点を指摘していたし、報告書にもまとめていた。しかしそれが運用試験の中止を――自分の職を失うことになるとわかっていたら、少しは方法を変えたはずだ。

 そう、かつて鯨岡は定期的にこの研究所を訪れていた。先進的、画期的な発明や技術が、地域や国の危機管理について影響を与えないかどうかチェックするのが彼らの仕事なのだから。

「ツカサちゃんを育てるのも、危機管理の一環なの?」

「そういう言い方はよくないな、先生」

 鯨岡がスーザに向かって身を乗り出す。そのまま殺されちゃうんじゃないかというくらい怖かった。

「ツカサちゃんのこと、虐待してるんじゃないでしょうね」

「あいつが……そう言ったのか?」

 鯨岡の顔に明らかな動揺が見えた。でもそれは図星を指されたような感じではなく、ショックで戸惑った雰囲気だった。彼がそんな顔をすることがスーザにとっては驚きだった。

「言ってないわよ。言ってないけど、すっごくおっかないって言ってた」

 奥で白蛇がククク、と笑う。それはそれで気持ち悪い。

「まぁいいわ。ちょっとこっちきてこれ見てくれる? あんたたちこういうの詳しいでしょ」

 手招きすると素直にふたりが近づいてくる。スーザはモニターを回転させてデスクの脇にいる彼らに見せた。

「さっき言ったクサナギのこと、覚えてる?」

 白蛇が深く頷いた。

「ああ、ツカサちゃんが時速二〇〇キロで走れる秘密ですね。まさかここの〈クシナダ〉がそんな風に生まれ変わってるなんて」

「道理で追いつけなかったはずだ」

「そ。でもってそのクサナギがね、ちょっと変わった方法でネットにアクセスしてるのよ。潜入してるルートは至って普通のアクセスポイントなんだけど、そこにはもちろん暗号化された鍵がかかってるわけ。そいつは何十桁もある素数の積で――」

 鯨岡が明らかに眠そうな顔になった。そうそう、こいつはテクノロジー音痴だったとスーザは思い出して愉快になる。

「その暗号を解くにはさすがのスパコンでも秒単位じゃ無理。でもクサナギは平気で情報を引き出してるの。ウェブだけじゃなくて、携帯電話の通話記録まで」

 その瞬間、ふたりの顔が同時に曇った。あまりの反応の良さにスーザは不安になる。いまなにかまずいこと言ったっけ――。

「そのネットにどこからアクセスしてるかわかるか」

 鯨岡が俄然乗り気になった。これはスーザにとっては意外な展開だった。難しいことを言って時間稼ぎをし、ツカサを遠くに逃がそうと思ってただけなのに。

「えっと、IPはこことここ、なんだけど、ちょっと変なのね。まるでWWWって感じがしなくて。こんな階層構造で網羅されたネットワークなんて、どこのホストサーバでも見たこと……」

 ふたりはだんだんスーザの言うことを無視して、こそこそ妙なことを話し合っている。しまいにはマウスを白蛇に取られてしまった。

「場所ならわたしもさっき調べたわよ。でもグーグルマップが空白になってるの、なぜかそこだけ」

 白蛇と鯨岡が顔を見合わせた。スーザは完全に蚊帳の外だ。

「青森の三沢ですね……。やばいものを見てしまいました」

「こっちは港区元麻布か。この番地は確かにやばい」

 いい歳したおっさんがやばいやばいと中学生の感想を連呼しているのははっきり言って異様だった。

「なにがやばいの?」

 鯨岡は鋭い視線をスーザに向けた。まるで犯人にされているようでびくりとした。

「こいつは〈エシュロン〉だ。そしてもうひとつは中国大使館」

「大使館の方はまだ試験段階なはずなんですけどね。諜報活動に関わる情報集積サーバーがここの地下にあると言われてるんです」

 スーザにはまったく話が読めなかった。だからなんなの、という感じである。

「これらは大規模な通信傍受ネットワークなんだよ。要するに、各国のスパイ機関が利用する盗聴システムだ」

 鯨岡の発言を聞いて、スーザは持っていたペンを床に落とした。

「と、盗聴? それ、都市伝説じゃない方のやつ?」

「存在自体は公然の秘密になってるがな……。彼らはインターネットだけじゃなく、あらゆる電子情報のバックドアを持ってる。政府が国民に伏せたまま提供する形でな。ここから盗めばなんでも筒抜けだ。有線無線関係なく、総理大臣が愛人にかけた電話も聞ける」

「……は、はは……」

 そのとき、空を通過するヘリコプターのプロペラ音が聞こえた。なぜかその音に鯨岡が過剰反応した。

「この通信が最後に行われてからどれくらい経ってる?」

「え、二時間くらい……かしら」

「ならもう安全か……。まぁ、こんな恐ろしいところにアクセスして無事ということは、完璧にスパイの仲間になりすませる技術を持っているということだな、その〝クサモチ〟とかいうヤツは」

 クサナギ……なのだが、スーザはとても訂正する気にはなれなかった。

「知らずに使っているのかどうかはわかりませんが、バレれば間違いなく外事案件になります。早くツカサちゃんを見つけないと」

「どうしてそんなヤツと行かせたんだ、先生!!」

 鯨岡の怒声に身がすくむ。しかしそれは怒りにまかせた怒鳴り声ではなかった。震える両の拳を大きく開いて、鯨岡はスーザのデスクにどしん、と置いた。

「なにか知っているなら教えてくれ。この通りだ!」

 声量過多で割れた電子音声。それは不器用な意思表示だった。

 スーザは片手に握っていたスマホに目を落とした。それは手のひらの汗でぐっしょりと濡れていた。

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