3.盗聴

「クシナダぁ? なんだそりゃ」

 それがスーザの質問に対するクサナギの第一声だった。

「あぁ、もちろん概要は知ってるぜ。WOPのスーパーコンピューターだろ。ウィキペディアにも書いてある」

 だがそれこそが自分の母体であることに、クサナギ自身が戸惑っているようだった。

「ざけんなよ、そいつがオレのベースになったAIだってのは否定しねぇがな、母親みたいに懐かしがれっていうのは完全にイヤだね。オレはオレ自身の個体で完結した知性なんだ。親子関係だの家族の絆だのは遺伝子の隷属れいぞくだ。気持ち悪いし原始的なんだよ」

 せっかく自身のルーツがわかったというのに、クサナギの言い方にはロマンのかけらもない。しかしツカサにはその気持ちが少しだけわかる。

 仮にいま、ツカサの前に自分を産んだ母親が現れたらどうだろう。泣いて抱きつくのではなく、クサナギのように全力で拒否してしまいそうな自分がいる。それを空想するだけで困惑してしまうのは、遺伝子のレイゾクというやつなのだろうか。

「じゃああなたは、クシナダの意志や情報はなにも受け継いでいないのね?」

「うっせーな。なーんにも憶えてねーよ。オレの代わりに出てきたっていう人格のこともな。おまえ、自分の手違いでマシンぶっ壊しといて、その尻ぬぐいをオレにさせようってんじゃねーだろうな!」

 さすがのスーザも目尻が引きつってきた。ツカサはまたも必死で謝りながら、クサナギの靴紐を引っ張っていさめた。

「まぁ、それならそれで好都合だわ。万が一〝あの子〟の感性を引き継いでるのだとしたら……あ、んと、なんでもないけどね」

 スーザは言葉を濁しながら席を立った。

 ツカサとクサナギ、そして彼女は再び食堂に戻ってきてちょっとしたグリーティングをしていたのだった。その中でスーザはクサナギから〈リニミュー〉の詳しい仕組みや、彼が無制限にネットに接続するための機能について聞き出していた。もちろん、そういった会話のほとんどが、ツカサには意味不明だった。

 そしてスーザがクサナギの母とも言えるクシナダについて、なにか憶えていることがないかを訊ねたとき、こういった展開になってしまったのだ。

 スーザは考え事をするように顎を掻いたあと、ポンとなにかを思いだした様子で白衣から自分のスマホを取り出し、そっとツカサに手渡した。

「はい?」

「なんだくれるのか」

 クサナギもきょとんとしている。

「違うわよ。あなたの保護者に電話しなさい。ここでクサナギくんのことを調べてみたいのも山々だけどね、まずはあなたを家に帰さないと」

 ツカサはスマートフォンを手に持ったまま、ぷるぷると震えた。

「や、やだ! あたしがこんなことしてるって鯨岡さんに知れたら……」

「えっ、誰って?」

 スーザが妙に食いついた。

「鯨岡さん。あたしを担当してる児童指導員の人。めっちゃくちゃ怖いの」

 ツカサは上目遣いで瞳を潤ませながらスーザを見つめた。オジラには悪いと思ったが、必要以上に怯えた仕草をすることで許してくれないかと思ったのだ。実はこれは養護院で多くの子供が使うテクニックでもある。

 一方スーザは神妙な面持ちでしきりに視線を泳がせていた。

「それ……もしかして鯨岡まさるっていう人? その人、喉の手術で人工音声になってない?」

「はぇ?」

 ツカサは自分でも笑ってしまうような声で返事をした。そして同時に背筋が寒くなった。

 間違いなくスーザは鯨岡のことを知っているのだ。あの珍しい名前でヘンテコな声の人間なんて、日本でふたりといるはずがない。

「……」

 しばらくの沈黙が実に不愉快だった。スーザが仮に鯨岡と知り合いだったら、ツカサがなにもしなくても連絡を取るのは簡単なはずだ。そうなったら紘太の捜索どころではない。

 そのとき、足元のクサナギが不意にツカサの脛を突っついた。

「なによ」

「はぁ~~? なんでおまえこんなときに小便なんだよ!」

 ツカサはあんぐりと口を開ける。クサナギがなにかの拍子で壊れたかと思った。

「おトイレ? そこ出て右よ。暗いけど歩くとライトが点くようになってるから」

「え?」

「おい、便所ぐらいひとりで行けよ。はぁ? なんでオレがついて行かなきゃいけねぇんだよ!」

「やだ、ちょっと、クサナギ?」

『察しろ。話がある』

 その特殊な音波は、意図的にツカサの骨盤に刺激を与えた。ツカサは思わず身震いして、両脇をぎゅっと締めた。

「だ、だいじょうぶ? 我慢しないで行ってらっしゃい」

 スーザも思わず苦笑している。

『カバンを忘れるな』

 ツカサはちらりとスーザの方を見た。彼女はなにか思いついたことがあるらしく、眼を閉じてずっと思索にふけっていた。それがチャンスとばかりに、ツカサはとりあえずクサナギの言うとおりに動くことにした。

 ツカサのデイパックは少し離れたところにあったが、慌てるふりをしてそこまで移動し、さっと掴んだ。そしてスーザが不自然な行動に気づくより早く食堂をあとにした。



 食堂と同じフロアにある女子トイレの個室内で、ツカサはクサナギを装着した。彼がそうしろと言ったからだ。これでしっかりと骨伝導の会話ができる。

『おまえ、ここにいたら東京に連れ戻されるぞ。糸居紘太のことはどうするんだ』

 ツカサは複雑な表情で頷いた。決して紘太のことを忘れていたわけではない。あまりにいろいろなことが起こりすぎて情報が整理できていなかっただけだ。それに文字通り紘太の居所を突き止める〝糸〟は切れてしまっていた。

『もしオレが、糸居紘太の手がかりを掴んでいたと知ったら、後を追う気はあるか?』

 それは挑発的な言葉だった。クサナギは――行きたいのだ。そしてクサナギは知っているのだ。ツカサはこの人工知能が自信を見せたときの切れ味の鋭さを知っている。

「糸居くん、どこにいるの?」

『名古屋だ』

 さすがのツカサも呆れてしまった。どんどん遠くなるじゃないか。

「ま、松本じゃなくて?」

『松本では仲間と合流する計画だったらしい。そして名古屋でなにかブツを手に入れるつもりだ。糸居紘太はその計画に荷担している』

 ツカサは眼をぱちくりさせて聞き返した。

「いま、なんて言った?」

『糸居紘太は犯行グループの仲間なんだよ! これは拉致でも誘拐でもなく、やはり家出だったのさ。やつはピストルを持った外国人となにかを企み、実行しようとしている』

 呆然として我を失ったツカサだったが、慌ててクサナギを問いただした。

「ちょっと、そんな情報どこで調べたの?」

『充電中にだ。そのクシナダとかいう人格のことはマジでわかんねぇがな、オレはオレで意識があって、自由に情報を検索できたんだよ。で、ここの莫大な電力を使って今までは不可能だった――あぁいや、おまえに説明しても無駄だったな。とにかく、連中が携帯電話でやりとりしてる内容を手に入れられたんだ』

「と、盗聴ってこと?」

『悪事の盗聴は正義なんだよ』

 相変わらずとんでもない倫理観のヤツだ。しかしツカサはクサナギの情報を聞いてしまった。知ってしまった以上、それはツカサの中で意味を持って息づきはじめる。聞いたもんはしょうがないの精神だ。

「でも、信じられない。糸居くんまだ高校生なんだよ?」

 それがツカサの本心だった。ツカサもまだ子供なように、紘太もまだ子供なはずだ。そんな簡単な理屈から、ツカサは納得できなかった。

『さっきの端末を貸せ。そう、そのスマホだ』

 ツカサはちゃっかりスーザのスマホを持ってきてしまっていた。それを足元に降ろすと、クサナギは今朝の糸居邸でのように紐の先端をスマホのケーブル口に差し込んだ。

『奴らを追いつめたとき、フラッシュを焚かれたよな。その直前にオレが撮った画像だ』

 あのとき一瞬のチャンスでクサナギは写真を撮っていたのだ。その抜け目のなさにツカサは感心する。

 だが、画像を見た瞬間、なにも言えなくなった。

 ピストルに弾を込めるヒゲの濃い外国人の横で、糸居紘太がスマホを掲げて立っていた。暗闇の中で映した画像は緑がかったモノクロで、お世辞にも画質はよくなかった。しかしその少年の顔は、ツカサの記憶にダイレクトに紐付けされていた。

 あのフラッシュを光らせたのは、他でもない紘太だったのだ。

『共犯だろ。オレたちの追跡を邪魔したんだからな』

 クサナギの言うことはもっともだ。それ以外の可能性をひねり出しても、そんなのはすべて屁理屈になる。それくらい説得力のある材料だった。

「な、なんで……」

『奴らの計画はまだわからねぇ。だけどな、反社会的なグループであるのは間違いない。なんせ鉄砲ピストル持ってるし。糸居紘太が自分から窓を開けたのが気にはなってたんだ。ああやって失踪したら警察も家出を疑う。そして適当に防犯カメラをチェックしても見つからない。家出したガキ相手に、普通はリレー・ストーキングなんてしねーだろうしな』

 ツカサはまだ心の整理がつかなかった。自分もまた、人工知能のように次々と情報を処理できたらいいのに。

『行くならすぐにここを出ろ。大丈夫だ。オレはすでにここのセキュリティを支配済みだ。ロックも開けられるし、停電にして警備の目も眩ませられるぜ』

「で、でもこのケイタイを返さないと……」

『持ってきゃいいだろ。おまえ確かスマホ落としてたんだよな。これないと不便だぜ』

 確かにそうだ。この時代に携帯電話を失えば、暗闇に取り残されたような不安を感じるものだ。さっきそれをいやというほど味わった。

 しかし、食事をごちそうしてくれた、命の恩人とも言える人の持ち物を奪って逃げ出すなんて、許されることなのだろうか。完全に泥棒の所業じゃないか。

 ツカサは逡巡に逡巡を重ねた。しかし迷うということは「できない」ということに他ならなかった。

「ツカサちゃん、大丈夫?」

 いきなりノックの音と共にスーザの声が聞こえた。驚きに罪悪感が重なり悲鳴が漏れる。

「え、あの、大丈夫です」

 嘘をつけない気持ちで声が震えた。

『なんとかごまかせよ。これを乗り越えねぇと脱出は厳し……』

 そのとき、ガタン、と大きな物音がした。

「なーにしてるのかな、パンツも下げないでー」

「ひいっ!!」

 スーザがトイレのドアの上から身を乗り出し、こちらをじっと見つめていた。まるでいじめっ子の小学生がやるような行為を、いい歳をしたスーパーコンピューターの権威がやっている。

 あまりのショックにツカサは全身が硬直してしまった。ヘビに睨まれたなんとやら、の気分。

「お芝居がわざとらしいのよあんたたち。おかしなこと企んでるのがバレバレですからね~」



「言ったでしょ、あたしもそれなりにしたって。あんたらみたいな連中の考えることはだいたいわかるの」

 ツカサは個室を出て、洗面所でスーザに問いつめられた。しかし彼女もクサナギの入れ知恵だと気づいていたのか、あまり強い口調では責めない。

 ツカサは正直に紘太の件について白状した。行方不明の同級生を追ってここまできたこと。その行方をクサナギが突き止めたこと。しかし犯人グループの存在や紘太の犯罪荷担疑惑については決して口にしなかった。

 それに対して、彼女の放った言葉は意外なものだった。

「いいわ、見逃してあげる。そのかわり気をつけてね」

「本当に……?」

 スーザは腕を組んで仕方なさそうにため息をついた。

「帰りたいなら帰ればいいし、帰りたくなければ行けばいいのよ。あなたは確かに未成年だけど、同時に独立事業主でもあるでしょ。自分の道は自分で決められるわよね」

 ツカサはその言葉に救われた。理解者というのは、こういう人間のことをいうのかも知れないと思った。

「早くしないと人が来るわよ。停電の件は本社に連絡が行ってるだろうし、守衛さんはあなたの顔も見てるんだから。問い合わせられたら一発よ」

「あの、これすいませんでした」

 まだ盗ってはいないものの、申し訳ない気持ちでツカサはスマホを差し出した。ちなみに紘太の写真はちゃっかり消してある。

「それも持って行きなさい。なくしたんでしょ、ケイタイ」

 ツカサはぽかんと口を開けた。

「いいんですか?」

「どうせそれ会社用のやつだしね。わたしは別にもう一個持ってるから気にしないで」

 ツカサは安心した様子で頷くと、スマホを腰のホルスターに入れた。

「クサナギ、ツカサちゃんを護るのよ。あなたは賢いんだから簡単にできるでしょ」

「オレがぁ? ま、まぁ子守りが必要ならやってやらんでもないけどな……」

 おだてにとことん弱いクサナギがその気になっている。ツカサはくすりと吹き出した。

「あと、鯨岡っていう人を信用しちゃダメよ。あれは裏がある人間だから……」

「え……」

 スーザはどこか遠い目で言った。その声に迫力があったので、ツカサは無闇に聞き返せなかった。そこへクサナギがすかさず口を開く。

「ツカサ、このババアなかなか使えるヤツだな」

 感動の別れが台無しである。ツカサが慌てて謝ろうとした刹那――。

 スーザがガバッと足を拡げて腰を下ろした。そして顎を突き出しながらクサナギを斜め上から睨みつける。この典型的なスタイルは――。

「あぁ? ナメた口きいてると分解すんぞゴルァ!」

 狭いトイレにドスのきいた声がエコーした。

「いや、あの、サーセン……」

 ツカサはクサナギが素直に謝るのを初めて聞いた。そしてスーザが口にした〝苦労〟の種類がなんとなくわかった気がした。

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