高速探偵ツカサ ~パラドキシカル人工相棒~

フジシュウジ

プロローグ

ファイナル・シャットダウン

 壁の中を流れる冷却液が勢いを増し、建物に設置されたあらゆるファンが轟音をあげた。それはひとつの〝生命〟が苦しみに呻く音でもあった。

 八代井やしろいスーザはこの状況を、メルトダウン寸前の原子力発電所のように感じていた。暴走する炉心に対し、冷却が追いつかない。いくら手を尽くそうとも、発生したエネルギーの総量が、人間のできるあらゆる対応を遙かに超えて大きすぎる。

 ただし少なくともこの場所では、最悪の状況において人命が危険に晒されることはない。その事実がスーザには悔しかった。「命がけでやれ」と言ったところで、本気にならなくても死ぬことがない。そしてそれが、最善を尽くしているはずの職員に対してのやりきれない苛立ちへとつながっている。

 スーザは誰もいない廊下で壁に思いっきりヒールを叩きつけた。白い壁材に小さな穴を開けたあと、つかつかと施設の中枢に向かった。

 外部観覧者用の見学バルコニー。そこはサウナのようだった。すべての電力をシステム冷却と莫大な計算に回しているため、空調が停止しているのだ。ぶ厚いガラスの向こうには、今まさに〝事態〟が進行している巨大な生命体がひとつ、低いうなり声を上げている。ここはそれが発する高熱を感じられる場所だった。

 八基の中央演算ユニットを中心に、三十六ものサブユニットがとぐろを巻くように設置されたこの装置は、その姿から当初〈オロチ〉と呼ばれていた。しかしスーザが主任になって以来、その無骨な名前は却下され、ニックネームを〈クシナダ〉へと変えた。

 実際〝彼女〟は落ち着いた女性の声でコミュニケーションを取り、人間への敬意と気遣いを忘れないレディだった。スーザは彼女に対する礼儀と期待から、この国の神話に名高い女神の名を与えたのだった。

『主任、システムの損害率が六〇%を突破しました。メインフレームがもうないんです。こちらが打ち込んだサブルーチンも片っ端から喰われてる状態で……』

「だったらあなたのチームもデータの遠隔保存に回って! そこで自転車漕いでてもしょうがないでしょ!」

 あちらもほとんど冷房が効いていないので苦しいはずだ。インカムを通して聞こえてきたスタッフの息は切れ切れだった。たぶんこの状況が好転することはないだろう。スーザはすでに方針を切り替えていた。だからこそ、あの地獄のような演算室コントロールルームにこもっていることが耐えられなくなったのだ。

『すいません、主任。あの、変なんですが、〈クシナダ〉が数秒前に変なコマンドを』

「……変? 変ってなにが!?」

 スーザは子供の頃からロボットもののテレビアニメが好きだった。格好いいメカに乗って敵を倒すのも爽快だったが、スーザが憧れたのは機敏に指示を飛ばし、どんな状況も乗り切ってみせる女性艦長だった。この研究所に赴任したとき、チームを〝船〟に見立てて檄を飛ばしたことをおぼえている。一般人が聞いたらその〝フネ〟は巨大な貨物船か大型客船のことを連想するだろうが、オタクの多いこの施設では、みんなスーザの前提としているものが一撃必殺のビームを放つ宇宙戦艦だとわかったはずだ。

 ところがどうだろう。

 慌てて戻った演算室では、全員がデスクトップPCの前で狂ったようにキーボードを叩いていた。何時間ものタイピングでミスが続出し、あちこちでぴーぴーアラートが鳴っている。額の汗を拭く間に損壊グラフは大恐慌の下落を見せる。泣きながら作業しているやつもいた。こりゃダメだ、とスーザは頭を抱えるしかなかった。

「川崎くん、変なのってどれ?」

「あ、はい。ここです。サブモニターにキャプが」

「は……」

 スーザは言葉を失った。

「キャ、キャプがじゃないでしょ! なにこれ、全削除コマンドでしょこれ! 即座に否決しなさいよ!!」

「す、すいません。でも見間違いかエラーかもしれないんで、主任に見てもらおうと思って……」

「……」

 宇宙戦艦なら艦長がいてもいなくてもその艦は吹っ飛んでいた。彼のモニターに表示されたごく短いコードログ、それは――〈クシナダ〉自身が自らのデータ保存を放棄して自己シャットダウンしたことを意味していた。

 侵入したウイルスによって、残された虫食いだらけのフレームは跡形もなく崩壊していく。核とも言える〝彼女〟の自我は、それが意味を失い滅びてしまう前に、安楽死とも言える終末を望んだのだった。

 誇り高き女神は自刃したのだ。じつに〝人間〟くさい最期と言える。

 もうこの施設に彼女はいない。スーザはチームに手を止めるよう指示した。何人かはそれでも必死に作業を進めた。そういうやつに限って泣いている。

「はい、ミッション終了~。みんなお疲れ様。負けたけどね、カンペキに……」

 スーザは首にかけたタオルで汗を拭いて、自分のデスクの椅子に腰を沈めた。湿気に濡れた革が背中に張りついてこの上なく不快だった。PCの画面は暗転し、「再起動しますか」を意味するコマンドが点滅していた。

 スーザは迷わず「イエス」を選択した。

 ピーッ、〝システムが存在しません〟

 スーザは半笑いの顔を引きつらせた。

「だったら聞くなよ……」



 WOP先進理工学研究所――スーザたちが必死で〝事態〟に対応している間に、無人の工場区域では静かに工作機械が稼働していた。

 「工場」などという大それた名前がついてはいるものの、その中枢たるシステムはオートマチック化された万能の3Dプリンターである。分子加熱による微細な金属粒子の吹きつけにより、鉄やアルミのような融点の高い物質でさえ粘土のように成形が可能なこの機械は、ある命令オーダーを受信し設計図もなしにひとつの物体を作り上げようとしていた。

 〝それ〟を目撃した人間はいなかったが、見たならば形容には困るに違いなかった。例えるならUSBメモリ程度の板状の金属に、六本の肢のついたクモに似たユニットだ。

 神の作りたもうた昆虫むし。それは虫に似つかわしく、合理的な行動しかできない。

 本能のままに――あるいは、『そこから逃げよ』という原始的な命令のままに、機械の昆虫は壁を素早く這い上がり、エアコンの隙間から施設外に至る道を探った。

 工場区域の不自然な電圧上昇と諸材料の減少にスーザたちが気づくのは、これよりずっと後のことだった。

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