1-2 あるいは犯罪者


 日付も変わるころ三十三番通りにサイレンが鳴り響いた。すでに通行止めにあたっていた巡査は、遅れて駆けつけた七十七番パトカーにさっと姿勢を正す。巡査の敬礼と同時にパトカーの窓が下がり、運転席の男が警察手帳を出した。警察手帳には刑事局特殊捜査部侵入罪捜査隊バートン警部とある。刑事局特殊捜査部侵入罪捜査隊——噂のBIUだ。

「お勤めご苦労様です!」

 聞いていた通りの七十七番パトカーに胸が高揚する。この目で見たのは初めてだ。

 助手席には陽気な笑みを浮かべた男が座っている。その男が同期のグッドマン巡査であることに気付いて巡査は目を丸くした。そういえば人事異動でBIU所属になったのだったと思い出す。グッドマン巡査は目が合うと人好きのする笑顔を浮かべて手を上げた。市警察の一員としては軽薄だが、嫌味がないのはある種の才能だ。

「上司には連絡済だ。引き続き道路封鎖にあたるように」

「はっ!」

 同期との再会をバートン警部が遮った。笑顔一つ浮かべない凛々しい横顔は、仕事一筋といった様子である。七十七番パトカーはサイレンを消すと、K&K本社ビルの前に並んだパトカーの隣に停車した。

 すでに取り調べを開始していた刑事は、突然K&K本社ビルのエントランスを抜けてきた二人組に眉をひそめた。すこし中年太りが見られるものの体格がいいバートン警部と、鍛え上げた理想的な体に軽薄な笑顔を浮かべたグッドマン巡査。見覚えのない二人だったがその腕章に記載されたBIUの文字に目を剥く。あのBIUだ。

「バートン警部、さっきからめっちゃ驚かれてますよ」

 刑事の反応が面白かったのか、グッドマン巡査は笑った。発砲現場でこの軽薄さはいかがなものか。バートン警部はBIUの新人への小言をぐっと飲み込む。

「それは君もだろう。言っておくがどこの現場でも似たようなものだぞグッドマン君」

「まじすか。やっぱBIUって特殊なんすね」

 分かっているのやらいないのやらグッドマン巡査は頭の後ろで腕を組む。BIUとしての初仕事にしては戸惑いが少ない。

 K&K本社ビル入口付近で現場責任者に声をかけると、彼はBIUの腕章をちらりと見て渋い顔をした。

「すまんが、あんたらの出番はないみたいだ」

「え、どういうことっすか?」

「もう解決しそうでね。無駄足になって申し訳ない」

 現場責任者の刑事は心から言っているようで、厄介払いではないらしい。

「いやいやそんなわけないでしょ」

 すぐさまグッドマン巡査が反応する。すぐ側にエントランスの警備室があり、警備員への聴取を行っている最中である。そもそも通報はK&K本社ビルへの不法侵入に対してなされたものだった。通報後に発砲事件が起きたのだから、明らかにするべきことは山積みだ。

 二人は状況確認のため、警備員への聴取に加わった。エントランスを担当していた警備員は白髪交じりの男である。K&K本社ビルは警備をセキュリティ会社に委託しており、彼もその一員だった。

「それが、べつに誰も侵入してないみたいなんだよねえ」

 困惑した顔の警備員は、すでに何度も繰り返した回答をバートン警部の前でも再現した。首を傾げて、モニターに映した映像をバートン警部にも分かるように説明する。

「監視カメラに不審な影は見当たらないよ」

「……ほんとだ。じゃあなんで不法侵入の通報があったんすかね」

 グッドマン巡査はバートン警部に問いかけた。何でもかんでも聞く姿勢は素直な性格ゆえだと好意的に受け止める。

「通報はセキュリティ会社経由だったな」

「は、はいっ。ですが侵入の形跡はなく、誤作動とみられます。侵入を誤検知したことで警備システムが作動し、自動的に通報したのではないかと」

 警備員の代わりに、聴取をしていた刑事が答えた。ちらちらと目がBIUの腕章を追っている。不満そうな声をあげたのは、そんな視線にもう慣れたらしいグッドマン巡査だ。

「発砲も誤作動ってのは無理あるんじゃないすか」

「いや、警備システムにより自動で警備用ドローンが作動するようです。それに銃が搭載されています」

「で、その銃も誤作動で発砲したって?」

「こういった非常用システムは使用されないことが前提ですからね。初期不良でしょう」

 だって、と刑事は困ったように首を傾けた。

「事実としてカメラに不審者が映っていないんですから、それが論理的な答えですよ。もちろん警備会社への確認は我々が請け負います」

「……うーん」

 グッドマン巡査は腕を組んで唸った。違和感を抱えていても、論理的な反証ができないのだ。新人らしい新鮮な反応と言える。

「検証の結果は随時共有してくれ。どうやら我々BIUの管轄だ」

「えっ!」

 グッドマン巡査と刑事がそろって目を丸くした。聴取をされていた白髪交じりの警備員はBIUなどという特殊な部署を知る由もなく、きょとんとしている。

「警備員さん、見取り図を見せてくれるか」

「ああ……これだよ」

 見取り図によればK&K本社ビルの出入口は二箇所しかない。三十三番通りに面したエントランスと裏手の搬入口だ。

「出入口のセキュリティは?」

「二十四時間警備員が待機しているよ。夜間と休日は事前に申請された社員であることを目視で確認し、署名してもらった後にカードキーでゲートを通ってもらうんだ」

 おそらくこれも繰り返された質問なのだろう、警備員はすらすらと答える。申請やゲート通過のログと、実際の署名との両方がバートン警部の前に並べられた。精査する必要はあるものの、目立った不審点はない。

「つまり不審者はいなかったってことです。不法侵入しようにも出来ないし、その痕跡もない」

 刑事は親切心から中年のくたびれた警部に言い聞かせようとしたが、本人には全く響いていなかった。それどころか、何か確信をもっているらしい。

「我々は少しビル内を見させてもらう。グッドマン君、行こうか」

「うっす……あ、ちょっと待ってください」

 グッドマン巡査は素早く見取り図を現場用タブレットに読み込んでバートン警部の後を追った。腑に落ちない顔をした刑事に引き留められることはなかった。BIUが関与したところで現場担当の不利益にはならないと理解しているようである。

 事件の調査中とあってK&K本社ビル内は明るく、時間間隔が狂ってしまう。バートン警部は慣れたものだが、新人のグッドマン巡査にはきついだろう。これは慣れてもらうしかない。

 バートン警部が新人の様子を窺うと、グッドマン巡査は何故か目を輝かせていた。

「……何だ」

「俺って三日前に配属されたばっかじゃないっすか。しかも事務手続きばっかだったわけですよ」

「碌な説明もなく現場に来ることになったな」

「そもそもBIUの業務内容って、部署外持出厳禁なんでふわっとしてんすよね」

「名前の通り侵入罪に特化した部署だと公的に発表されているだろう」

「でも、有名な噂がある」

 グッドマン巡査はにやりと口の端を上げた。そういえばこの新人は配属の挨拶で、とても楽しみだとかなんとか言っていた。愛想のなかにたっぷり含みがあった訳だ。

 BIUは刑事局の中でも凶悪事件を扱う特殊捜査部に所属する部隊である。しかし、他の部隊と異なり侵入罪は凶悪事件ではない。しかもBIUの具体的な捜査内容は秘匿されている。市警察の刑事たちの間で根拠のない噂が飛び交い、グッドマン巡査のように新人の興味を引くのは致し方ないことだった。

 二人はエレベーターに乗り込み、最上階を目指した。ここからは他の刑事の姿もないので話がしやすい。

「どんなに違和感があったとしても、論理的には不審者はいなかった訳じゃないですか。でもバートン警部が言うにはBIUの管轄なんでしょ……ってことは、ですよ」

 バートン警部は深く息を吐いた。ちょうどこれから説明しようとしていた所だ。噂は一部正しいのだ、と。

「グッドマン君、覚えておいてほしいんだが、この不可解な現場こそ……」

「ヒーローが現れた証拠ってことっすね!」

 表情に現れた純粋な期待が、バートン警部をうんざりさせた。このセントポール州において、ヒーローは眉唾物の都市伝説であり、同時に固有名詞でもある。

「州警察内での公式名称はウィークエンドだ……BIUに入ったからにはその呼び方は改めてもらわんとな」

「やば……実在したんすね……」

 BIUは州警察の中でもウィークエンドに特化した組織である。警備システムの誤作動で片付けるには違和感が残るこの事件も、ウィークエンドが現れたと考えれば得心がいく。警備システムは正常に作動したのだ。

 すぐに思いつくような調査項目だけでも山積みである。それにグッドマン巡査の教育も兼ねるべきだろう。バートン警部は深く息を吐いた。

「今日は徹夜になるぞ」

「了解でーす」

 グッドマン巡査は突然言い渡された残業にもけろっとしている。柔軟に働ける人材であればBIUへの適性は十分だ。守秘義務の遵守に関してはどうにも不安だが、配属時に数年に一度の優秀な新人として紹介されたのだから問題ないだろう。

「じゃ、明けにはGDCっすね」

「……見る気力なんぞ残っとらんと思うがな」

 GDCは朝のニュース番組である。そもそも徹夜明けは目覚めのテレビなど見ずに一分でも長く仮眠をとりたい。理解できない価値観だと呆れていたら、グッドマン巡査に笑われた。

「やだなあ違いますよ。アリシアちゃんを見て、癒されてから仮眠を取るんです。最高じゃないっすか」

「あ、アリシアちゃん……?」

「知りません? GDCのニュースキャスター。めっちゃかわいいんすよ。俺ファンで」

 知っているが、やはり理解できない価値観だった。この新人を軽薄だと感じてしまうのは、自分が老いた証拠なのだろうか。最近の若者にはついていけん、と口に出すことはなく、バートン警部は最上階の現場検証に加わった。


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