2-5 初恋の人

明後日には暁映国へ出発、という日の夜、千慧里は再び霊山荘にいた。

それなりに覚悟はしているつもりだったのだが、出発が近づくにつれ、心細さと淋しさが募ってきてどうにもならなくなった。

親も周りの人も、千慧里が思い残すことのないように、と気を遣ってくれるのを良いことに、彼女はもう一度だけ宗伽と逢いたい、と佳玉に頼み込んだのだ。


前回は何も知らずに霊山荘へ送り込まれた彼だったが、今回はそういう訳にはいかない。

一度だけ、という約定を破って、自分の願いを叶えようとする千慧里の思いに、応えたくなければ来ないかも知れない。


一度だけだから、と妻を裏切って彼女を抱いてくれた宗伽。

今夜来れば、それは確信犯になってしまう。

例えこの先、二度と逢うことはないにしても…。


もしかしたら今夜は、この婚礼布団にひとりで眠ることになるかもしれないな、と千慧里は布団の横に座って考えていた。


扉を叩く音がして、彼女ははっと顔を上げた。

開いた扉から、宗伽が入ってきた。

「来てくれたのね」

宗伽を見た途端、立ち上がって彼に近寄った千慧里は、彼の手を取って言った。


「姫さま」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、千慧里は伸び上がって、彼の頭に手を掛けて引き寄せると、自分の唇を押し当てた。


「姫さま、あの…」

唇が離れ、彼が何か言おうとするのを聞こえないふりをして、彼の帯に手を掛けると、それをほどいていく。


肩から衣を脱がせたかったのに、背が足りず外せそうもないので、諦めて重ねている衣の前を、どんどん開いていく。

素肌が見えた途端、彼にぎゅっと抱き寄せられた。


「…分かりました。ちえさまの思うように」


そう言うと、宗伽はそっと彼女のおとがいに手を掛け、唇を重ねた。

上唇を食み、下唇を食み、角度を変えて深く口づける。

そうやって千慧里を抱いたまま、布団へと歩き、身体をそっと横たえた。


「怖いのですか?」

彼の問いに、ううん、と首をふる。

「淋しいのですか?」

うん、と。


「私がそれを、少しでも埋めて差し上げることができますか?」

そう言われると、なぜか涙がこぼれた。


彼の唇がその涙を吸った。

そうされて、なぜか彼女の淋しさを、宗伽が吸い取ってくれるように感じた。


「泣かないで…」

閉じた瞼の上に触れた唇は、その後、耳元から首筋を通り、もう一度唇へ戻り、そのうちに少しずつ衣がはだけられていった。


 * * *


佳玉の独断でこんなことができるはずもなく、彼女の願いは母妃まで伝わっていたはずだ。

そして彼はきっと、千慧里がいなくなった後、順調に出世していくだろう。


それは、甘い思い出をくれた彼への、千慧里ができる恩返しのようなものだった。

嫁ぐ皇太子がどんな人でも、彼女はやっていけそうに感じた。

そこには愛は育たないかも知れないけど、子は成せる、きっと。


二日後、千慧里は輿に乗って、自分の郷里を旅立った。

心の中に甘い思い出を抱いて…。

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暁天清々~人は愛によって生きる意味を知る 平塚千彬 @chiaki-h

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