鈍い男

武石勝義@『神獣夢望伝』発売中!

鈍い男

 鈍い奴が嫌いだ。


 裾が汚れたままの衣服など見ると気になって仕方が無いし、人の心の機微に疎い奴なんか特に苦手だ。他人の目を気にしないで大声を張り上げるような輩など、心底理解できない。


 そういう私にとって総務部の施設・備品管理という、社内の細かいメンテナンスを一手に管理する仕事は、我ながら向いていると思う。


 私の元には、社内のあちこちから様々なリクエストが舞い込んでくる。


「蛍光灯が切れかかってるから交換して」

「A4用紙がそろそろ切れそう」

「レイアウト変更するから回線の引き直しを頼む」

「社用スマホ、タクシーに忘れちゃって……」


 その都度はいはいと応じて社内を飛び回る私を見て、陰で社内の雑用係と揶揄する者もいる。まあそう思われても仕方無い。少なくとも他人に向かって自慢できるようなキャリアではないかもしれないとは思う。


「おい、雑用係」


 だが、だからといって面と向かってそう言われれば、私だって向かっ腹が立つ。デスクでパソコンのモニタを覗き込んでいた私は、無礼な発言者の顔を無言で睨み返した。


 デスクの脇に立ってあからさまに小馬鹿にした目つきで私を見下ろすのは、同期で営業の鱈山たらやまだ。


 今のところ私が最も苦手とする、『鈍い男』である。


「三階の男子トイレ、ぶっ壊れてるぞ」


 三階の男子トイレには、小便器が三つと大便器が一つある。そのどれが、どんな具合に壊れているというのか。私の不機嫌そうな顔を見て悟ったつもりか、鱈山は私の発言を遮ろうとでもいうようにずいと顔を突き出した。


「小便器が、三つともだよ。その場から離れても水が流れねえ」


 小便器には足下にセンサーがあって、用を足した後にその場を離れれば自動的に水が流れるようになっている。そのセンサーが働かないということらしいが、三つとも揃って故障するなどということがあるだろうか。私が怪訝な顔を浮かべると、鱈山はまたしても先回りでもするかのように口を開く。


「てめえの管理がなってないんだよ。せめて雑用係の仕事ぐらい、しっかりやってくれよ、おい」


 鱈山の言い口はとことん憎たらしい。それは私の仕事を馬鹿にしているのか、私という人間を見下しているのか、それとも先日大手相手の大型契約を取ってきたことで気が大きくなっているのか、おそらくその全てだろう。相手が格下と見たらあからさまに嘲る、それが鱈山という男だ。


 だが彼は知らないのだろうか。彼が大型案件を決めた相手は彼の親族が経営していること、実際に契約の詳細を詰めたのは彼の上司であること、それどころか彼が弊社に採用されたのも、そもそもその親族とのコネによるものであること。今回の大型案件成立は、大手から彼を押しつけられた報酬なのだと、社内ではまことしやかに噂されている。


 そういった噂には、多分に私たちのやっかみも含まれているかもしれない。だが鱈山はそんな噂などまるで耳に入らないらしく、自らの手柄と誇って社内を我が物顔で歩いている。鱈山という男を私はこれっぽっちも評価してないが、その図太さというか鈍さには、呆れを通り越して羨ましいほどですらある。


「さっさと直しておけよ、雑用係」


 結局私の返事を一言も聞くことなく、鱈山はそう言い捨てて背を向けた。社会人にしてはなかなか聞くに堪えないレベルの物言いだったと思うが、私の周りの同僚たちは誰も反応しない。まるで鱈山の存在など目に入らないかのように、通常業務に勤しんでいる。


 私はふうと小さく溜息を吐き出してから、去りゆく鱈山の背を目で追うと、その視線を少しばかり下に向けた。


 ――やっぱり――


 あいつは小便を足すとき、足下も見ないのか。私には信じられないことだが、きっと便器の的を外しても無頓着なタイプなのだろう。だから気づいていないのだ。


 自分の足首から下が、消えているということに。

 

 小便器が壊れてるわけじゃない。あれじゃセンサーが反応しないのも当たり前じゃないか。生身の人間相手ならともかく、幽霊相手にいちいち反応していたらきりが無い。


 ***


 先日残業した帰り道の公園で、酩酊した鱈山を見かけたのは、本当に偶然だった。


 契約を決めて気持ちよく祝杯でも上げていた、その帰りだったのだろうか。気持ち悪いほど上機嫌だった彼は、私を見つけると当然のように絡んできたのだ。ただでさえ酔っ払いは苦手だというのに、それが鱈山ならなおさらだ。相手をしないで立ち去ろうとしたところ、突然背後から私の首に鱈山が両腕を絡ませてきたのである。


 酔いに任せて首を絞めるその腕力は限度を超えており、冗談抜きで私は命の危険を感じた。精一杯もがいて抵抗した私は、そのまま鱈山もろとも背後に倒れ込んだ。弾みで鈍い音がした気がするが、窒息寸前で目の前がチカチカしていた私には気にかける余裕などあるはずもない。何度も咳き込みながら私が立ち上がっても、鱈山は伸びたままぴくりとも動かなかった。彼の頭の下に植樹を取り囲む縁石が見えたかもしれないが、あのときはとにかくその場を離れたくて、私は首を押さえながらよろよろと公園を駆け抜けていった。


 公園で息絶えた鱈山が発見されたのは、その翌朝のことである。


 そして鱈山の幽霊が現れるようになったのも、その日からのことだ。


 何がたちが悪いと言って、鱈山の幽霊は私にしか見えないようなのだ。鱈山は生前と全く変わらない、あのあからさまに人を小馬鹿にした目つきでいつも私ばかりを見下してくる。しかも幽霊だからそのタイミングも場所も彼の気の向くまま。彼が死ぬ前よりもよほど最悪である。


 腹立たしいのは、鱈山自身が幽霊になったことに気づかないままだということだ。鈍感な男だとは思っていたが、まさかここまで鈍いとは思いもよらなかった。これなら恨み辛みでも面と吐かれた方がよほどマシに思えてくる。


 これだから鈍い奴は嫌いなんだ。


                                   (了)

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